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第5章 垣間見える本音


 天文台での夜から数日が経ち、エリアナとルカスの関係に微妙な変化が生まれていた。


 劇的な変化ではない。しかし、朝の挨拶が以前より温かくなり、夕食時の会話も少しずつ長くなっていた。


 ある朝、エリアナが書斎で時の世界の歴史書を読んでいると、使用人がお茶を運んできた。


「王妃様、ルカス様からのお心遣いです」


 銀の盆には、美しいティーカップと、見たことのない青い花が添えられていた。


「これは?」


「時忘れ草と申します。ルカス様が庭園で摘んでこられ、『王妃の好きそうな花だ』とおっしゃって」


 エリアナの胸が温かくなった。ルカスが自分のことを考えて、わざわざ花を摘んできてくれたのだ。


 お茶も、いつものものとは違っていた。甘く、どこか懐かしい香りがする。


「このお茶も?」


「はい。ルカス様が『人間界の味に近い茶葉を』とおっしゃって、特別に取り寄せてくださいました」


 エリアナは驚いた。自分が時の世界の食べ物や飲み物に慣れるのに苦労していることを、ルカスが気にかけてくれていたのだ。


 その日の夕食で、エリアナはお礼を述べた。


「今朝のお茶と花、ありがとうございました」


「気に入っていただけましたか?」


 ルカスの表情に、わずかな安堵が浮かんだ。


「とても。特にお茶は、故郷の味を思い出しました」


「それは良かった。セレーネから、あなたが時の世界の食べ物に苦労していると聞いていたので」


 エリアナは少し恥ずかしくなった。愚痴を言ったつもりはなかったが、セレーネが心配して報告したのだろう。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「迷惑なものですか。異世界での生活が大変なのは当然です」


 ルカスは穏やかな表情で続けた。


「他にも、困ったことがあれば何でも言ってください。できる限りのことはいたします」


「ありがとうございます」


 その時、エリアナはルカスの手元に気づいた。薬指にはめた結婚指輪の石が、普段より輝いて見える。


「王子の指輪、とても美しく輝いていますね」


「指輪が?」


 ルカスは自分の手を見た。


「確かに……いつもより光が強いようですね」


「何か意味があるのですか?」


「契約結婚の指輪は、夫婦の絆に呼応します。関係が深まるほど、輝きを増すと言われています」


 ルカスの説明に、エリアナは頬を染めた。つまり、自分たちの関係が以前より良くなっていることの証拠なのだ。


「それなら、良い傾向ですね」


「……そうですね」


 ルカスも、わずかに頬を赤らめているように見えた。


---


 翌日、エリアナは宮殿の図書館を探索していた。時の世界の図書館は、人間界のそれとは規模が違っていた。


 円形の巨大な建物の中に、無数の書棚が螺旋状に配置されている。そして、書物自体も不思議な特徴を持っていた。


 ページをめくると、文字が浮き上がったり、時には挿絵が動いたりする。まさに魔法の図書館だった。


「何か面白い本は見つかりましたか?」


 突然の声に振り返ると、ルカスが立っていた。彼もまた、数冊の本を抱えている。


「ルカス様。お疲れ様です」


「お疲れ様です。図書館にいらしているとは珍しいですね」


「時の世界のことをもっと知りたくて。それに、本を読むのは昔から好きなので」


「そうでしたね。人間界の詩集がお好きだとおっしゃっていました」


 ルカスが覚えていてくれたことに、エリアナは嬉しくなった。


「こちらにも、人間界の書物があるとセレーネに聞いたので」


「ありますよ。こちらです」


 ルカスは奥の書棚に案内してくれた。そこには確かに、見覚えのある人間界の書物が並んでいる。


「これは……」


 エリアナは一冊の詩集に目を止めた。ヴァレンシア・ローズの作品集だった。


「あ、これです。この前お話しした詩人の」


「ヴァレンシア・ローズですね」


 ルカスが本を取り、ページをめくった。


「『愛する人の瞳に映る自分こそが、本当の自分』でしたか」


 彼が正確に覚えていることに、エリアナは驚いた。


「よく覚えていらっしゃいますね」


「印象的な詩でしたから」


 ルカスは本を見つめながら続けた。


「実は、この詩人のことは以前から知っていました」


「そうなのですか?」


「ええ。彼女の作品は、時の世界でも愛読されているのです」


 ルカスはページをめくり、ある詩を指した。


「この詩が特に有名です。『時は愛によって止まり、愛によって流れる』」


 エリアナはその詩を読んだ。確かに美しい詩だったが、今のルカスとの状況を考えると、少し複雑な気持ちになった。


「時と愛の関係について歌った詩ですね」


「はい。私たち時の番人にとって、とても意味深い内容です」


 ルカスの表情が少し陰った。


「愛は時を止める。しかし、それは必ずしも良いことではない」


「どういう意味ですか?」


「愛する人を失う恐怖に囚われると、時の流れを歪めてしまうことがあるのです」


 ルカスは本を閉じた。


「過去を変えようとしたり、未来を先取りしようとしたり。愛が強すぎると、理性を失ってしまう」


 エリアナは彼の言葉の重さを感じた。これは明らかに、ルカス自身の経験に基づいた話だった。


「でも、愛がなければ人生は空虚ではないでしょうか?」


「それも事実です」


 ルカスは苦笑した。


「矛盾していますが、それが現実です。愛は必要だが、危険でもある」


「だから距離を置くのですね」


「……そうです」


 二人は暫く無言で本棚を眺めていた。


「ルカス様」


 エリアナが口を開いた。


「私は愛を強要するつもりはありません。でも、お互いを大切に思う気持ちまで否定する必要はないと思うのです」


「大切に思う……ですか」


「夫婦として、友人として。相手の幸せを願い、支え合う関係。それなら危険ではないでしょう?」


 ルカスは長い間考え込んでいた。


「あなたの言う通りかもしれません」


 やがて、彼は小さく頷いた。


「少しずつですが、試してみましょうか」


「本当ですか?」


「ただし、約束してください」


 ルカスの表情が真剣になった。


「もし私が感情的になりすぎて、能力を乱用するようなことがあれば、必ず止めてください」


「はい、約束します」


 エリアナは力強く頷いた。


「では、改めて。エリアナ、これからよろしくお願いします」


 ルカスが差し出した手を、エリアナは握り返した。


「こちらこそ、よろしくお願いします、ルカス」


 初めて、名前を呼び捨てにした。ルカスも驚いたような、そして嬉しそうな表情を見せた。


「では、今度は私があなたに、時の世界の面白い場所をご案内しましょう」


「楽しみにしています」


 その日から、二人の関係はさらに変化していった。


---


 数日後、ルカスが約束を果たしてくれた。


「今日は特別な場所にお連れします」


 朝食後、ルカスがそう言ってエリアナを誘った。


「どちらへ?」


「時の庭園です。宮殿から少し離れた場所にあります」


 二人は宮殿の庭園を抜け、小さな森の中の道を歩いた。時の世界の森は、人間界とは植生が大きく異なっていた。


 木々の葉は青や紫の色をしており、幹には時計のような模様が刻まれている。そして、森全体がゆっくりと時間を変化させているのを感じることができた。


「不思議な感覚ですね」


 エリアナは立ち止まった。


「歩くペースによって、時の流れが変わるような気がします」


「その通りです」


 ルカスが微笑んだ。


「この森は、歩く人の心理状態に呼応して、時の流れを調整するのです。急いでいる時は時間を早め、ゆっくりしたい時は時間を遅くしてくれます」


「まるで生きているようですね」


「時の世界では、すべてのものが時間と密接に関わっています」


 森を抜けると、美しい庭園が現れた。しかし、これは普通の庭園ではなかった。


 花々が時間の経過と共に成長と枯死を繰り返している。ある花は蕾から満開になり、別の花は満開から散っていく。まるで季節の移り変わりを早送りで見ているかのようだった。


「時の庭園です」


 ルカスが説明した。


「ここでは、すべての植物が異なる時間軸で生きています」


「美しい……でも、少し切ないですね」


「切ない?」


「花の一生を短時間で見ることになるからです。生命の儚さを感じてしまいます」


 ルカスの表情が複雑になった。


「私も、最初はそう思いました。でも、よく観察していると、違う見方ができるようになります」


「どのような?」


「花は確かに散りますが、必ず新しい花が咲きます。時間は循環しているのです」


 ルカスは一輪の花を指した。


「あの花は今散ろうとしていますが、その種がまた新しい命を生み出します。終わりは始まりでもあるのです」


 エリアナは彼の言葉に深い意味を感じた。


「人生も同じということでしょうか?」


「そうかもしれません。一つの関係が終わっても、新しい関係が始まる。過去を手放すことで、未来を受け入れることができる」


 ルカスは立ち止まり、エリアナを見つめた。


「あなたと出会って、そんなことを考えるようになりました」


「私と?」


「はい。私は長い間、過去の痛みに囚われていました。でも、あなたと話していると、新しい可能性があることに気づかされます」


 エリアナの胸が温かくなった。


「それは私も同じです。故郷を離れる時は不安でしたが、今はこの世界で新しい人生を始められることに感謝しています」


「感謝……ですか」


「ええ。ルカスと出会えたこと、この美しい世界を知ることができたこと。辛いこともありますが、得るものも多いのです」


 ルカスは暫く黙っていた。やがて、小さく笑った。


「あなたは本当にポジティブですね」


「そうでなければ、やっていけませんから」


 エリアナも笑った。


「でも、一人では限界があります。ルカスがいてくれるから、頑張れるのです」


 その言葉に、ルカスの瞳が揺れた。


「エリアナ……」


「何でしょうか?」


「ありがとう。あなたがいてくれて、本当に良かった」


 初めて聞く、ルカスの素直な感謝の言葉だった。エリアナの目に涙が浮かんだ。


「私こそ、ありがとうございます」


 二人は並んで庭園を歩いた。様々な時間軸で生きる花々を眺めながら、お互いの存在の意味について考えていた。


 愛とまではいかないかもしれない。しかし、確実に特別な絆が生まれている。


 それは政略結婚から始まった関係の中で、二人が見つけた小さな奇跡だった。


---


 その夜、エリアナは日記を書いていた。


 人間界にいた頃から続けている習慣で、その日の出来事や感じたことを記録している。


『今日はルカスと時の庭園に行きました。美しい場所でしたが、それ以上に、ルカスの新しい一面を見ることができて嬉しかったです。


彼は思っていたよりもずっと深く物事を考える人で、そして優しい人です。過去の痛みが彼を閉ざしているのは残念ですが、少しずつ心を開いてくれているようです。


私たちの関係は確実に変化しています。愛情というには早すぎますが、信頼と理解は深まっています。これが夫婦としての第一歩なのかもしれません。』


 日記を書き終えると、エリアナは窓辺に立った。夜の庭園では、月光に照らされた花々が美しく輝いている。


 ふと、隣の棟の窓に明かりが灯っているのに気づいた。ルカスの書斎だった。


 彼も眠れずにいるのだろうか。何をしているのか気になったが、プライバシーもあるので、そっとしておくことにした。


 しかし、その明かりを見ているだけで、なぜか心が落ち着いた。同じ屋根の下に、自分を理解してくれる人がいる。それだけで十分だった。


 エリアナは小さく微笑んで、ベッドに向かった。


 明日もまた、ルカスとの新しい一日が始まる。それが楽しみで仕方なかった。


---


 翌朝、エリアナは庭園で朝の散歩をしていた。時の世界の朝は、人間界とは光の質が違っている。より柔らかく、どこか幻想的な光だった。


「おはようございます」


 振り返ると、ルカスが立っていた。彼もまた、朝の散歩をしていたようだ。


「おはようございます。お早いのですね」


「いつものことです。朝の時間管理の確認がありますから」


 ルカスは彼女の隣に並んだ。


「あなたも早起きですね」


「この時間の庭園が好きなのです。静かで、美しくて」


「分かります。私も同じ理由でよく朝の散歩をします」


 二人は並んで歩いた。朝露に濡れた花々が、朝日を受けてきらめいている。


「ルカス」


「はい?」


「昨夜、遅くまでお仕事をされていたのですか?書斎の明かりが遅くまで点いていましたが」


 ルカスは少し驚いたような表情を見せた。


「気にかけてくださっていたのですか?」


「隣人として当然のことです」


 エリアナは頬を少し赤らめた。


「体調を崩されては困りますから」


「ありがとうございます。昨夜は確かに遅くまで起きていました」


「お仕事ですか?」


「半分は仕事、半分は……個人的なことです」


「個人的なこと?」


 ルカスは少し躊躇してから答えた。


「あなたのことを考えていました」


 エリアナの心臓が跳ねた。


「私のことを?」


「はい。あなたと過ごすようになって、自分の中で何かが変わりつつあります。それが何なのか、理解しようとしていたのです」


 ルカスは立ち止まった。


「エリアナ、正直に言います。私はあなたに惹かれています」


 エリアナは息を呑んだ。


「でも、同時に恐れてもいます」


「恐れ?」


「あなたを愛してしまったら、過去と同じ過ちを犯すかもしれない。能力を乱用して、寿命を削ってしまうかもしれない」


 ルカスの表情は苦悩に満ちていた。


「だから、どうすればいいのか分からないのです」


 エリアナは彼の手を取った。


「ルカス、無理をする必要はありません」


「エリアナ……」


「私たちには時間があります。急ぐ必要はありません。お互いのペースで、少しずつ関係を深めていけばいいのです」


 エリアナは優しく微笑んだ。


「そして、もしルカスが能力を乱用しそうになったら、必ず止めます。約束したじゃありませんか」


 ルカスの瞳に安堵の色が浮かんだ。


「あなたがいてくれて、本当に良かった」


「私も同じ気持ちです」


 二人は再び歩き始めた。朝の庭園は相変わらず美しく、二人の新しい関係を祝福しているかのようだった。


 愛情への第一歩を踏み出した二人。これからどんな未来が待っているのか、まだ分からない。


 しかし、お互いがいる限り、きっと乗り越えられるだろう。


 そんな希望を胸に、エリアナとルカスは新しい一日を迎えた。


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