第48話 ウメスタ戦略会議②
糸瀬貴矢: 黒船SC 代表
真弓一平: 黒船SC 管理部長
下村健志: 南紀ウメスタSC 選手兼監督
濱崎安郎: ASKグラーツ コーチ
木田: 南紀ウメスタSC データ収集班
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投資家にとって、投資する上で最も重要なことは当然ながら儲かることである。
糸瀬にとってPJ黒船は投資だ。したがって南紀ウメスタSCを儲かるクラブにするというのがミッションとなるわけだが。
「じゃあ儲かるクラブってなんだと思う? はい、木田」
「…強いクラブ?」
糸瀬に指名された参加者の中で、唯一の平社員的な立場である木田は、なんの捻りもない回答で返した。
「正解。強いクラブは儲かってる。だから強いチームを作らないといけないんだけど、これがとても厄介なところで。この強さというものは再現性がないんだよ」
再現性とは、特定の条件下で同じプロセスを繰り返した際に、同様の結果が得られることを指し、ビジネス戦略において非常に重要な要素である。
再現性のないものをビジネスモデルとは呼ばない。偶然その結果が得られた、要は運が良かったねで片付けられてしまうからだ。しかしながらプロスポーツにおける、特にサッカーにおいては運の要素を無視できない。
つまり何が言いたいかというと。
「Jリーグで10年も20年も優勝し続けることを狙う人はいないよね。勝ちに再現性がない以上、勝利をいくら求めたところでそれはビジネスモデルにはならないんだ。だから極論になるけど、俺は南紀ウメスタSCはクラブ単位での強さを捨てていいと考えてる」
『え!?』
さすがに濱崎を含めた全員が思わず声を上げた。
「リーグの優勝を目指さないということですか?」
「あ、もちろんJリーグ入りするまでは、あらゆる手を使って昇格を目指すけど、その後について、経営の立場からしたときの最優先事項ではないということだね」
例えば、リーグ優勝やチーム強化のために、高額な移籍金を支払って、海外のスター選手やら他所のクラブの主力選手やらを獲得するとか、そういったことはしない。それでチームが勝てても儲からないなら意味がないからである。
ではこのクラブは一体何を目指して運営するというのか。
「俺は選手の市場価値の最大化だと思ってる。もちろんチームが勝てば選手の市場価値は上がるけど、それは結果論だ。チームが勝たなくても、価値のある選手を常に市場に輩出できれば、クラブは儲かる。例えば移籍金収益でね」
「…スペインのバルセロナとか、オランダのアムステルダムとか、そういう育成型のクラブを目指すということですか?」
糸瀬は首を横に振った。そしてホワイトボードにマジックで数字を羅列する。
1998年:4億円
2000年:30億円
2001年:45億円
「これは元日本代表のレジェンド、中田選手の移籍金の推移なんだけど。たった3年間で市場価値が10倍になってるよね。じゃあこれって、3年間で中田選手が10倍サッカーがうまくなったって意味なんだっけ。はい、アローくん」
「いえ、そういうことではないでしょう。要は初めの移籍金が安すぎたんじゃないかと」
糸瀬は頷いた。
「俺もそう思う。もちろんその間で選手が成長したのかもしれないけど、それよりももっとビジネスの原理原則に基づいた話だよ、これは。俺はここに再現性があると思ってる」
単純に右から左へモノを動かして利鞘を取るものもあれば、仕入れた素材を加工して販売するようなケースもあるが、いずれにしても、安く買って高く売る。この世のすべてのサービスやプロダクトはそうやって利益を生み出している。
ちなみにこのモデルを純粋に突き詰めたのが、日本で言うところの「商社」という存在である。そしてそれこそが、糸瀬の目指すプロサッカークラブのビジネスモデルであった。
「サッカー選手に特化した専門商社を作るというのが、俺の考えるクラブの経営方針だと思ってください」
「商社…」
「おもしろいですね。確かにそのコンセプトなら育成クラブとは全然違いますね。どちらといえば選手を発掘するみたいなイメージだなあ。…あ、だから選手に英語教えようとしてるんですね」
サッカーの専門的な技術やら戦術やらは、金融出身の糸瀬には分からない。そこはサッカーに詳しい人間に任せる他ない。
一方で、サービスやプロダクトの価値を伝えるためのプレゼン能力としての語学スキルや、そのプレゼンに説得力を与えるためのデータ収集と分析。ここに力を注ぐべきだと結論づけたゆえの行動であった。
「じゃあ目指すべき形がはっきりしたところで、プロセスの話に移ろうか。どうやって選手に高い市場価値をつけるか。まずJリーグにそういう移籍金収益をメインにしたクラブがあるかどうかだけど…真弓さん」
「日本にはないと思います」
理由はいくつか考えられるが、まずはJリーグという環境自体に大きなハンデがある。そのブランド価値は世界レベルで認められているとは言い難い。また、これは日本特有かもしれないが、世界で活躍する選手を輩出していくのだという、日本サッカー界全体の大義みたいなものによって、仮に値段が安くても海外クラブからのオファーがあれば積極的に受け入れる風潮がある。
「でもそれって…自分たちでは解決できないですよね?」
「うん。リーグ全体の価値を高めるなんていうのは話が大きすぎるし、日本サッカー全体の方針に対して、うちだけ反旗を翻すようなことはできない。ーーーつまり、少なくとも現時点では、Jリーグの中で、移籍金収益で儲かるクラブを作るのはたぶん無理なんだよね」
「え?」
「な、なに言ってるんですか! それを目指すって言ったのは糸瀬さんですよ」
オーディエンスの総ツッコミに対して、頭を掻いていた糸瀬が答えを提示した。
「ーーーうん。Jリーグという枠組みの中に収まってしまう、南紀ウメスタSCという単独のクラブでこのモデルを実現するのは無理なんだ。だから違うところでやる」
「違うところ?」
「…最初に誰も質問しなかったけど、アローくんがなんでここにいるのかって話だよ」
糸瀬の言葉に皆の注目が濱崎に集まった。そういえばこの男と自分たちとの接点がわからない。糸瀬と個人的な知り合いだったというほどの親密な関係性は、今までのやりとりからは伺えなかった。
濱崎は糸瀬の台詞を補足するように口を開いた。
「糸瀬さんは個人でASKグラーツの株主になっています」
「株主!?」
「はい、比率はそこまで多くありませんが。今後について、基本的にグラーツの経営陣は、黒船グループの傘下に入ることについて、大筋で合意しています」
伝統あるクラブとして外資の受入には難色を示すことも想定される中で、グラーツ側は意外にもビジネス感覚で糸瀬の提案を受け入れる方向性でまとまっているという。
「え!? それってオーストリア一部のチームのオーナーになるってことです、か?」
「そうだよ。南紀ウメスタSCとASKグラーツは兄弟クラブになるってこと」
実はメガクラブと呼ばれる一部のクラブを除いて、外国資本を受け入れているヨーロッパリーグのクラブチームを買うこと自体、そこまで莫大な資金が必要なわけではない。一部リーグのチームであっても数億円で済むようなケースもある。
「正直黒船サッカーパークの土地の値段に比べたら微々たるものだよ」
「その…もし選択肢があったなら、なぜオーストリアなんですか? 言い方悪いですが、そんなに有名じゃないですよね、ヨーロッパの中では」
「真弓さん、いい質問だ」
日本企業によるヨーロッパクラブの買収は前例がないわけではない。国内デジタルメディア大手DSSがクラブ買収によってベルギーリーグに参入したことは記憶に新しい。
そんな中で糸瀬がオーストリアに目をつけた理由は主に3つある。
1つ目は地理的な要因である。オーストリアはドイツ、フランス、イタリアに囲まれており、ヨーロッパの主要リーグの強化部が視察しやすい。地理的な優位性があると考えられる。
2つ目、オーストリアリーグは外国人枠の制限がない。一定の自国選手が所属することでサッカー協会からの配当金がもらえる仕組みとなっているが、極端な話、全員日本人でも問題はないのだ。
3つ目はリーグのレベルだ。DSSの参入したベルギーリーグは世界8位と上位に位置するが、オーストリアは20位前後。ちなみにJリーグは25位くらいであり、リーグランクが近いので、Jリーグでのパフォーマンスがそのままオーストリアで通用する可能性が高いと言える。
重要なのは3つ目だ。オーストリアリーグとJリーグはそのレベルは近くとも、ブランド価値という点ではまるっきり異なる。まず欧州スカウトからして、Jリーグと比較してオーストリアのチームのほうがはるかに自国リーグの延長と捉えているし、またオーストリアのトップチームは欧州チャンピオンズリーグに出場できるチャンスがある。選手の評価のされ方が大きく変わるわけである。
「同じ活躍をするだけで市場価値が高まるということがポイントなんだ。つまり、仮に選手の能力が変わらなかったとしても、所属してるリーグが変わるだけで市場価値が上がる。こういうのを再現性って言うんだよ」
Jリーグにおいて1の市場価値の選手を2にすることはできても、10にすることは難しい。しかし1で獲得したウメスタの選手を2でグラーツに売却して、グラーツからヨーロッパのクラブに出していけば、10で売れる可能性が生まれる。これなら収益モデルとして成り立つという計算であった。
「Jリーグから海外移籍するときの移籍金相場は高くても2億とか3億とかそんなもんだけど、ヨーロッパの基準だったら、20億、30億で選手が移籍するのは珍しくないだろ?」
「…なるほど。それはそうですね」
「単純にビジネスモデルの話だけじゃなくて、それは選手に対するアピールにもなりますよ。ウメスタに入ることで海外に出て行きやすいということですから、海外志向の強いギラギラした若手が集まってくるかもしれない」
選手の獲得を担当している真弓がチーム力の向上にもつながると力説する。糸瀬の語ったビジネスモデルはその輪郭が見えてきた。
一方で、目の前の現場を預かっている下村からすると、どこかその話は浮世離れしている印象を持っていた。
「糸瀬さんの考えていることはよく分かりますし、実際にウメスタがJリーグに定着するようになれば、そのモデルは機能するかもしれないです。ただ今の我々は県リーグの2部。Jリーグだって遥か彼方だ。取らぬ狸の皮算用ということにはなりませんか」
今のまま最短でJリーグ入りを実現しても、J3に上がれるのは今から5年後。5年先のことを今から考えてどうすると下村は言いたかった。
唐突に現実に引き戻される真弓や木田を尻目に、糸瀬は深く頷いた。
「うん。下村さんの指摘はその通りだと思う。でもまだ話は終わってない。真田くんの話につながってないしね。ここからは目の前のことを話そう」
単純にオーストリアとの協業ではないその全体像が、ウメスタの運営陣に語られようとしていた。
つづく。




