第61話 尻拭いの対価(20/1月)
(簡易人物メモ)
糸瀬貴矢: 黒船サッカークラブ 代表
細矢悠: 黒船ターンアラウンド 代表
田辺善次: 田辺組 代表取締役
田辺和善: 田辺組 専務取締役
諸住(初): 紀伊銀行 木国支店 法人部長
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2020年。その連絡は元日だった。
三が日を終えた年明けの早々に、現在黒船サッカーパークの開発工事を一手に引き受ける田辺組の社長である田辺善次に呼び出され、正月から暇そうにしていた細矢を連れて、田辺組の本社を訪れたのである。
応接室に通されると、そこには社長である田辺善次、善次の息子である専務取締役の田辺和善、そして見知らぬ中年の男がひとり同席していた。
「紀伊銀行?」
「…はい、諸住と申します」
諸住は紀伊銀行木国支店の法人部長の肩書きをもって、こちらに頭を下げた。やや大袈裟とも言えるその仕草はおそらく過去の経緯を把握しているからだろう。紀伊銀行木国支店の法人部長ということは、西野農園の時に散々やらかしたあの支店長と副部長の間にいるポジションに当たる(第23話参照)。
もちろんその後は弱みを握られた立場として、何本も融資を通してもらっているので、持ちつ持たれつの関係になりつつあるが、やはり糸瀬にしても細矢にしても、一定の警戒感は拭えなかった。
「糸瀬くん、正月早々から本当に申し訳ない」
「あけましておめでとうございます、社長。…良い話じゃないことは察しますけど、どうされたんですか?」
歯切れの悪い善次の代わりに、息子の和善が口を開いた。
「糸瀬さん、ミナミエステートという会社をご存知ですか?」
「すみません、知らないです。ほっしー、わかる?」
「私もちょっと存じ上げないです。名前からして不動産系の会社ですか?」
株式会社ミナミエステートは、2010年に創業した新興の住宅デベロッパーである。関西エリアを中心に、リーマンショック直後の下落したマーケットに対して積極的な投資をおこなってきたことが功を奏し、その後不動産市況の回復に合わせて業容を拡大させていった。
基本的には投資用マンションの開発販売が主体であったが、昨年、足元増加するインバウンドをターゲットとして、白浜町にリゾートマンションの建設を進めており、その他にも複数のマンション開発を同時に行なっていたらしい。
しかしながらその裏では、建築コストの高騰を背景として各プロジェクトの利益が圧迫され、自転車操業のような状態にあったようで。
「極め付けは、大阪で開発予定だった大型物件の土地に埋設物があることが発覚し、工事がストップしてしまったらしく、諸々ひっくるめて、資金繰り的には今月末を越せないのではないかと言われています」
「やたら内情に詳しいですね…」
「それは、ここにメインバンクの方がいらっしゃいますから」
「ああ…」
恐縮するように諸住が身体を小さく丸めた。
糸瀬も細矢も金融機関時代にこの手の話は慣れており、なんとなくすべて聞かずとも全体像を把握し始めていた。
「それで御社とのご関係は…? 受注してるんですか、そこの工事」
「はい…仰る通りです。先程お話しした白浜町のリゾートマンションは弊社が受注しており、ほとんど外側は出来上がっている状態ですが、このままでは…」
工事を完成させたところで、ミナミエステートから工事代金が払われそうにない、困ったぞ、そういうことだった。
「いくらですか? 残代金」
「…約6億円です」
「10-10-80(テンテンパー)ですか?」
「そうです」
工事代金の支払方法として、着工時10%、上棟時10%、竣工時80%に分割して支払うことをテンテンパーと呼ぶ。和善の言う6億円とはこの竣工時、つまり工事完成時に施主から受け取る工事代金のことを指して言っているのだ。
「それで、メインバンクさんはこのマンション開発用地を担保に入れてるってことでよろしいですか?」
「仰る通りです」
「ローンの残高はいくらあるんですか?」
「この物件に関しては土地代のみ出しているので、残高は3億円ですね」
状況を整理すると、紀伊銀行はミナミエステートに融資した3億円を返済してもらいたい。一方の田辺組はミナミエステートに工事代金の残額6億円を払ってもらいたい。しかしミナミエステートが資金繰り破綻してしまえば、どちらにも対応できないということになってしまう。
銀行はローンの担保として土地に抵当権を設定しているため、担保実行により強制的にこの土地を売却して資金化することで、ローンの回収が実現できるはずなのだが。ここで問題となるのが田辺組の存在である。
「御社としては商事留置権を主張されるわけですよね?」
「もちろんです」
糸瀬の問いに和善が頷く。紀伊銀行の諸住がため息をついた。
商事留置権とは、商行為によって発生した債権が全額弁済されるまで、その行為によって占有しているモノを留置できる権利のことである。
今回のケースに当てはまると、ミナミエステートから田辺組が受注した工事取引が商行為。未だ払われていない工事の残代金が債権である。そして行為によって占有しているモノとは、現在建設中のマンションそのものだ。
つまり、大幅にざっくりまとめると、田辺組は建設途中のマンションを占有しており、仮に銀行が担保実行しようとしても、この商事留置権が有効である限り、銀行は実質回収には動けないというわけである。
一方で、田辺組もマンションの建物だけを売却しようとしたところで、銀行が権利を有している土地がない限りは不動産としての価値は生まれず、結局はどちらも身動きが取れないというのが現状であった。
ただ糸瀬にとっても細矢にとっても、田辺組にとっても、銀行にとっても、今回のような状況は珍しくもない。それこそリーマンショックの時にはそこら中に転がっていた、よくある話である。
「…で、我々がここに呼ばれたのはどうしてですか?」
糸瀬の問いに、対面に座る3人はお互いに顔を見合わせてから、田辺善次が口を開いた。
「糸瀬くんにこんなお願いをすること自体間違っとるのは百も承知。その上で、何とか事態の解決に向けて、人肌脱いでくれないか」
「ーーーさすがに、虫が良すぎませんか?」
口を挟んだのは細矢である。
彼らは黒船に土地代見合いの融資3億円と残工事代金6億円、合計9億円を肩代わりして払ってくれと、そうお願いしているのだ。
「なぜ我々が貴方たちの尻拭いをしなければならないんですか? 確かにここまで事業を拡大してこれたのは田辺組さんのおかげだし、紀伊銀行さんから借入もしています。それに感謝してるなら困ってる自分たちのために9億円?10億円?払ってください。そういうことですよね?」
相手のことをよく調べずに施主に優しい支払条件を提示して工事に踏み切ったゼネコンと、資金繰りのリスクを知りながら担保があるからとか何も考えずに融資した銀行。
リスクとリターンは表裏一体。ビジネスで1億円儲かった案件があったとすれば、それはイコール1億円、場合によってはそれ以上の損失が発生するリスクがあったということである。そのリスクが表面化したからと言って、誰か穴埋めしてくださいなんていうのは都合が良すぎる。
細矢の言葉は正論であり、それを理解している田辺組の親子は俯いて押し黙った。
しかし、そんな中でむしろ一番沈黙していた男がここにきて口を開いたのである。紀伊銀行の諸住だ。
「ひ、開き直っているのを承知で申し上げれば、ある意味これはビジネスチャンスではないですか?」
「…ほう」
糸瀬がぴくりと眉を動かした。
「開発リスクをほとんど取ることなく、69戸の…このエリアでは大型の新築マンションを取得できるわけです。しかも工事代金の内8割は残っていますが、裏返せば2割はミナミエステートが払ってくれている。20%のディスカウントがある状態で買えるということです」
細矢は笑みを押し殺して俯いた。…紀伊銀行にもまともな人間がいるじゃないか。
ビジネスの世界にボランティア精神は存在しない。どんな状況であれ、この世界は需要と供給。耳障りの良い言い方をすれば、諸住は相手の立場に立っていま発言をしている。自分が助かりたいために何も考えずに頭を下げにきたわけではないということは確認が取れた。
糸瀬が身を乗り出した。
「おもしろい。つまり助けて欲しいわけじゃなくて、あなたは我々に儲け話を持ってきてくれたというわけですね?」
「そ、そうです! その通りです」
「善次さん、和善さんもそうですか?」
話の流れからして二人も頷かざるを得なかった。
「分かりました、投資家として検討します。それならここから先はビジネスの商談ということになりますね。…ではまず、和善さん。この工事の粗利率は何%ですか?」
「19%です」
細矢が頭の中で電卓を叩く。残代金6億円が総工費の8割に相当しているため、割り戻すと受注金額は7.5億円。その19%にあたる1.4億円が利益だということになる。
「では、うちが代わりに5億円払います」
「え?」
「創業二期目のどベンチャー企業であるうちに6億円はとても無理です。でも5億円であれば払えるかと思います」
当初想定利益1.4億円の内、1億円分を泣いて、4,000万円の利益で我慢しろ。そういうメッセージを笑顔を込めて田辺組に投げかける。善次も笑顔で応えた。
「損が出ないだけでもありがたく思わなければいけないところ、利益まで残して頂き、ご配慮痛み入る」
「話が早くて助かります」
糸瀬は頷くと、今度は横にいる諸住にターゲットを移した。
「諸住さん、先程『この案件の』ローン残高は3億円と仰いましたね。他にも融資出してるんですか? メインバンクだからもちろんやってますよね」
「や、やっています」
「資料全部出してください。うちが買いたいやつ選ぶので、全部担保実行してうちに売却してください。もちろん紐付いてるローンはきっちりお返しします」
「す、すぐ動きます…!」
最後に、糸瀬は細矢の方に向き直った。
「じゃ、よろしく」
「ういす」
糸瀬得意の「絵は描いた。あとはやれ」である。いま糸瀬がそれぞれに説明したのはいわばゲームのルールだ。
ここからゲームを攻略するのが細矢であるが、こういうときの糸瀬のルールはだいたい勝てるように設計されているのだからすごい。
こうして後程命名される「PJ: Sara」は静かにキックオフした。
つづく。




