第82話 鳳梨の提案
(簡易人物メモ)
糸瀬貴矢: 黒船サッカークラブ 代表
細矢悠: 黒船ターンアラウンド 代表
福島亜紗: 西野黒船食品 執行役員
松木茂人: パインキャピタル 取締役会長
ーーーーーーーーーー
「細矢さん! リュック背負ってる女の人がいません! みんなキラキラしてる!」
「いるよ、いっぱいいるよ…」
2020年5月、東京都港区赤坂の街を、上京感満載で時折大声を上げながら歩く福島に、細矢が力なく声をかける。
黒船一行は日帰りの東京出張に訪れていた。メンバーは糸瀬、細矢、福島の3人。目指す先は赤坂ガーデンタワー、その31階にオフィスを構えるパインキャピタルである。
事の発端はパインキャピタルの会長である松木茂人が糸瀬に対して、黒船食品の事業に関して提案があると連絡したことである。
パインキャピタルは糸瀬らが立ち上げた旧TAパートナーズの親会社であり、かつ現在も南紀ウメスタSCに、1,000万円を投じたスポンサー様。さすがに無視することはできず、こうして遠路はるばる飛行機に乗ってやってきたわけだが。
パインキャピタルの会長室はいつもと違って、どこかフルーティな香りが漂っており。
糸瀬の口から噴き出した琥珀色の液体が大理石調の床にぶちまけられ、口元を拭いながら老爺を睨みつける糸瀬と、それを愉快そうに眺める松木。
「なに飲ませてんだジジイ…」
「何を怒ってるんだい、糸瀬くん。僕は秘書が出したものがお茶だなんて一言も言ってないよ」
改めて着席した一同。福島が目前に置かれた湯呑みを手にとって鼻に近づけてから、僅かに口元は傾ける。
「梅酒…?」
「そう、梅酒。僕はこの話をしたかったんだよ」
福島はなぜ気づかなかったんだろうと自分自身を殴りたくなった。
梅と言えば梅酒だ。人によっては梅干しよりも先にイメージされるものですらあるかもしれない。
「梅酒ですよ! 細矢さん!」
「ああ。ーーー松木さん、黒船食品で梅酒を出すという意味ですか?」
「うん。黒船ブランドの梅酒、作ってみない?」
いわゆる地酒というものに該当するのかもしれない。
「梅酒といえば?」
「ホーヤ」
「そうだよね。梅酒市場というのはだいたい300億円くらいの狭い市場なんだけどね。ほぼ全国民が知っているホーヤ梅酒のシェアは約3割。2位以下はいわゆる大手の酒メーカーが規模の論理で一定のシェアを取っているだけの状態なんだ」
和歌山県内では原材料としての梅はそれこそトップシェアを取ってはいるが、加工品となると具体的な名前が思い浮かばない。それは梅酒においても同様であった。
ちなみに梅酒市場の成長率はCAGR(年平均成長率)で5%から10%近く伸びている将来性のあるマーケットだと言う。
「伸びている理由は海外ですか?」
「そうだね、それは大きい。だからこそ、後発の君達にも活路はあると思ってる」
国内市場についてはホーヤ含めてある程度分散してしまっており、チャンスはあっても市場の開拓には時間がかかるかもしれない。ただ戦略としては黒梅袖と同じロジックで戦うのが良さそうだ。地元の会社が、贅沢な素材を使って、パッケージやマーケティングにこだわり、値段の高さをブランド価値として贈答用に販売する梅酒である。
「海外向けに関してはさ、君達にはパートナーがついてるだろ?」
「パートナー?」
「ほら、あの…ウォンキットグループだよ」
「あ、そうか」
ウォンキットグループの中核企業はウォンキット・シュガー社。言わずと知れたアジア最大の製糖企業である。
「ウォンキット・シュガーの中でも最高級の黒糖を使って、日タイのコラボ商品としてタイ向けに販売する。そこから東南アジアのシェアを取ってしまえば、そこからはウォンキットの世界戦略をなぞるようにシェアを伸ばしていけばいい。…このネットワークが使えるのは君たちしかいないんじゃないかな」
松木の話に耳を傾けている福島の表情が見るからに明るくなっていく様子がはっきりと伝わってきた。糸瀬と細矢は顔を見合わせて息を吐いた。
西野黒船食品の第二弾は梅酒で決まりだ。
「分かりました。…その話、乗っかりますよ。松木さんは何がお望みですか?」
この男が善意でアドバイスするはずがない。もちろんこの話の裏には自らの利益になる何かが隠されているはずである。
「梅酒のネックは、時間だよ」
「時間?」
「カップラーメンじゃないからさ。酒に付加価値をつけるには熟成させる必要がある。だから一朝一夕に稼げるプロダクトではないってことさ。それ自体は覆しようがないから、儲けたいならとにかく今この瞬間に作りまくるしかない」
いわゆる熟成モノの最高級でだいたい5年くらいの時間をかけている梅酒が多い。つまり今から作ってもそれが完成するのは5年後ということになってしまう。
「解決策はないと?」
「ない。短いものなら半年でできるよ。梅酒専用の日本酒を選んで、しっかり管理できればね」
そう言いながら松木は手元の資料をこちらに手渡した。
「うちの投資先に酒のOEMメーカーがある。ここだったら、大企業レベルの発注にも耐えられる設備もキャパシティも揃ってるよ。…元々は酒蔵の事業承継の受け皿として用意した会社なんだけど、ここなら何キロリットルの製造だってできる」
「ここを使うことが条件だということですね」
西野黒船食品が企画販売。製造はパインキャピタル側が行う協業プロジェクトが本件の条件であると松木は言った。
正直これは飲むしかないだろうと黒船側は判断する。それが案件を持ち込んでくれた相手に対する礼儀というか、義理というものだ。
「OK。じゃあとりあえず君たちはすぐに免許を取りに行ったほうがいいよ」
「あー、なるほど。酒ですもんね」
酒は酒税法の関連で、製造や販売には様々な免許が必要となっている。仮に酒の製造をすべて外部に委託するとしても、酒を販売するための酒類販売免許は必要だ。
免許の取得には概ね3ヶ月くらいの期間が必要となる。今から梅酒の製品要件を固めて、製造、熟成させる工程を考えれば、どんなに早くても、販売できるようになるのは来年の頭だろう。裏返せば今から準備を始めれば、免許の取得がスケジュールの足を引っ張ることはなさそうであった。
「松木会長! この会社さんにはどうやって連絡すればよろしいですか?」
「この名刺に書いてあるところに連絡してみて。話は通しておくよ」
「ありがとうございます!」
梅酒プロジェクトをリードする立場である執行役員の福島は、一気に頭の中で事業プランを組み立てていく。
OEMメーカー側との打ち合わせは可及的速やかに行う必要がある。
それから、原料の調達という観点では西野農園の梅も十分に確保しておく必要があるだろう。今年は去年よりも豊作だと聞いているため、ロットの問題はクリアできそうである。
また、梅酒を作るために必要な砂糖に関しては、ウォンキット・ジャパンを通じて商談を始めなければならない。このあたりは直接のつながりが深い糸瀬にも協力を仰ぐ必要があった。
さらにパッケージのデザインは黒梅袖と同様に寺田デザインを頼ることにしよう。商品名も合わせてそこで決める。
マーケティング戦略についてはおいおい考えるとして、一旦は黒梅袖と同様に一部のホテルや、商品特性上、飲食店に降ろすことも十分に考えられた。
「い、忙しくなってきた! 細矢さん,もう帰ってもいいですか!?」
「落ち着け!」
現場に近い細矢と福島が打ち合わせを始めた一方で、糸瀬は松木を捕まえて、今度は黒船側からバイオマスエネルギー投資の勧誘を行なっていた。
発電所完成後に投資家として入ることにより、今のフェーズよりも低リスク低リターンな金融商品として、投資家からの関心の有無をタッピングしているのだ。現在の黒船の持分は80%。一部を投資家に売却して現金化することは十分に合理的なオプションである。
「ーーーなんか、似たもの同士って感じですよね…」
松木と糸瀬のやりとりを眺めていた福島の感想に細矢は思わず吹き出した。
「糸瀬さんに言ったら怒られるよ」
「えーそうなんですか?」
「でもそれも同族嫌悪ってやつなのかね…」
なんだかんだで松木と糸瀬はもちつもたれつの、ちょうど良い距離感を出せるビジネスパートナーなのだと改めて細矢は笑みを浮かべた。
つづく。




