第81話 硝子のエース(20/5月)
(簡易人物メモ)
濱崎安郎: 南紀ウメスタSC GM
栗田靖: 南紀ウメスタSC 監督
木田弘: 南紀ウメスタSC アナリスト
椋林翼: 元Jリーガーのサッカー浪人
ーーーーーーーーーー
2020年5月。ゴールデンウィークの合間を縫って、南紀ウメスタ首脳陣が黒船サッカーパークに新設されたクラブハウスに集まっていた。
ミーティングルームのプロジェクターを通じて流れているのは、Jリーグの試合映像である。南紀ウメスタのアナリストとなった木田弘が、4月から入社したジュニアのスタッフを従えて立っている。
「ーーー椋林翼。1999年生まれ、今年21歳です。JFAアカデミー出身のいわゆるエリートで、当時J1のヴルカーノ甲府でプロデビュー。17歳で初出場してるので、それなりに話題にはなっていたようです。今映ってるのがプロ1年目の映像ですね」
「…速いな」
画面にはカウンターからJ1のDF陣を相手にピッチを切り裂くように走る椋林の姿が映し出される。南紀ウメスタの監督である栗田の呟きに木田は頷いた。
「50m走タイムは6秒フラット。Jリーグレベルでもトップクラスのスピードかと。プレースタイルは生粋のサイドアタッカー、細かい足技というよりは、ストップ&ゴーを得意とし、身体能力で突破するタイプの選手です。利き足は右足ですが、右でも左でもプレイ経験があります」
「右で使うならチャンスメイク、左で使うならフィニッシャーにもなれるって感じだな」
しかし試合の映像はここで止まる。室内が明るくなった。18歳になって以降の彼の映像はほとんど存在しないのだ。
「このプレースタイルだからこそという話かもしれませんが、プロ1年目の途中で右足の前十字靭帯を断裂。8ヶ月で復帰しますが、その直後に左足の前十字靭帯を損傷しました」
前十字靭帯とは、太ももの骨とすねの骨を結び、膝関節の安定を保つための重要な靭帯である。サッカーやバレーボール、バスケットボールなど俊敏な動作が要求されるスポーツでは馴染みのある名前であるが、選手生命とともに語られることも少なくない大怪我である。
また再発する怪我としても有名であり、逆足で同様の怪我を負うことも多く、彼の場合も、左右両足を負傷している。
「この前十字靭帯損傷は復帰が早ければ早いほど、また若ければ若いほど再発率が高いことでも知られており、専門家の意見では回復後2年以内は再発のリスクが高いとの見方が強いです」
当時のメディア報道が正しければ、怪我の完治からもうすぐ2年が経過しようとしているようだが。
「なんか、あれじゃねえか? どっかのJリーグのチームとか獲得するんじゃねえ?」
「難しいところですね…実質17歳から1年だけのプロキャリア。3年も前ですからね。…でも、だからこそチャンスがあると思っているんだろう、木田は」
栗田のあくび混じりの発言を受けて濱崎が木田に振ると、木田が頷いた。
「もちろん本人の状態は確認が必要ですが、もしキャリアの復帰に向けてトレーニングを続けているなら、獲得に動くべきです。今回は家族の応諾も半ばとっているようなものですし」
きっかけは木国JSCトリオからの報告だった。友達になった子の兄が元Jリーガーだから、ウメスタの仲間に入れようという唐突な内容で、正直その時は聞き流していたが、「むくばやし」という名前の珍しさから、仕事の合間に名前を検索してみたところ、今に至っているというわけだ。
「監督。状態が問題なければGOでよろしいですよね?」
「よろしいも何も、決めるのはGMのあんただろ。俺は与えられた材料で勝ち点積み上げるしかないんだ。くれるなら使うよ、もちろん」
濱崎はその言葉を受けて木田にアポを取るよう指示を出す。
果たして彼は過去の栄光か、ダイヤの原石か。
濱崎は説得材料を整理すべく、改めて椋林翼のレポートに目を落とした。
**********
「Jリーグへの復帰を希望しています」
同月某日、黒船サッカーパークのミーティングルームで濱崎と木田が椋林翼と面談を行なった。
映像の時と身長はさほど大きく伸びていないが、少年の面影を残していた当時とは違い、体つきはアスリートのそれに変わりつつあった。怪我の間も継続的にトレーニングに励んでいた証拠である。
何のために鍛えているのか、その想定通りの回答にはふたりとも頷く。
「もうクラブとコミュニケーションは取っているの?」
「いえ、それはまだです。厳密には2年経過していないので、きっちり2年経ってからJFAアカデミーの方にどこか紹介してもらおうとは思っているのですが……見つかるかどうか…」
「何か不安なことがある?」
「その…前のクラブにいた時、練習行かなかったので、それが噂になったらしくて…」
話を聞くに、クラブ側からはメディカルチェックにて完治が確認でき次第、すぐに練習復帰を求められたのだと言う。怪我している間も選手に対しては一定の給与が支払われているわけで、早期に戦力としてチームへの貢献を求めるのはクラブとしては当然であった。
しかし椋林は万全を期すために2年経過するまでは練習に参加しないと、頑なに復帰を拒んだようだ。再発リスクの高い怪我である以上、念には念を入れたいという彼の考えも理解はできた。
「なるほどね。その過去が足を引っ張って、取ってくれるクラブがないんじゃないかと思ってるのか」
「気にするところは気にするんじゃないかと、思ってます」
「それは、そうだろうね…」
活躍が保証されているような実績があれば別かもしれないが、椋林がプロサッカー選手として試合に出ていたのは3年前。ただでさえリスキーな獲得であるのに加えて、組織に楯突いたような人間を果たしてクラブ側が取りたいと思うか、そこはなんとも言えなかった。
「じゃあ逆に言うとプレイの面で不安はないのかな?」
「自分の力が出せればプロでも通用すると信じてやっていますが、怪我のリスクを怖がって、本気で当たりにいけなかったり、走れなかったりするほうを心配していますね…」
「ううん、それは心理的なところもあるから、やってみないと何とも言えないね…」
ただそれもありえる話だった。無意識に自分の力をセーブしてしまい、結果としてプロレベルの競争力を失ったしまうようなケースもないわけではない。
「つまり不安だらけということだね」
「濱崎さん、3年のブランクがあるんですから、当たり前ですよ」
「でも約3年間、よく腐らずに準備してきたね。もちろん家族の支えがあってのことだとは思うけど」
濱崎の言葉に椋林は頭をかいた。
「家族には本当に迷惑かけてきたんで、自分にできることなんてサッカーしかないですから、恩返ししないと…。それに、弟がずっと俺がプレーするのを待ってるんですよ」
弟の空くんは交通事故に遭って以来、下半身が麻痺してしまい、それこそ自分以上に死ぬ物狂いでリハビリに励んでいたことを椋林は教えてくれた。
「結局まだ弟の足は動かないですけど…分からないじゃないですか、人間の体なんて。だから、あきらめるわけにはいかなかったですね」
大怪我を二度経験してもまたサッカー選手として活躍できるようになるということを弟に見せたい。それが椋林の強烈なモチベーションになっていることを二人は知った。
「今回こうして我々と話しているのは、ある意味弟さんがきっかけということもあると思うんだけど、それについてはどう?」
「あ、はい。実はかなり驚いていて。…怪我してからあまりサッカーの話とか弟とはしたことなかったんです。気を遣ってもらってたんだとは思うんですけど。それが急に、だったから」
今までの情報を整理した上で改めて濱崎が姿勢を正した。
「椋林選手、Jリーグ入りを希望する君にとっては最優先の選択肢ではないかもしれないが、改めてうちでプレーすることを検討してくれないか? 自宅からも通える距離にあるし、ご家族の理解も得られていると思う。恩返しという意味なら、年俸に関しても、おそらく今から入れそうなJリーグのクラブと遜色ないオファーを提示できる」
つまり新しい環境に慣れる必要なく、今の生活を続けたままお金をもらってサッカーができる環境を用意できるという意味であった。
「キャリアに関して言えば、うちはまだ県リーグ1部のチームだけど、ポジティブに考えるなら、リハビリも兼ねて徐々にプレーの強度を上げていける環境だよ。今年は厳しいかもしれないけど、来年関西リーグへ上がれば、そこでの活躍は上のカテゴリからも評価されると思う」
少なくともJFLレベルでは会話が通じるはずだ。そしてJFLまでいってしまえば、プロリーグはもう目前である。
「それにチャンスがあれば、もちろん移籍もさせてあげられる。実際に今うちの選手がひとりタイのプロリーグにレンタル移籍しているしね。あとは、もし君が将来ヨーロッパとか、海外のリーグに行きたいという希望があるなら、僕は去年までオーストリア一部のチームでアシスタントコーチをしていたから、そのあたりの事情に詳しいし、それなりのネットワークは持っているつもりだよ」
椋林は濱崎の話を頷きながら真剣に聞いた上で、質問した。
「あの、自分の怪我についてはいかがですか?」
「…さっきの話は、君の考えはよく分かるけれど、僕はGMだからね、給料を払っている分働いてもらいたいというのが本音だ」
「そう、ですよね…」
「ーーーだから契約で縛るのはどうかな」
「契約?」
濱崎は手元にあった選手契約者のドラフトを椋林に渡した。
「多分そういう話になる気がしていたから、君が希望する場合は例外として、1試合のプレー時間を45分に限定する条項を織り込んで作ってある。これなら無理にプレーさせられることもないだろう?」
「…すごいですね。それは考えたことありませんでした」
「うちは選手との関係は対等だ。杓子定規にクラブのやり方に従えというつもりはないよ。契約期間も来年3月までとしているから、飼い殺しみたいなことをするつもりもない」
椋林は渡された契約書に目を通してから顔を上げた。
「ありがとうございます。その…お時間を頂けませんか?」
「ああ、もちろん。ご家族とも話し合って決めてくれ。そうだ、次の試合いつだっけ?」
「再来週ですね、アウェーゲームですけど」
再来週の日曜日にリーグ戦の第3節、紀北サッカークラブとの一戦が予定されていた。
「和歌山市まで行くことになるけど、もしよければウチの試合見にきてみない? サポーターのバスが出るから、それに乗ってくれれば直接現地に行けるはずだ」
「はい、ありがとうございます! たぶん弟も行くみたいなので、一緒に行かせて頂きます」
椋林翼をクラブハウスの入口まで見送ってから、濱崎は軽く背伸びをしてからミーティングルームへ戻る。
「ガラスのエースになりますかね」
「もうダイヤモンドかもしれないよ。復帰に懸ける気持ちは本物だったと思う」
「後は実力が伴っているかどうか、ですか?」
木田の言葉に濱崎は笑った。
「そもそもうちに入ってくれるかどうかだろ。次節はなんとしても気持ちの入った良い試合にしないとなあ」
「梅雨に入ってくるので、天気も心配なんですよね…」
色々な意味で次の試合はシーズン開幕早々にして、大一番になることは間違いなさそうだ。
次回のチームミーティングのスケジュールを眺めながら、濱崎はそんなことを思っていた。
つづく。




