第50話 紀北の新風(19/9月)
平雄一郎: 紀北サッカークラブ所属MF
坪倉信: 紀北サッカークラブ所属DF
濱崎安郎: ASKグラーツ コーチ
木田: 黒船サッカークラブ データ収集班
下村健人: ウメスタサポーター 下村健志の息子
田中譲治: ジョージ屋店主
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2019年9月。平雄一郎は、チームメイトの坪倉信とともに、和歌山県木国市を訪れていた。
和歌山市内から車で約1時間の距離であり、6月の黒船カップ以来の訪問となった南紀ウメスタSCの本拠地、黒船サッカーパークは改めて見ても社会人サッカーチームには明らかにオーバースペックであった。
「金に物言わせる感じが気に入らないっすね、俺は。オファーからしてそうっすもん」
隣で渋々といった雰囲気で平についてきた坪倉が悪態をついた。
先月末、紀北サッカークラブに所属する安藤、平、坪倉の3人宛に南紀ウメスタSCを運営する株式会社黒船サッカークラブから正式なオファーがあった。安藤は集合時間になっても現れなかったので、おそらくオファーを断るつもりなのだろう。
南紀ウメスタSCとして、初のプロ契約でのオファーである点が、他の社会人サッカーチームからの誘いとはまったく異なっていた。もちろん年俸だけで生活するような水準ではないが、プレイすること自体に金銭が発生するのだから立派なプロ契約だ。
二人を出迎えてくれたのは濱崎安郎と名乗る若い男だった。年齢は30歳くらいだろうか。
「今日はアウェーのリーグ戦で、みんな君達と入れ替わりで和歌山市のほうに行ってるから、代打で僕がお話させて頂きます」
渡された名刺がいきなり英語だった。横文字に明らかに疎そうな坪倉が読むのを早々に放棄する中、平はその文字と向き合う。
Graz Athletik-Sport-Klub
Assistant Coach
Arou Hamasaki
「グラ…ツ?」
「ASKグラーツ。オーストリア1部のサッカーチームです」
「オーストリア!?」
「オーストリア…ザルツブルクくらいしか知らないです」
わかりやすく驚いた坪倉の反応と正直な平の感想を受けて、濱崎は首に手を当てながら苦笑した。
「ザルツブルクは同じリーグに所属する対戦チームです。去年も一昨年も彼らが優勝しているから、なんとか連覇を阻止したいんですけどね」
ザルツブルクは有名だ。日本代表FWの北野選手が所属していることで、日本のサッカーファンの間でもそのチーム名はかなり浸透している。
「オーストリアのチームに日本人のコーチの方がいるなんて知りませんでした」
「はは、所詮はアシスタントコーチですから。普通は監督か、ビッグクラブでもヘッドコーチくらいまでしか表に名前は出ません。一応日本の大学を出た純日本人ですよ、選手としてプロのキャリアはありませんが」
「はぁ…あの、それで濱崎さんはなぜここに?」
「来年には正式に南紀ウメスタSCのフロントに入る予定なので、先行して手伝ってるんです。ちなみに平選手と坪倉選手を獲得したいと言ったのは私です」
「え!」
普通に会社で働きながら余暇でサッカーをしている社会人選手からすると、あまりにも現実離れしているその話に、二人とも目が点になった。
「南紀ウメスタってなんなんですか…?」
二人は濱崎を通して南紀ウメスタSCというクラブについて説明を受けた。
元々は、ヤマト製鉄の社員で作られた企業クラブであったこと。元Jリーガーの下村健志を選手兼監督として県リーグ3部を無敗で勝ち上がったこと。
その後、黒船グループの傘下に入り、社会人サッカークラブとして例の無い、J3基準を満たした自己保有のスタジアムを持ってJリーグ入りを目指しているということ。
現在は関西2部リーグで戦える選手を基準として、積極的な選手補強を行なっていること。その中で、平と坪倉に対してはプロ契約でオファーしていること。
「俺はまだ行くと決めたわけじゃないっすよ」
濱崎から改めてオファーの経緯やクラブの現状の説明を受けた後、二人はサッカーパーク近くの手頃な喫茶店に入った。目の前に座った坪倉が念を押すようにそう口にする。
「確かにすごいっす。スケールがでかいっていうか、なんかほんとにJリーグ行っちゃうかもって思いました」
「そこまで思っててまだ決めてないのか」
「え、平さん移籍するつもりっすか!?」
「うん」
あっさりとした平の回答に、思わず坪倉はアイスコーヒーを一気に飲み干した。
「選手じゃなくて、その周りの環境から変えにいっているところが俺はリアルに思ったな」
「まぁ、それは確かに」
普通チームとして上を目指すなら、選手の方に着目しがちだ。元Jリーガーとか、有名な選手を金で引っ張って注目を集めにいきそうなものだが、海外から呼んできたのはコーチの方だというその発想からして、紀北SCを含めたごく普通の社会人サッカーチームとはまったく違う雰囲気があった。
「さっきお前がJリーグ行っちゃうかもって言っただろ。その感覚ってお前だけじゃないよ、たぶん。この話聞いたらみんなそう思う」
和歌山県にJリーグのチームを誕生させる。これは地元出身でサッカーをやっている人間からすれば悲願である。その思いが結集して誕生したのがシェガーダ和歌山であり、平も含めて和歌山のサッカー好き全員が応援しているが、まだ彼らはJリーグに届いていない。
つまり誰も成し遂げていないことをやるには、誰も歩んでこなかったレールを自らが敷いていく必要があるのではないか。それが成功後のストーリーとして語り継がれるのではないか。そして、平が話を聞く限り、ウメスタはその道を切り開いている途上である気がした。
「俺たちより下のカテゴリにすごいチームができた。その人たちが俺らの力が必要だって言ってるんだぜ。金で金でっていうのは気に食わないかもしれないけど、俺は誠意だと受け取るわ」
坪倉がうまい反論が浮かばずに氷だらけのグラスにストローで音を立てていると。
ばん!といきなり店の扉が開いた。そして小学生くらいの子供たちが店の中に走りこんでくる。その内のひとりがきょろきょろと辺りを見回して声を上げた。
「ジョージ! ジョージは!?」
「…ーーーおう、久しぶりだな、ガキども」
「あ、ジョージ! テレビつけて!」
店の奥からジョージと呼ばれた色黒な中年親父が姿を現すと、子供たちにせがまれて店内のテレビをつけた。そして自身のスマートフォンをいじり始める。
『ーーーウメスタSCスターティングイレブン紹介します。GKは礒部、DFは右から大橋、下村、岡、ボランチに相川と大西、サイドに西野とアディソン、FWは小久保、三瀬、上田の3枚です』
「な、なんだあ?」
「wetubeの、ライブ配信だな」
いきなりの展開に坪倉が後ろを振り返った。ちょうど県リーグ戦の始まる時間だ。テレビで流れているのは黒船チャンネル。以前に平が動画で見た時と同じ実況の声をしていた。
「あれ…?」
子供達の後ろからぞろぞろと店内に入ってくる男たち。その中のひとりと平は目が合った。
「…あ、やっぱそうだ。紀北サッカークラブの平くんと坪倉くんじゃないか?」
「え? あ、そうです…」
まさか自分たちの顔が知られているとは思わず、驚きながらも頷くと、そのやりとりを見ていた子供達がダッシュで席に寄ってきた。
「だれー!? きだ! この人だれー!?」
「この前ウメスタと戦った紀北サッカークラブの選手だよ。…あ、そうか。ふたりともうちの説明聞きにきたんすね?」
「はぁ…あの、あなたは…?」
「木田って言います。黒船サッカークラブの社員です」
ぺこりと頭を下げる木田に対して、平も会釈を返す。黒船のスタッフであれば自分たちの状況を知っていてもおかしくはなかった。
「バイト! きだはバイトでしょ!」
「ざんねんでしたー、この前転職したんだよーん。今は正式に黒船メンバーなのだ」
「そうなの!? きだすごい!」
「だろー?」
かんぱーい!とジョージが持ってきてくれたメロンソーダとアイスコーヒーがぶつかり合い、二人の話題に戻る。
「覚えてない? 黒船カップの一回戦だよ。あの…ほら、PKのやつ」
あ、PK!と子供達は思い出したようだった。
「PK外したチーム! あ、PK外した人!?」
「外した人は来てないんだよ…」
黒船カップの初戦。後半終了間際に1点を先行された紀北SCが獲得したPKを、エースの安藤が見事に外した結果、0-1でウメスタに敗北を喫したあの一戦である。
まさか小学生からPK失敗をいじられるとは予想外だった。安藤今日来なくてよかったな…。
「今この人達ウメスタに誘ってるんだよ。仲間になろうって」
「え! いいよ!」
「いいよ!」
「いやおまえらが決めるのかよ!」
賛成賛成と手を挙げる子供達を見て、思わず席に座ったまま坪倉が突っ込んだ。
「健人は監督の息子だぞ! えらいんだぞ!」
「え、監督の息子さん!?」
子供達からまさかのカウンター攻撃にビビる坪倉。その反応に気を良くした監督の息子こと下村健人が胸を張った。
「パパに言っといてあげるよ!」
「そ、それはちょっと…まだ決めてないから…」
権力を振り翳され、急激に歯切れの悪くなった坪倉に向かって、容赦ない子供達の追撃が開始される。
「なんで? なんで? Jリーグのチームに入れるんだよ! なんで入らないの!?」
「いや、まだJリーグのチームになったわけでは…」
「…君たちは南紀ウメスタがJリーグのチームになれると思ってるの?」
KO寸前の坪倉に助け舟を出す形で平が質問すると、子供達は一斉にこちらの方を向いた。
「うん。しゃちょーと約束したから! 俺たち全員ウメスタに入ってプロになるんだよ! 決まってるの!」
「そっかー、決まってるのかー」
『ゴーール! 先制点は今日も南紀ウメスタSC! 三瀬のセットプレイからベテランDF、監督を兼任する下村選手が頭で押し込みました!』
「パパだーー!」
実況の声に反応した子供達が台風の如く、席から一斉に離れていくと、席に座る紀北の二人と木田が残る形になる。
「サポーターなんですか? みんな」
「ん? あ、そうですよ。アウェーの時は応援行けない人もいるから、そういう人はみんなこの店に集まるんです。まだ2回目だけど」
「すごいっすね。店も協力してくれてるんですね」
「うん、ほら、そこにも飾ってあるでしょ」
確かに言われてみれば、イングランドの強豪マンチェスターFCのユニフォームの隣に、白梅のユニフォームが飾られている。斬新なコラボレーションだった。
席に近づいてきた店主に勝手にフィッシュアンドチップスをテーブルに置いて、笑いながら奥へ引っ込んでいく。
「あ、ちなみに勝手にメニュー出してきますけど、金は払わなきゃいけないです」
「とんでもない店じゃないですか!」
「いや、持ちつ持たれつっす!」
木田が豪快に笑いながらポテトを摘むと、平も苦笑してそれに乗っかった。そして坪倉も手を伸ばす。
気がつけばそれなりに長居してしまっていることに気がついた。
「そろそろ帰るか?」
声をかけられた坪倉は、空になったグラスを傾けて氷を貪った後。
「………」
「坪倉?」
「……せっかくなら試合終わってから帰ります?」
ぽつりとそう口にした。
ロ和歌山 南紀ウメ
0 ー 2
26' 下村(三瀬)
77' 三瀬(PK)
つづく。




