第59話 裏方の年末(19/12月)
福島亜紗: 西野黒船食品 執行役員
森田梢: 黒船ターンアラウンド 社員
進藤唯: 黒船サッカーパーク 社員
白坂: 森青葉法律事務所 弁護士(出向中)
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2019年12月。年末が近づいてきた黒船グループの社員一同は、黒船本社ビルの2階に揃って、それぞれが今月末の経営会議用の資料作りに追われていた。
資料のまとめ役はバックオフィスのスタッフの中で、一番最後に入社した黒船ターンアラウンドの森田梢である。
森田は夏に手がけたホテルプロジェクトをはじめとして個別の案件にジョインされる一方で、元銀行員というキャリアを活かして、グループ全体の数字を管理する役割も申し付けられていた。
「…福島さん、すごいですね」
「え、なにが?」
森田の向かいのデスクに座ってキーボードを叩いていた福島亜紗が、ディスプレイの横から顔を出した。
「黒船食品の売上。このペースなら目標の1,000万円、達成できるんじゃないですか?」
「お、見てるね梢ちゃん。みんなめっちゃ頑張ってるから! こっちも早く外注先決めてあげないと…」
南紀ウメスタSCに所属する大橋、小久保、西野を中心に西野農園のスタッフが総出で毎日製造しているが、そろそろ現場のキャパシティに限界がきている。早く外注先を見つけて工数の削減や、販売ルートの開拓に力を入れれば、来年は確実に跳ねると福島は話す。
現在の黒船グループの各社員は経営陣が鶴の一声的に引っ張ってきた若手ばかりであるが、その中でも福島の実績は際立っている。
先日、福島は正式に西野黒船商品の執行役員に任命された。西野農園の西野社長が黒船食品の代表も兼務している中、実質福島が会社のトップであると内外に周知されたわけである。
「私だってやってるからー。今はライブの準備で忙しいけどさー」
福島の横でぐちぐち言いながらパソコンと向かい合っているのが黒船サッカーパークの進藤唯である。彼女は地元のライブイベントの仕切り役として働いていたが、黒船にスカウトされて今は正社員として働いていた。もちろんシーズンオフに当たる今、特に年末はライブのお手伝いとして各イベント会場に顔を出している。
「サッカーパークってライブのイベントとして使えないんですか?」
「収支が合わないんだよー。使った後の芝のメンテナンスとか考えると、箱をかなり埋められるアーティスト連れてこないといけないんだけど、今年は失敗しちゃったかなー」
「完全にスタジアムのスタッフになりましたね、進藤さん」
進藤のさらに横で眼鏡の位置を正しながらキーボードを叩いているのが森青葉法律事務所の若手弁護士、白坂である。
彼は黒船グループにおける全ての契約周りの実務を担当している。福島の手掛ける黒梅袖の製造の外注にも契約書が必要になるし、先日の真田宏太の期限付移籍の契約書をラーチャブリーSCのリーガル担当と擦り合わせたのも白坂だ。
「先生なにしてんの?」
「年明けから交渉が始まる各選手との選手契約書をレビューしています」
「へえ、むずかしそ。先生の給料って高いの?」
「新人の弁護士はたいしてもらえないです。私は出向扱いなので、所属している森青葉法律事務所から給与は出ています」
厳密には弁護士事務所は給料制ではない。各案件の責任者であるパートナー弁護士が都度アソシエイトと呼ばれる若手弁護士を雇って働かせるのだ。個人事業主に雇われている個人事業主のような扱いである。
「みんなこんなに頑張ってるんだからさー、ボーナスくらい欲しくなーい?」
「確かにそうですねえ…」
「え、ボーナス…出ます、けど」
机に突っ伏して愚痴る進藤と、それに同調した福島が、森田のつぶやきにガバッと顔を上げた。
「え、ボーナス出るの!?」
「知らない知らない。なにそれなんで梢ちゃん知ってるの!」
「え、あ、お、落ち着いてください…!」
数字を管理する、より経営に近い位置にいる森田は、当然近々で支払われる経費についてある程度把握しており、今年はボーナスが出ることを知っていた。
今年は黒船グループの各社員はもちろん、南紀ウメスタSCに所属する全選手に一律20万円のボーナスが出ることが決まっていた。
「ご、ごめんなさい。もしかしたら内緒にしてたのかな。い、言っちゃいけなかったのかも…」
「え、わたしらの間で秘密とかナシじゃない!?」
「そうだよ、わたしなんて一応役員だからね!? 子会社だけど!」
銀行員であった森田にとって、毎年ボーナスが出ることは当たり前であり、逆に話す事自体に何の疑問も抱いていなかった。
「え、それ知ってるならさ、矢原さんの給料教えてよ! いくらもらってんの」
「じゃあついでに細矢さんの給料も知りたい!」
森田は、直属の上司がいくらもらっているかを無理やり書き出そうとする二人をぽかんと見つめながら。
「え、矢原さんも、細矢さんも、糸瀬さんも給料ないですよ?」
「え…?」
突然、一筋の寒々しい北風が密閉された室内に吹いた気がした。
「もらってないの?」
「はい、役員報酬は全員0円です…」
「な、なんで? だ、だめだよ。ほら、弁護士。これ違法でしょ。労働なんとか法に違反してるでしょ」
進藤がぐいぐいと横の白坂を引っ張る。
「ひ、ひっぱらないでください。す、スーツが伸びる。…ーーーお三方は労働者ではないので、労働基準法にはそもそも該当しません。役員報酬が0円なのも、望ましくはありませんが、違法ではありません」
黒船グループの資金はすべて糸瀬、矢原、細矢の3人から出ているので、そこから役員報酬をもらったところで、例えるなら自分の持っている長財布から自分の持っている小銭入れにお金が移るだけ。実質は動いていないということになる。
厳密には税金の観点で多少の違いは生まれるかもしれないが、彼らの目標からすると、役員報酬が引かれれば、その分各会社の利益は下がってしまうわけで、給料をもらうメリットがないという整理だった。
「し、仕事しようか」
「そ、そうね…」
現実を知った福島と進藤が席に座って再びキーボードに向かい始める。
本来であれば憧れの上司の稼いでる金額に早く追いつきたいみたいなことはサラリーマンにとって目標のひとつになり得ることだが、そもそもすでに上司より給料をもらってることが分かると、これはもうひたむきに働くしかなかった。
「でも春になったら賑やかになるね」
「あ、そうだね。わたしらも一端の先輩になるから」
実は南紀ウメスタのリーグ戦昇格の裏で、各黒船グループに、新入社員が入ることが内定していた。
黒船サッカークラブ、黒船サッカーパーク、黒船ターンアラウンドにひとりずつ人員が追加される。
「それにしてもすごい人数の応募だったよね」
「ええ、採用率で言ったら大企業並みだったと思いますよ」
初めから募集人数は3人と決まっていた。元々いる社員が10人もいないので。それでもバランス的には多いほうだが、それに対して100人に迫る応募があったのである。
まだ会社自体立ち上げて1年そこそこの会社からすれば異例の事態だったことは間違いない。
要因は、そもそも会社自体に話題性があったことに加えて、サッカーを軸として事業展開する企業のオリジナリティや、wetubeで配信している定例の経営会議を通じて上場会社ではないにもかかわらず、詳細な企業としての数字を公表しているという透明性が評価されたのだと皆は結論づけていた。
応募要件はたったひとつ、和歌山県にゆかりのある人。具体的には和歌山県在住かつ和歌山県の学校に3年以上在籍したことのある25歳以下の男女。
そういった意味ではいわゆる新卒採用とは少し毛色が違う。細矢曰く、今年の1月に実施した南紀ウメスタSCのセレクションの黒船版だとのこと(第12話参照)。
ちなみに教育係は木田、進藤、福島の3名だった。教育係の3人は実際に書類選考、面接選考すべてに関与しており、言わば彼らの取りたい人がやってくるのだ。
「なんか、街が動いてるのを感じる、わたし」
福島の言葉に他の残業メンバーも頷いた。ゆっくりではあるが、確実に黒船の名前は地域に浸透している。
「もうこの際、サッカーチームが有名になる前に黒船の名前の方で有名にしちゃおうよ」
「おもしろいですね。そういう気持ちでやったほうが面白いかも」
年の瀬。
一部の大企業はとっくにお正月休みが始まっている中、小さなオフィスで残業する皆の顔は希望に溢れていた。
つづく。




