第58話 県2部リーグ第8節②
木田: 南紀ウメスタSC データ収集班
高橋: 南紀ウメスタSC サポーター
※各選手は省略
ーーーーーーーーーー
【11.17. 15:15 黒船SP Field of play】
自分だけ浮いている、その感覚に気づいた。
なぜ皆は真田が出場しないことでモチベーションを高められたのだろう。
それはきっと、自分自身を奮い立たせたのだ。選手ひとりひとりが「俺がチームを勝たせるんだ」という気持ちになったのかもしれない。
なぜチームを勝たせるモチベーションを皆は持っているのだろう。
それはきっと、勝利の先に目指すものがあるから。チームの昇格、個人の評価、人生の転機。
「そうか、お前はそうじゃないんだな」
そう、自分はそうではないのだ。自分だけ今この瞬間に走っていることが自分事ではないのだ。
誰かにとって必要な人間でありたいという、その根源的な欲求が満たされていたのが今の環境だった。初めてピッチに立ったその時からそうだった。
じゃあその誰かがいなくなったら? なんのために走ればいいのか分からない。
「おまえは他のみんなと別に違ってないよ。全員同じ気持ちを持ってやってる」
全員が誰かから必要とされたくて走っている。なぜなら社会の中で人間は他者の存在なくして生きてはいけないからだ。
「じゃあなんで後半、おまえはまたピッチに立とうとしている?」
それは、ここで自分が急にいなくなったら皆に迷惑をかけるから。
「なぜ、いなくなったら迷惑をかけると思う?」
それは、この試合で自分が活躍できると信じて選んでくれた人がいるから。自分がピッチに立つことを応援してくれている人がいるから。
「それは必要とされてるってことじゃないのか?」
それは。
それはそうだ。そうなってしまう。
でもそれなら、なぜ自分は奮い立たないのだろう。
「目が見えてないだけだよ」
その誰かを自分が認識しなければ、自分が走る理由に結びつけられないのかもしれない。ひどく不自由な生き物だ。
「目を開ける方法を教えてやる。まず耳を開けるんだ。声が聞こえてくる。声が聞こえてくれば、誰が声を上げてくれたのか探すようになる。もし声が聞こえなければ」
ゴールを決めろ。
スポットライトを自分に当てろ。
自分が輝けば。
その眩しさにみんなが声をあげるぞ。
「西野さん!」
「もう時間がないぞ!」
まだ周囲からの声は声になっていない。
それはチームメイトの口から発せられた、ただの音だ。自分自身の心臓の音と大差ない。
どん、と背中を押された。
自分より大きな男の存在を背後に感じる。
なぜ彼は自分の前に立ち塞がっているのか。それはきっと、彼も輝こうとしているからだ。そうか、皆そうやって走っているのだ。
しかし彼にスポットが当たってしまえば、自分は輝けない。これまでと同様にベンチに座る彼以外から声が聞こえるようになることもないだろう。
自分のプレイは誰かを信じることから始まる。なぜなら自分で自分を信じられないからだ。
ここにボールをくれれば輝ける。その舞台をまずは自分で用意しなくてはならない。
静から動へ。その振れ幅が最大に達した時、自分はピッチから姿を消すことができる。パスをくれるひとりにだけ見えていればいいのだ。
そしてきっとその人は見ていてくれる。そう思えるのは、自分のプレイは誰かを信じることから始まるからだ。
ボールが足をノックしたことで、舞台が整ったことに気づいた。
あとは光を浴びるだけだ。もし自分の求めていた誰かだったら、ここでより強い光を求めて、勢いをつけるのかもしれない。
でも自分に自信のない人間は力に頼らない。少し横を通してくれるだけで十分だ。幸い道は開けていた。
控えめに蹴り込んだそのボールは、地面を滑るように倒れ込んできた相手の横をすり抜けて。
ゴールネットを揺らした。
「あ」
周囲の音が急に大きくなって、徐々にそれは声に変わっていく。
声が聞こえてきたら、声をあげている人間を探すんだ。
声はあちこちから聞こえてきた。声をあげてくれたその人達と自分は一緒になって、一番大きな声が聞こえる方向に走り出した。
家族の顔、友人の顔、知らない人の顔。そのひとりひとりの口から聞こえてきた音が声となって、自分にとっての誰かに変わっていく。
スポットライトを浴びた後で、ようやく自分は走る理由にたどり着いたような気がした。
後半アディショナルタイム、この試合の決勝点となった西野裕太のリーグ戦初ゴールが、ひとりのサッカー選手誕生の瞬間にもなったのである。
【11.17. 16:00 黒船SP ホームサポーター席】
「南紀ウメスタ!」
どどんどどんどん!
「南紀ウメスタ!」
どどんどどんどん!
「南紀ウメスタ!」
南紀ウメスタSCはこの日、第8節を終えて、8勝0分0敗。勝ち点24を積み上げ、リーグ戦の首位が確定した。残り2試合を負けたとしても今シーズンの順位が入れ替わらないということである。
肌寒さの中で優勝の喜びを控えめに表現すべく、ペットボトルの水をひたすら掛け合う選手たちを眺めながら、木田は大きく両手を上げた。
短いようで長いリーグ戦であった。元Jリーガーを擁し、他のクラブよりも大きな資本力をもって、上のカテゴリからも選手を引き抜き作り上げていったチームは、はたから見れば昇格して当然な戦力を有していると思われるかもしれない。
たとえそれが事実だったとしても、成し遂げことの栄誉が損なわれるわけではない。正々堂々と誇るべきだし、選手たちには改めて感謝したい。
ホームサポーター席の前に選手が全員並ぶと、監督である下村が一歩前に出た。
「ありがとうございました!」
『ありがとうございました!』
下村に続いて後ろの選手一同も同様に。大きな声とともに深く頭を下げた。サポーターもクラブ名を叫びながら、それに応える。
試合中ベンチに座っていた真田の手にマイクが渡った。
「みなさん、真田宏太です。この度、海外移籍に挑戦することになりました。1年間、大変お世話になりました!」
サポーターからの拍手が大きくなる。
「移籍先はプロリーグです。外国という場所はもちろんですが、今よりも厳しい環境で自分を成長させたい。そういう思いで、決めました。レンタル移籍ですので、もちろん帰ってくることにはなるんですが…退路を断つという意味も込めまして、もう戻らないという気持ちで死ぬ気でやっていきたいと思っています」
「こうちゃーーーん!!」
ホームサポーター席からおそらくは弟と思われる声援が届いた。真田の表情も緩む。
「本当なら最後にウメスタのユニフォーム着て、ゴールを決められれば良かったとは思っていますが、こういった難しい試合でも勝ち切れる。そういうチームになったことを見せられたという意味では、良かったのかと思います」
後ろで一列となっている選手の中で、西野が両脇の選手にがしがし叩かれているのが見えて、サポーターからも笑い声が漏れる。
「契約期間がまだ不透明なので、もしかしたら来年チームに直接貢献することはできないかもしれませんが…今の仲間たちなら来年も必ず上のカテゴリに昇格してくれると信じて、自分は、Jリーグでも活躍できるようなレベルの選手に成長することに全力を注ぎたいと思います」
「いってきます!」
一度マイクから口を離し、改めて一礼をして挨拶を終えると、両手を叩いて選手の列に戻った。
「さなーだ、こうた!」
どどんどどんどん。
「さなーだ、こうた!」
どどんどどんどん。
「な、なんで泣いてるんだこいつは…」
真田の反対側で、号泣しながらサポーターと一緒に西野が拍手をしていた。
南紀ウメスタSC。
無事に2020年シーズンの1部リーグ昇格決定。
南紀ウメ 紀伊新庄
1 ー 0
91' 西野(三瀬)
つづく。




