第76話 車椅子のムック(20/4月)
(簡易人物メモ)
椋林晶子(初): 椋林空の母
椋林空(初): 木国小学校5年、車椅子の少年
西野裕介: 木国小学校5年、西野裕太の弟
下村健人: 木国小学校5年、下村健志の息子
真田翔太: 木国小学校5年、真田宏太の弟
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2020年4月、桜の開花とともに子供達にとっては入学シーズンの到来である。
木国市の外れに住む椋林晶子は、息子の空を連れて、家の近くの喫茶店へ向かう途中であった。
その喫茶店は外観からは想像できない繊細な味のコーヒーが出てくることで、椋林家の中では有名である。そもそもその喫茶店の外見は喫茶店らしくはまったくない。ウッドデッキと真新しい木目調の外観は、さながら…なんだろう。
「山小屋?」
下から聞こえてきた息子の言葉にくすくすと笑って、目の前に続くやや舗装されていない砂利道を前に、晶子はぐっと力を入れて前傾姿勢を取った。
随分と重くなった。車椅子と我が子の体重を両手で感じながら、晶子は泣きそうになった。空は下半身に障害を持っていた。
空がその喫茶店ーーー「ジョージ屋」が好きなのは、店内に至るところにサッカーを感じられるからだ。昔はもっと古びた店構えで、今は新しく山小屋風にリノベーションされたが、サッカーだらけの空間は変わっていなかった。
息子は兄の影響でサッカーが大好きだった。小学校に上がる前までは兄の真似をしてよくサッカーボールを蹴って転んで泣いていたものだ。車椅子の生活になってもサッカーを変わらず好きでいてくれたことには感謝したい。事故からもう5年が経とうとしている。
「あ…」
息子の声を聞いて我に返ると、ジョージ屋の前で多くの人が道の端々に散らばって、なにやらトングのようなものを持って視線を下に向けている。その中には子供の姿も混じっていて、明子と同じく、息子の声に気がついたのか、その内の何人かが手を止めてこちらに視線を向けてきた。
「あ、車椅子のーーー」
「おいっ…!」
風に乗って子供達の声が僅かに聞こえる。障害者を含めた社会的なマイノリティへの理解が進みながらも、まだ大人と同じような配慮には苦労している、そんな様子が受け取れた。
「同じクラスの子だ」
「え? あ、そうなの?」
「うん、クラス変わったばかりで、まだあんまり話したことないんだけど…」
空はややバツが悪そうな表情で俯いたものの、ぐっと唇を噛み締めてから、意を決したように自由に動かせる上半身を使って、前のめりに声を張った。
「なにしてるのーー!」
子供達はその思いきった声に驚いたように目を見開き、友達同士で顔を見合わせると、3人がこちらへ向かって走ってきた。空の顔が少し興奮しているのが分かる。声をかけることだって、とても勇気のいることなのだ。
「ボランティア!」
「ボランティア?」
「そう、ゴミ拾いして街をキレイにしてるのさ。…あんまりゴミ落ちてないけど」
左手に持った半透明のゴミ袋はまだ中身がスカスカだった。
「みんな、なんでボランティアしてるの?」
「ん!」
息子の疑問に答える代わりに、3人組のひとりが、横の町内会の掲示板を指差した。
『プロジェクト白船! 南紀ウメスタの選手と一緒に木国の街を綺麗にしよう!』
ポスターには大きな字でそう書かれており、白梅色に黒のラインが入った特徴的なユニフォームを身につけた選手(と思われる人)がこちらに向かってガッツポーズをしていた。
そういえば、子供達はこのポスターの男性と同じユニフォームを着ている。
「南紀ウメスタ?」
「そう、ウメスタのユニフォーム!」
「ーーーってなに?」
晶子もまったく同じ疑問が湧いてきたものの、目の前の3人組の頭上に振ってきた「ガーン!」の文字が目に浮かんできたので、咄嗟に口を閉ざした。
「し、知らないの!? そ、そこにおっきいサッカーのスタジアムあるでしょ!? 黒船! 黒船サッカーパークのことだよ! 前に俺たちスタジアムの中走って楽しくて、それでーーー」
「落ち着け裕介!」
他の2人に肩を揺さぶられた「裕介」が大きく深呼吸をした。
「なんでみんなユニフォーム着てるの?」
「俺たち、サポーターだから! サポーター番号の1番、2番、3番は俺たちなんだ! チームを支えてるんだぜ!」
「サポーター…Jリーグのチームなの?」
「え!? ち、ちがうよ…」
「つよいの?」
無邪気な息子の質問に、3人組は若干言葉を詰まらせながらも、勢いは殺さずに話を続ける。
「い、いま県リーグの1部! 去年も一昨年も昇格してて、今年昇格すれば、関西リーグ2部だよ!」
「ふーん…」
まったくピンとこない息子の反応に、頭を悩ませる3人組。おそらく社会人サッカーのことを指して言っていることは雰囲気で伝わってくるが、興味のない息子にとってはまったく分からない世界だろう。ちょっと見ていておもしろい。
「サッカー好き?」
それまで黙っていた3人組のひとり、翔太と呼ばれていた子が、息子に尋ねた。
「サッカー好きだよ、お兄ちゃんがサッカー選手だから…」
「え、そうなの? すごい、有名な人?」
「いや、有名じゃないんじゃない?」
「うん、『むくばやし』って名前の選手、聞いたことないもん」
あ、名前覚えててもらってたんだと晶子は驚き半分嬉しさ半分で話を聞きながら、どっちもどっちだが、さすが小学生。ストレートな言葉の応酬である。
「ゆ、有名だよ! Jリーガーなんだから!」
勢い余って口を滑らせた息子の言葉に、3人の目の色が変わった。
「え!? J1リーガーなの?」
「どこどこ、どこのチーム!?」
「え、ええと、甲府…に最初入ってーーー」
空が話終わらない内に3人組が被せてくる。
「ヴルカーノ甲府!? え、J1!?」
「いや降格してなかったっけ? いまJ2だよ確か」
「J2でもすごいじゃん! 翔太の兄貴とどっちがすごい!?」
「うっ…J2なら、宏ちゃんよりすごいかもしれない」
「すげえ!」
「ーーーあ、でも今は辞めちゃってて…」
息子の小さな声を聞き逃さなかった3人のテンションが一旦ゼロに戻る。
「そうなの? 今はどこのチームにいるの?」
「その…大怪我して、今はどこのチームにも入ってないんだ…」
「それ、治らない怪我なの…?」
「ううん。もう治ってるんだけど、まだボールは蹴ってない。再発するかもしれないから…治ってからも大事にしないといけないんだって」
「さいはつ?」
「また怪我するってことだよ」
「あ、そういうことか。ーーーそっかぁ。でも、分かるよ!」
「え…?」
その言葉に空は驚いたように声を上げた。まさか共感を得られるとは思っていなかったのだろう。Jリーガーの兄がいるという話が今は違うことを知って、がっかりされると思ったのかもしれない。
「いま健人のお父さんも怪我してて試合出れてないんだ! だからこの前の練習試合2連敗してて、ピンチだよ」
「健人くんのお父さんはサッカー選手なの?」
健人はトングを振り上げて胸を張った。
「うん! 3年くらい前までJリーガーだったんだ、J3だけど! 今は南紀ウメスタの選手!」
「すごいね…」
「ボランティア終わったらみんなで神社行くんだ! お父さんの怪我が早く治りますようにってまたお願いしに行かないと」
「みんなでお願いしにいくの?」
晶子の言葉に3人が声を揃えた。
「うん、当たり前だよ! 俺たちサポーターなんだから!」
「まぁ…」
「サポーターは12番目の選手! 背番号12はサポーター番号なんだよ!」
振り向いた3人の背中には12の数字が並んでいた。ただのファンは好きな選手のユニフォームを着るが、サポーターは背番号12のユニフォームを着るものだと彼らは力説する。
息子がJリーガーだったので、晶子もそのあたりは多少理解している。
たぶん遊びでやってない。この子達はこの子達なりに本気でサポーターをやっていることが伝わってきた。
「なぁ、健人…」
「ん…?」
3人組が突然、晶子たちから遠ざかり、わかりやすくヒソヒソ話をした後、戻ってきた。
「むくばやしくんのお兄さんもウメスタ入ればよくない?」
「え?」
その提案に、空ばかりでなく晶子も思わず声を上げた。
「だって怪我治ってるんでしょ? しかも元Jリーガーだぜ! すごい補強になるよな!?」
「うん、健人のお父さんも怪我でいないし、翔太の兄貴もタイに行っちゃって選手足りないから、ウチは補強が必要だ!」
「あはは、ありがとう…でも入りたいって言っても、すぐには入れてくれないんじゃないかしら…」
困った顔をする空の代わりに、やんわりと晶子が断り文句を口にしたが、そこにキッズサポーター達の十八番が飛び出した。
「大丈夫、健人のお父さんは選手だけど、去年までは監督もやってたんだ! 今もコーチだから、健人に言えばすぐ入れてくれるよ!」
「ええ!?」
さすがに本人がいない中でそんなことは進められないと慌てる晶子と、なにやら考え込む空。
勢いで空が兄の現状を伝えてしまったが、内情は子供たちが思っているより複雑なのである。プロサッカー選手が1年以上も無所属なのだ。母親である自分ですら、接し方には気を遣ってしまうのに。
「…お母さん」
「あ、ごめんね空」
「ーーー僕、お兄ちゃんに話してみようかな…」
「空…」
親が気を遣っているのは子供ながらに空も理解していて、家の中でサッカーの話題はあまりしないような生活が続いていた。
そんな空が意を決して明子を見上げるその眼差しに、晶子は頷いた。
「よし! じゃあ、一緒に神社行こう!」
「え?」
「お兄さんの怪我も早く治るようにお願いしに行こう!」
子供たちが両手を上げて空の車椅子を取り囲んだ。
「西野裕介! 木国JSCのゴールキーパー! 将来はウメスタの守護神になる予定」
「俺は下村健人。木国JSCのトップ下! 将来は南紀ウメスタの10番を着る!」
「真田翔太、木国JSCのフォワード。将来は海外でプレイする!」
勝手に自己紹介を始めた3人に合わせて、空も追随しようと身振り手振りで言葉を探していたところ、裕介が空に向かって指を差した。
「よし、ムックにしよう!」
「え?」
「むくばやしって言いにくいから、おまえは今日からムックだ!」
「むっく…」
「いいじゃん、ムック! いこう!」
「…うん!」
空は3人の呼びかけに応えるように、両手で車椅子を握りしめ、ひとりで前に進み始めた。
晶子は少し離れたところから4人を追いかけることにした。こうやって子供は親の手を離れていくということを目の前で見せつけられた感じがして、嬉しかった。きっと小学校生活もまた変わっていくのだろう。
後日、南紀ウメスタのサポーターグループであるシエロの公式サイトに新たなサポーター申請があった。サポーターNo.399 椋林空、サポーターNo.400 椋林晶子。シエロメンバーが400名を突破した瞬間であった。
つづく。




