桃色の夢
私は目を開けると、桃色の何かを見た。
しかしそれはすぐに消えてしまった。
ここは夢なのかな、それとも死んだ後の世界なのかな。
私は一歩踏み出すと、くすぐったい感触が足を包んだ。
それはクッションのようにふわふわとしていて、どこか心地よい。
その心地よさからるんるん跳ねて歩いていると、遠くに桃色の人影が見えた。
走って近づいてみると、桃色の長い髪の毛がゆらゆらと揺れていて、女の人のようだった。
でも、私はこの人を知っている。
なぜだか分からないけれど知っている。
すると、私はぐっと何かに引き込まれる感覚がして咄嗟に目を閉じた。
衝撃も何もないので不思議に思い目を開けると、そこは知らない部屋だった。
キョロキョロと辺りを見渡していると声が聞こえてきて、声のした方角を向くと人が二人立っていた。
一人は先程の桃色の髪の毛の人。
もう一人は……お父様?
私は話しかけてみたけれど、私のことは見えていない様子だった。
『プリュイ、あの娘は失敗作だ。』
『そんな…!だからって殺すの…!?』
『仕方ないだろう。これもアルベレア家の、カシエレ王国の為だ。』
赤子を抱いていた母親らしき人物は、お父様に何か訴えていた。
しかし、お父様に赤子を取り上げられて力なくその場に座り込んでいた。
『あぁ…そんな……』
私はこの人を慰めようと近づこうとしたけれど、また引っ張られるような感覚がして、瞬きの間に場所が変わっていた。
今度は花畑だったけれど、雨が降っている。
『次の子は、何としてでも生かさなきゃ…。』
先程プリュイと呼ばれていた女の人が立っていたけれど、その表情は感情が抜け落ちていて、絶望の淵にいるような目をしていた。
すると、プリュイさんは祈るように手を重ねて何かを言っている。
何かの詠唱だろうか。
この人、もしかして魔法使いなのかな。
『私の事はどうだっていい、だから私の力を全て次の子に託してほしい。』
誰かと話しているようで、私は後ろから覗き込む。
見えたのは、ぷかぷかと宙に浮く生命だった。
『そんなことしたらプリュイが消えちゃうよ!』
『いいの、わが子の為ならなんだってする。そうして、死んでいった子達に償うの。いいでしょう、ラシュル。私の唯一の友達。』
『う…わかった…僕にまかせて!プリュイは安心していいからね!』
『ありがとう。』
何故か分からないけれど、私は泣いていた。
静かに涙を流していた。
言葉に言い表せないこの感情は何なのだろう。
考える隙もなく、プリュイさんの体が光り始めた。
そこでまたぐっと引っ張られて目を閉じる。
足の感覚から最初の空間に戻ったようで目を開けると、目の前にはプリュイさんがいた。
先程まで顔はよく見えなかったけれど、今はハッキリと見える。
そして、プリュイさんが何者なのかもようやく理解した。
「お…お母様………?」
私と同じ瞳の色をしたプリュイさんは、きっと私のお母様なんだろう。
プリュイさんはニコニコ微笑むだけで何も言わなかったけれど、私は言われなくても感じる。
お母様だ。
お母様が夜逃げしたのは私が赤子の時のはず。
じゃあ先程の光景はいつ起きたもので、何をしていたの?
私が何も言えず泣いていると、お母様は私の後ろを指さした。
そこには少年がいて、暗い顔で俯いていた。
お母様は少年を指差して微笑むだけ。
行ってきなさいという事なのだろうか。
私はお母様から目を離して、少年に駆け寄る。
すると、少年はこちらを見て涙を流し始めた。
『僕、辛いよ。泣きたいけど泣けないよ。誰かに愛されたい、本当の僕を見てほしい。』
私も、小さい頃はそう思っていたよ。
少年をそっと抱きしめながらそう言った。
少年は泣きやまない。
「でもね、今は違うのかもしれない。私には信頼できる人も居て、毎日楽しくて、それに…何より大切で、大好きな人がいるんです。絶対に本当の貴方を見てくれる人が現れます。だから、負けないで。きっと幸せになれますから。」
これは、私に向けた言葉でもある。
少年はポロリと大きな雫を溢した後、涙が出てくることはもう無かった。
少年は年相応の可愛らしい笑顔で、私の背中に回している手にぎゅっと力を込めた。
すると、辺りの景色が崩れていく。
私はお母様のいた方へ振り向いたけれど、そこには誰もいなかった。
少年は私をしっかりと見つめてこう言った。
「出会ってくれてありがとう。」
少年の体が光り始めて、眩しさに目を瞑る。次に目を開けると、レアンの顔が目に入った。
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「ルチェット…?起きたのか…!」
「レアン……?」
至近距離にレアンの顔があって不思議に思ったけど、私はレアンの様子からかなり寝ていたのだと察してそんな考えはすぐにどこかへ飛んだ。
「このまま起きなかったらと不安で堪らなかった。起きてくれてありがとう。」
夢の中の少年は、今思い出すとレアンに似てる気がする。
きっと、レアンが起きるのを待ってくれているからと、お母様が背中を押してくれたんだろう。
でも、そこで私はレアンが私の過去を知ってしまった事を思い出した。
「レアン、私の事を聞いたんでしょう?」
「……すまない、もっと早く止めればよかった。」
「…もういいんです、自分から話せなかったのは悲しいけれど、もう大丈夫ですから。」
「俺の事、嫌いになったか?」
レアンったら、私と同じ事を気にしてる。
私達って案外似てる所があるのかもしれない。
「嫌いなわけない、安心してください。もういなくなったりしないですから。」
レアンは安堵からか息を吐くと、上体を起こした私に抱きついてきた。
夢の少年とそっくり。何だか可愛らしい。
「本当によかった。戻って来てくれてありがとう…!」
「ふふ、あったかい。」
「ルチェットは冷たいな、もう少しこのままでいようか。温めてあげよう。」
「ありがとうございます。」
その後、レアンがお医者さんを呼んでくれて、暫く療養をとのことで私はベッドの上で生活することになった。
それでもレアンが毎日部屋に来てくれて、療養が終わったら、ディアナさんと、シェルミィちゃんと、ロアンさんの所へ遊びに行こうか、という提案をしてくれたり、私が眠っている間に話してくれていたレアンについての事を聞いたりと、楽しい日々を過ごしていた。
…もちろん、エレンの事についても聞いた。
私が起きるまで、公爵邸の地下室に幽閉していたそうだ。
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「は?お姉様、生きてるの?」
エレンは私の安否を聞かされて、その後大暴れしたらしい。
「何でエレンがこんな所に!!酷いことしないで!!お父様に言いつけてやるんだから!!」
ここはカシエレ王国ではなく、シルベリア帝国だから、当然味方はいない。
私も体調が少し良くなったから、エレンに会いに来たんだけど、ものすごい形相でこちらを睨んで、何かを叫び散らかしていた。
でも、手錠で繋がれていて、私には何もできない状態だった。
「何で!!私が!!!お姉様なんかに!!」
「…エレン、まずはその性格から直したらどうですか?このままでは、周りの人がどんどん離れていってしまいますよ。」
「ッ!!私に向かって、口答えしないでよ!!」
私は、公爵邸という敵だらけの場所で、公爵夫人の私に向かって暴言を吐くエレンに、心底呆れた。
でも、私には味方がたくさんいる。
だから、怖くても大丈夫。
私は檻を開けてもらって、エレンに近づく。
次の瞬間、パァン、と乾いた音が響いた。
「立場が強いのはどちらでしょう?私、シルベリア帝国の公爵夫人ですが?貴女みたいなただの貴族が口答えするんじゃありません。」
エレンは訳が分からないという様子で、母音を小さく呟くだけ。
「私、もうエレンにびくびくするだけの弱虫じゃないから。言葉遣いには気をつけなさい。」
「ッ……ご、ごめんなさい…」
エレンはすっかり大人しくなって、これで暫くは攻撃してこないだろう。
私はほっと安心して、胸を撫で下ろした。
エレンはその後すぐに馬車に乗せられて、カシエレ王国に送還された。
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雨が降ってジメジメとした時期になった頃のこと。
私は療養が終わりすっかり元気になっていた。
レアンの仕事を手伝いながら社交界に出たり、もちろんマレシア先生との勉強も忘れずに忙しく過ごしていた。
私は勉強が終わったので、レアンが美味しいと言ってくれる紅茶を淹れて執務室へ持って行く。
扉をノックしようとしたら、レアンが先にガチャッと扉を開けて出てきた。
「あ、レアン。紅茶を淹れてきたんです。」
「……暫くここを空けることになった。」
「………え?」
ここを空ける?
それって、暫く出かけるということ?何処に…?
「あの、何処に行くんですか?」
「…魔物が増えているらしく、人手が足りていないらしい。皇帝から応援に行くよう頼まれた。」
私は目を見開いて固まることしか出来なかった。
魔物の話はマレシア先生から聞いたり本を読んだりして色んなことを学んだ。
魔物の危険さも。
魔物討伐に出向くと伝えてきたレアンは、私の顔を見てくしゃりと顔を歪ませた。
「そんな顔をしないでくれ、必ず生きて戻る。」
「でも、そんな…」
「俺は残虐公爵と呼ばれているだろう、そう簡単に死ぬと思うか?」
私を安心させるために自虐みたいな事を言って和ませようとしてくれた。
私はそんなレアンにくすりと笑った後、今出来る精一杯の笑顔を作る。
「頑張ってきて下さい。必ず、生きて帰ってきて下さいね。」
「あぁ。今から準備をするから、見送ってほしい。」
「わかりました、では外で待っていますね。」
私は持っていた紅茶をリメアに預けてから、皇帝の用意した馬車がある門の前まで行って、ただ彼を待ち続けた。
暫くしてレアンは鎧を身に纏った姿で現れた。
「レアン、気をつけてくださいね。私を置いていったら許さないですからね。」
「ルチェット、大丈夫だ。」
「…じゃあ、おまじないをするので屈んで下さい。」
レアンは言われた通りにすぐ屈む。私は彼の額めがけて顔を近づけた。
「…おまじない、です。」
「はは、ありがとう。行ってくるよ。」
レアンはそう言って私の額にキスを返してきた。
私は馬車へと進む彼の背中を見つめて、一人嫌な予感に心を震わせていた。
レアンが魔物討伐に行ってから、私は公爵としての彼の仕事を受け継いで、少しずつ進めていた。
どれも勉強をしっかりしている私でも難しいようなものばかりで、レアンは普段これを大量に捌いていると考えたら、何だか尊敬の念を抱きはじめていた。
それほどに難しく私はここ数日で疲れていた。
そんな私を見ていて心配になったのか、リメアが手紙のようなものを持ってきた。
「これ、この前のパーティーに出席していたマリー様からのお茶会への招待状です。ルチェット様、気分転換に行ってみたらどうですか?」
「お茶会…?」




