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黒船サッカーパークへようこそ!  作者: K砂尾
シーズン1(2019)

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第53話 鉄の女

アディソン: 南紀ウメスタ所属MF 在日タイ人

下村健志: 南紀ウメスタSC 選手兼監督

糸瀬貴矢: 黒船サッカークラブ 代表

スラトン: ラーチャブリーSC GM兼監督

プラウィット: ウォンキット・ジャパン 責任者


※実際のタイリーグのシーズンは2020年以降に秋春制へ移行されていますが、展開をシンプルにするため、作中では2019年以前から秋春制が導入されている前提でストーリーは進みます。


ーーーーーーーーーー

 2019年10月27日。珍しく来客対応の予定の入った糸瀬が、黒船サッカーパークのコンテナハウスを訪れると、南紀ウメスタ監督の下村が新加入のサイドアタッカーであるアディソンと話をしているところであった。



「あ、糸瀬さん」


「おお、アドくん。足大丈夫?」



 今日は午後からリーグ戦の第6節が行われる予定であったが、アディソンは怪我で欠場の見込みと聞いている。



「あ、はい…。爪が割れただけなので、大丈夫です」


「そっかそっか…うちは選手少ないから。安心したよ」


「はい、ありがとうございます…」



 アディソンはおとなしい性格で、タイ人の特徴らしいが身長も低く、なんとなく母性をくすぐられる見た目をしているからか、言葉遣いが優しくなってしまう。


 せっかく前節フルメンバーで戦えたというのに、すぐ怪我人が出てしまったのは非常に残念ではあるが、とりあえず大事に至らなくて何よりであった。



「…あ、そうだ。アドくん。ラーチャブリーSCって知ってる?」



 アディソンがタイ人であることを思い出した糸瀬は、いわゆる世間から見たクラブの印象を知りたくて、そう質問した。



「あ、はい。ラーチャブリーSCは、タイリーグのチームで、有名です。あの、なんて言うんでしたっけ。すごい、注目されてる」


「…台風の目?」


「あ、そ、そうです」



 下村の助け舟にアディソンが何度も頷いた。


 ラーチャブリーSCは、アジア最大の製糖メーカーであるウォンキット・シュガー社をスポンサーとするタイのプロクラブチームである。


 タイのリージョナルリーグ、日本で言う社会人サッカーチームからスタートして、2015年にプレーオフを勝ち上がり、2部リーグへ昇格。まだ1部リーグ昇格は成し遂げていないのものの、タイのリーグカップでは1部リーグの強豪を退け、なんと決勝まで勝ち進んだことが国内でも話題になったという。


 そして今年、過去2度に渡ってタイの女子代表監督を務めていたスラトン女史をGM兼監督に任命したことで、ラーチャブリーSCは、タイリーグで初の女性監督が率いるクラブとなり、さらに注目を集めているようだった。



「タイでは、サトリーレックと呼ばれています」


「さとりー?」


「あー…日本語で言うと、なんだろう…つよい、強い女性…」


「鉄の女」



 糸瀬はスマートフォンの画面を2人に見せる。タイ語の翻訳ページが表示されていた。



「それです、鉄の女」


「そいつあ手強そうだ…。GM兼監督なんて、ほぼ全権委任ですね」


「うん。要は彼女を口説き落とせばいい。シンプルな話だよ」



 現在黒船はラーチャブリーSCに真田を売り込んでいる真っ只中であるが、そのあたりの事情を当然ながら知らないアディソンは、首を傾げるばかりである。



「その、ラーチャブリーSCがどうしたんですか?」


「ん? ああ…そのサトリーレックがいらっしゃるんだよ」


「来る? どこに、ですか?」


「ここ」



 今日は糸瀬ら南紀ウメスタSCのフロント陣にとっての大一番。ラーチャブリーSCの監督が、真田を視察する日であった。



***********



『アマチュアサッカークラブと聞いていましたが、なかなか立派なスタジアムですね。ナーン・スラトン』



 試合開始から約1時間が経過したその時、ラーチャブリーSCの監督を務めるスラトンが黒船サッカーパークに姿を現した。彼女を現地まで案内し、付き添っているのがウォンキットグループの日本拠点における責任者プラウィットである。



『クン・プラウィット。改めて今日のmtgの趣旨を教えてくれる? これまでの背景も含めてね』



 プラウィットは30代ながらウォンキットグループ本体におけるボードメンバー(役員)であり、日本進出の足掛かりとなったウォンキットホテル大阪、そして先日無事にクローズした白浜のホテルも彼が手掛けたものである(第34話参照)。


 ラーチャブリーSCはウォンキットグループのスポンサードなしでは存続できない。従って本来気を遣われるべきはプラウィットの方であるはずだが、2人のパワーバランスは対等に見える。


 なぜなら過去タイの代表チームを率いて男女含めた初のワールドカップ出場を勝ち取っている彼女は、タイサッカー界において、間違いなくレジェンドのひとりだからである。



『いいとも、ナーン・スラトン。…ウォンキットが日本進出に積極的であることは貴女も知っていると思うが、彼らーーールアダム(黒船)のおかげで、当初想定していたよりもはるかに速く、安くシラハマのホテルを獲得できた。彼らは日本の銀行の代弁者だと聞いていたが、結果として我々に味方してくれた。タイの企業に力を貸してくれる日本企業は少ない。この借りは返さなくてはならないよ。それに彼らはこのワカヤマ県に100万㎡の土地を保有しているんだ。この土地はすでに更地になっていて海からも近い。今後ホテル以外での協業もやりやすいと思わないかい? 例えばーーー』


『プラウィット』



 スラトンが彼の話を遮るように口を挟むと、我に返ったプラウィットが頭を掻いた。



『はは、失礼。少しの話がずれてしまったようだ。彼らは、ナンキ…すまない、名前は忘れてしまったが、アマチュアのサッカークラブを保有していて、そのチームのエースを我がドラゴンズで鍛えて欲しいと言ってるんだよ。ルアダム(黒船)のチェアマンからの直接のオファーだ。間違いないよ』



 ラーチャブリーSCは、クラブのエンブレムでシンボルマークでもある竜の紋章にちなんで、ドラゴンズという愛称が内外で浸透していた。


 プラウィットはサングラス越しに眼下のピッチに目を落とす。試合は後半に差し掛かっており、スコアは3-0。日本語の文字は分からないが、おそらくホームチームがリードしていることは何となく雰囲気で感じ取れた。



『県リーグ2部、というのは、国内では何部リーグに相当するのかしら』


『8部だよ。えー、日本では3部からがプロリーグとなっているようだね』


『ふぅん…あそこにいるのがホームチームのサポーターでしょう? ユニフォームが素敵だわ』



 控えめな淡いピンク色に黒のラインが入った独特のユニフォームデザインが、スラトンの目を惹きつけた。


 適当に作っていない。こういった細部に心が宿っているのは日本人の気質か、それともこのクラブが普通のアマチュアチームではないことの証左なのだろうか。


 対するプラウィットは、そのサポーターの数に着目し、自国チームと比べたのか、小さく笑みを浮かべた。



『やはり我がドラゴンズとは比べるまでもなく矮小なクラブのようだね』


『…そうでもないわ。うちが3部にいた時、試合を見に行ったことあるけれど、もっと少なかったわよ。…サッカー文化の浸透という面ではまだ大きな差があるということだわ。我が国も見習わなければならないわね』



 スラトンの台詞にプラウィットは肩を竦める。プライドの高い彼らしい小さな反論であったが、鉄の女は意に介さない。



『選手の名前はコータ・サナダ。まだ19歳の若者だよ。えーと背番号は…』


『エースなんでしょう? それならきっと彼だわ』



 チームの攻撃は背番号10の彼を中心に展開されている。それはスラトンの目から見れば明らかであった。遅れて選手を特定したプラウィットがピッチを覗き込む。



『お…いいじゃないか。タイ人の好きそうな選手だ』



 小柄でアジリティに長けたテクニカルな選手を好む傾向にあるタイのサッカーファンに、真田のプレースタイルはマッチしているように思えた。



『でも似たような選手はうちにもいるわよ』


『ふむ…逆にチームにフィットしやすいと解釈するべきじゃないか?』



 スラトンの鋭い視線を受けてプラウィットは一歩下がった。



『失礼、でしゃばったよ。もちろん決めるのは貴女だ』


『…もう決めたわ。これをルアダム(黒船)に渡してちょうだい』



 彼女から一枚の紙を受け取ったプラウィットが驚いた。



『…おいおい、これなら初めから来る必要なんてなかったじゃないか』


『実際に目で見て確認したという事実をレポートしたいのでしょう、クン・プラウィット』


『…ナーン、繰り返すが選手の獲得は全て貴女の権限だ。我々はあくまで提案したに過ぎない。その提案を受けるかどうかはGMである貴女次第だ。是々非々で検討すべしというのが経営からのメッセージだよ』



 建前に塗れたスポンサーの言葉にスラトンはため息をついた。選手の獲得も試合の采配も全てスラトンが決められる立場であることは事実だが、裏返せばその責任は全て彼女にあるということである。


 スポンサーの提案を跳ね除ければ、結果を出したとしても今後の契約に影響することは間違いないわけで、実質スラトンに選択肢はなかった。また、仮にスポンサーの提案を受け入れて結果が伴わなければ、それもまた彼女のマネジメント責任ということになるわけである。



『選手本人にも会わないで決めるなんてリスクが高すぎやしないか?』


『プレースタイルは貴方の言った通りでしょ。コミュニケーションのほうは、テツがいるから大丈夫よ。ベテランだし、彼に世話させるわ』


『あれ、テツの契約は切るって言ってなかったか?』



 直接サッカービジネスに関わっていないにも関わらず、プラウィットは随分とドラゴンズの事情に詳しいようだった。


 スラトンの視線を受けて、日本人選手の情報はこっちにも降りてくるんだよと、プラウィットが補足する。



『契約延長しないにしても、今シーズンいっぱいはうちの選手よ。それにオファー受けるかどうかは向こうの都合。先方がOKだったらもちろん会うわ』


『なるほど。つまり条件交渉する気はないってことね。…わかった。渡しておくよ』



 プラウィットがオファーレターを掲げたのを見て、スラトンは踵を返してスタジアムを後にする。チームスタッフとの電話会議の予定が迫っていた。


 ラーチャブリーSCはシーズンの約半分を消化して現在5位。十分1部昇格に手が届く位置にいる。


 先方がオファーを受けるならウィンターブレイク中の移籍となるだろう。新しいイープン(日本人)は先程の試合を少し見る限り、そこまで悪い選手ではないように思えた。



『後半の起爆剤になるかどうかの期待は大袈裟すぎるわね…』



 タクシーに乗り込んだ女性指揮官は、そう自嘲気味に笑みを浮かべた。






つづく。

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