第62話 ペルリの帰る場所
(簡易人物メモ)
森田梢: 黒船ターンアラウンド 社員
糸瀬貴矢: 黒船サッカークラブ 代表
矢原智一: 黒船サッカーパーク 代表
細矢悠: 黒船ターンアラウンド 代表
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紀伊銀行から開示された、ミナミエステート関連融資に紐付く対象物件は10件に上った。
糸瀬から案件のハンドリングを任された細矢は、すぐに森田を呼び出し、ロールアップの指示を出した。
ロールアップとは、バルクセールと呼ばれる不動産や債権などの「まとめ売り」案件を手がける際に、不動産鑑定士などアセットの評価に精通した人間から直接投資家が説明を受けることである。
森田は、銀行時代に付き合っていた不動産鑑定士に加えて、個人の判断で懇意にしているリノベーション業者も同席させて、対象物件のデューディラジェンスを依頼した。
ロールアップには黒船経営陣全員が参加し、買取候補となる物件は3つに絞られた。
「ーーーまず投資方針ですが、全部保有するという認識でよろしいですよね?」
森田の問いに三人が頷く。例えば、候補物件のひとつである白浜町のリゾートマンションは分譲、つまり建物完成後、部屋ごとに販売していく想定で計画されていたようだが、将来にわたる収益力を重視する黒船にとって目先の現金は必要ない。つまりすべての物件は自社で保有し、各物件から賃料収入を得ていく、いわゆるインカムゲインに貢献するアセットとすることが前提であった。
「まず候補物件から、開発に時間がかかるような建築中のものは候補から除外しました。また物件の評価額と紀伊銀行が設定している抵当権の金額が近いものも投資妙味がないので外しています。その中で、3物件の取得を提案したいです」
物件#1。白浜町の新築リゾートマンション。現在建築途中だが、竣工は2020年3月であり、4月からキャッシュフローが発生するため許容し得ると判断。69戸の満室時想定賃料は年額1.1億円、物件評価額は11.7億円と試算。取得原価は担保設定額3億円+残工事代金5億円の計8億円。十分採算の取れる投資と考える。
物件#2。和歌山市内、吹上のマンション。築20年と新しくはないが、和歌山市内を代表する高級住宅街であり、足元の稼働率は67%と奮っていないが、きっちり募集をかければ埋められる物件と判断。52戸満室時想定賃料は約6,000万円、評価額は6.4億円と試算。取得原価は担保設定額2.5億円であり、ポートフォリオの中で最も採算性の高い物件とみている。
最後に物件#3。木国駅から徒歩圏内の築25年のマンション。37戸とユニット数が少なく間取りも狭い小振りな物件ではあるが、地元エリアの物件であり、単純な投資以外での使い道も考えられることから候補に含めた。満室想定賃料は2,200万円。評価額は2億円と試算。取得原価は担保設定額1億円である。
「以上を合計しますと、トータル20億円の物件を11.5億円で取得する案件と位置付けています」
「ぜんぜん悪くないな」
最も見立ての厳しい矢原をして、十分その価値があると判断できるポートフォリオである。儲かる嗅覚はすごいだろうと横で自慢している糸瀬は皆からスルーされた。
「評価額のアップサイドはないの?」
「先程同席していたリノベ業者のプランに沿うと、築20年以上の物件において空いている部屋はリノベしてバリューアップすることにより、募集賃料を20%程度引き上げることが可能と思われます。リノベ費用は4〜500万円の想定なので、まとめてやると相応のコストにはなってしまいますが、長期保有する意味では悪くない投資かと思う、んですけど…」
「ふーん…じゃあ、それでやってみる?」
「ありがとうございます!」
改めて黒船経営陣は、森田の能力の高さを感じていた。分かっている人間からすれば、ある意味作業的なプロセスであるものの、彼女の言葉はすっと入ってくる。スムーズに会話が進むほど、任せてみようかなという気になるものである。
「でも11億円はやばい金額だぞ。金どうするよ」
「さすがに案件の性質上、紀伊銀行は貸してくれると思えないので、いま紀南信金の担当者に声かけています。もうすぐ融資金額の目線は出てくるかと思います」
「あ、一応理事長には話通しといたよ」
ありがとうございます、と森田が糸瀬に頭を下げた。銀行の不動産融資における金額の目線は保守的な見立で物件評価額の70〜80%に収まることが多い。今回の対象物件の評価額20億円からすれば、少なくとも11億円以上の融資が出る可能性は高いものと思われた。
「お金の問題もクリアできるなら、進めましょう。会社作ります?」
「うん、そうだね。3物件ともなると、会社分けたくなるね。これからもなんか良さげな不動産転がってるかもしれないから、増やしていくことを考えても、その方がいい」
黒船ターンアラウンドの100%子会社である株式会社黒船リアルエステートの設立が決まった。西野黒船食品、黒船ホテルマネジメントに次ぐグループ3社目の子会社である。
事業目的は不動産投資。西野黒船食品における福島の立場と同じようなポジションを森田に当てこもうという狙いもある。規模が拡大するにつれて創業メンバーだけでは手が回らなくなる。タイミングを見て権限委譲は積極的に行うべきとの判断であった。もちろん将来的にではあるが。
「あ、最後に大事なことがあります」
改まって森田が発言すると、席を立とうとした三人が座り直す。
「名前です」
「名前?」
「物件の名前ですよ。うちで保有している物件、特にマンションはシリーズにしたくないですか?色んなデベがやってるみたいに」
「あー、でも別に1から作ってるわけじゃないからなぁ」
「物件の名前自体にブランド力のあるものは、もちろんそのままでいいと思うんですけど、もしミナミエステートが潰れたら、その名前使ってるのはマイナスですよ」
それはそうだ。間違いなく縁起の悪い物件と見られることになる。
「じゃあ、ほっしー」
「はい。無論考えてきております」
黒船の中で名付けといえば細矢だ。南紀ウメスタSCも細矢の発案である。
細矢はすでにアイデアをまとめてきているようで、すぐに立ち上がって皆の前に出た。
「結論から申し上げると、『セイラ』でいきたいと思っています。デベ風に言うなら、セイラマンションシリーズ」
「おん、なんでセイラ?」
「説明します」
ネーミングにあたり、やはり社名である黒船スタートで連想ゲームすることから細矢は始めた。
船や海洋業界の言葉を拝借した名前は、不動産はもちろん、飲食店の名前などにも広く使われている。
「欧米では古くから船に女性の名前をつける文化があるそうです。船乗りからすると船は家と同じ。帰ってくる場所として、女性的な意味を持たせたい、そんな発想からきているものと考えられています」
「なるほど? あ、女性の名前だからセイラ?」
「間違ってはいませんが、もう少し先があります」
細矢が首を振った。
「黒船といえばなんですか?」
「…外国人?」
「もう少し具体的に」
「ペリー来航」
「それ!」
細矢は矢原を指差した。黒船といえばもちろんマシュー・ペリー提督である。当時は「ペルリ」と日本人から発音されていたようだが。
そしてペリー来航とは、言わずもがな、1853年にマシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に来航した事件である。当時の江戸幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、翌年の日米和親条約締結に至った。幕末と呼ばれる時代の入口となった出来事だ。
「セイラはペリー提督のお母さんの名前です。セイラ・ウォレット・アレクサンダーさんですね。船を家として捉えるなら帰ってくる場所はお母さんのイメージなのかなぁと…」
「………」
「あれ!?」
渾身のネーミングを発表したにも関わらず、周りの反応のあまりの薄さに、細矢はずっこけそうになった。
「それだけじゃないですよ! セーリング船とかに使われてるSail(帆)にも掛かってるんです!」
「おお、わかったわかった。それでいいんじゃない、もう」
「適当だな!」
「わかりました。わ、私はすごくいいと思います、細矢さん。じゃあ…物件名はそれぞれセイラ白浜町、セイラ吹上、セイラ木国ということでよろしいですか?」
「異議なし」
「異議なし」
本案件のプロジェクト名称は転じてPJ:Saraに決まり、以降の関係者とのやりとりにこの名前が使われていくことになる。
その後、ミナミエステートの倒産手続に巻き込まれることなくスムーズに関係者とのやりとりを進めた黒船グループは、紀南信金から総額15億円の融資調達を行い、2月末日付で3物件の引き渡しを受けた。
こうして、今後黒船グループを支えていく安定収益源として、黒船リアルエステートは存在感を発揮していくことになるが、それはまた先のお話。
また、なんとか工事代金の未払問題を回避できた田辺組は引き続きホテル建設に邁進し、一方の紀伊銀行も迅速な不良債権処理が進められることで溜飲を下げつつ、追加で黒船グループからスポンサー支援を強請られることとなるのであった。
つづく。




