第4話 船出の支度
(簡易人物メモ)
糸瀬貴矢(3): 三矢HD 代表
矢原智一(2): 三矢HD 取締役
細矢悠(2): 三矢HD 取締役
田辺和善(初): 田辺組 専務取締役
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2018年11月。早朝に羽田空港の国内線ターミナルに集合した三矢ホールディングスの三人は空路にて、和歌山県の南紀白浜空港に降り立った。
飛行機で所要時間1時間強。便数が少ないため多少の不便はあれども東京からのアクセスは比較的良い地域だと言えるだろう。にも関わらず、和歌山県を訪れる観光客は大阪をはじめとした関西地方が中心であり、首都圏からの比率は僅か5%に留まっているという。
これは街全体の活性化を図る上では見逃せない特徴であり、今後の成長余地としては、大きなアップサイドの機会であるとも捉えられた。
南紀白浜空港は、1日の発着便が6便だけという非常に小規模な空港であるが、こぢんまりとしてどこか落ち着いた雰囲気がある。白浜町のシンボル的な存在であるジャイアントパンダのポスターが渡航者を出迎えてくれていた。
「糸瀬さん!」
それぞれがスーツケースをガラガラさせながら観光客よろしく到着口のゲートを潜ったところで、よく通る声が小さな空港に反響した。ダスティブルーの作業着に身を包んだ青年が糸瀬を目掛けて駆け寄ってくる。
「田辺さん、お元気でしたか?」
「はい、おかげさまで。本当にお久しぶりですね!」
「糸瀬さん、お知り合いですか?」
細矢の声に糸瀬よりも早く青年が反応すると、慌てて作業着のポケットをまさぐって、名刺を取り出した。
株式会社田辺組
専務取締役
田辺 和善
「申し遅れました。私、田辺組の田辺和善と申します。よろしくお願いいたします」
「三矢HDの細矢です。田辺組……ああ、民再の?」
思い当たったように細矢が口にすると、田辺は恐縮したように頭を下げた。
「はい、その節は糸瀬さんに大変お世話になりまして…。今こうして事業できているのも糸瀬さんのおかげです」
木国市を拠点とする地場のゼネコン「田辺組」は、2011年に民事再生手続を申し立てた会社である。ちなみに民事再生とは、資金繰りに窮する会社が、金融機関をはじめとする債権者の同意を得て、事業を継続しながら再生計画を立案し、最終的には裁判所の許可を得ることで再生を目指す手続のことをいう。
当時リーマンショックによって、財務の脆弱な新興デベロッパー(開発業者)が次々と倒れていく中、彼らの物件を建てていた建設会社もまた連鎖倒産の危機に陥っていた。田辺組もその例に漏れず、工事代金の支払が滞る不動産会社が続出する中、売上代金が得られない状況が続き、資金繰りに窮する事態となったのである。
国内大手の弁護士事務所である森青葉法律事務所からの要請に基づき、糸瀬が銀行員時代に田辺組の再生案件を担当。DIPファイナンス(再生計画認可までのつなぎ運転資金融資)にて支援を行い、停滞中の工事を再開させられるだけの時間を確保したことで資金繰りが浮上。結果として大企業等のスポンサー支援を受けることなく、自力での再生を実現したのである。
「いやあ、あのときは本当に大変でした…。田辺組は一族経営ですから、恥ずかしながら私は何の覚悟もなく、いずれ社長になるんだろうなぁって気楽に考えてましたよ。まさか経営するってことがこんなに大変だったなんて」
南紀白浜空港から木国市までの道のりを、三矢HDの三人を乗せた田辺組の社用車が快調に飛ばしていた。
運転席に座る田辺和善は田辺組一族の直系で、現在の社長である田辺善次氏の息子である。民事再生の時に彼がまだ20代であったことを考えれば、その言葉以上に壮絶な思いで業務に当たっていたことは想像に難くない。
「でも感謝してるんですよ。あれがあったから私は仕事に対する取り組み方がまるっきり変わりました。従業員のみんなやお客様への感謝の気持ちとか、しっかり実感しながら今は働いています」
「素晴らしいですね…ぜひ極東経済に連絡して、特集を組んでもらいたいくらいです」
後部座席で呑気に電子タバコを吹かしている糸瀬の言葉を受けて、田辺は笑いながら脇にあった雑誌を片手で拾い上げた。
「読みましたよこれ。うちの会社でも話題になったんですよ。久しぶりに糸瀬さんの名前を、こんな地元で聞くことになるなんて驚きました」
「はは、私もです」
「でも、糸瀬さんよろしくお願いしますね。正直こんなことは、リーマンショック以来で…。うちはあまり直接的に被害を受けてはいませんが、ヤマト製鉄の下請とか、製造関係の会社はちょっとまずいことになると思います。もちろん、うちで協力できることはなんでもさせてください」
「ありがとうございます。今は銀行員ではないので役割は変わりますが、そのつもりでお呼びしました」
空港を出て約40分。車から降りると三矢HD一行の眼前に広がったのは、辺り一面土色の大地と、一部不釣り合いに整備されたサッカースタジアム及びその周辺に作られた公園であった。
「ここかぁ…」
ゴーゴルマップで事前に下調べする中で認識はしていたが、実際に見るとその凄まじい広さに言葉を失う。おそらく元の敷地には倉庫や工場が建てられていたのだろうが、一旦更地にしてくれているのは開発する側からすれば、非常にありがたかった。
「すごいですね…」
「夢が広がるなぁ」
「カネが飛んでいく景色にしか見えない」
三者三様の感想を抱きつつ、遅れてやってきた田辺を待ってから、とりあえず練習用のサッカー場まで歩みを進めて全員その場で寝そべった。肌寒い空気の中でも頬を掠める芝の感触が心地よい。
「最高だな。これビジネスになるんじゃね?」
「確かに綺麗な芝のサッカー場なんて、選手でもなければほとんど入れないですもんね」
「でもちょっとマジで色々考えていかないと、払った金なんてとても戻ってこないですよ」
糸瀬がむくりと起き上がるのに合わせて、残りの三人も座り直す。
「よし、まずは会社を作ろうぜ」
「賛成です。木国市を本社にして子会社作りましょう」
子会社を作る理由は様々あるが、まずひとつは木国市を本社として企業活動を行うことで、税金を街に落とせるということ。次に地元の金融機関や地域住民からの応援を得やすくなるということ。最後に、事業を売却しやすくすること。
「売却? 売っちゃうんですか?」
「我々はあくまでも投資家です。逃げ出すわけではありませんが、街の再生ができたらお役御免ですから、誰かに会社ごと買い取ってもらって、地元の人達で運営してもらう方が良いですよ。所詮我々は外部の人間ですから」
「はぁ、そういうもんですかねえ」
細矢の説明にピンとこないながらも田辺は頷いた。すかさず糸瀬が立ち上がる。
「3社つくろうぜ、俺たち3人いるし!」
「あのね、会社増やせばそれだけ維持費がかかるんですよ」
「いや、ほんとにこの会社でかくなったら一社じゃ抱えきれないよ。売りやすくするために分けよう」
「どう分けるんですか?」
ひとつ、サッカーチームを保有してリーグを勝ち上がっていくためのクラブ運営会社。
ひとつ、目の前の広大なサッカースタジアム及びその周辺を開発していく施設運営会社。
ひとつ、サッカーパーク以外で地域全体の活性化を担う再生請負会社。
「あの、糸瀬さんたちは…ここを使って何をするおつもりなんですか?」
先程まで黙って話を聞いていた田辺が、三人の計画の全体像が掴めずに、立ち上がった糸瀬を見上げるようにして質問をする。
「田辺さん、ボールパークってわかります?」
「ボールパーク?」
ボールパークとは、スポーツスタジアムを核として、その周辺に商業施設、レジャー施設、公園などを整備し、試合がない日でも人が集まるようなコミュニティ空間のことを指す。
元々は野球の世界で使われている言葉だ。なぜサッカーの分野では使われないかというと、野球と違ってサッカーは年間で行われる試合数が少ないために、スタジアム自体の稼働に限界がある。従ってサッカーの本場であるヨーロッパなどでは、そもそも周辺の施設を充実させることで収益性を確保する複合型のスタジアムが当たり前となっていることから、業界の中であえて言葉として用いられないのだとか。
ただサッカー文化が地域に根ざしていない日本において、この複合型のスタジアムはほとんど成功事例がないのである。
「試合がない日も人が集まる?」
「そうです。試合の有無に関わらず、地域のみんながここに集まって同じ時間を共有する場所、我々は木国市の中に小さい街を作るつもりです」
「街を作る…そ、それは、まさに弊社創業の時の、会社としてのミッションだったと聞いています」
「私も覚えています。田辺さんをお呼びした理由がわかりましたか?」
糸瀬の問いに対して、田辺は思わず立ち上がって背筋をピンと伸ばした。
希望と野心が渦巻く事業家としての魂を感じる、そんな顔つきが秋の空に光っている。
「やはりあなたはすごい人だ、糸瀬さん。本当にそんなものが作れれば、街は生まれ変わりますよ」
「見事再生した田辺組さん。御社にここの開発任せてもよろしいですか?」
「もちろん。全身全霊やらせていただきます!」
「ありがとうございます。ここでの実績をもって、和善さん。社長になってください」
地獄の民事再生から約7年の月日を越えて、糸瀬と田辺は再び強く握手を交わした。
「あのー」
エンディングロールが流れそうになっていたところ、水を差すかのように「すみません」と細矢が挙手をする。
「名前」
「名前?」
「そう、子会社の名前決めましょうよ」
細矢の提案に糸瀬が口元を釣り上げると、そんなものはもう決まってるじゃないかと両手を広げた。
「ほっしー、俺の性格分かってるだろ? せっかく名付けてくれてる人がいるんだから、あやかろうじゃないか」
「…はは、若干悪趣味だとは思いますけどね」
「あ、俺もわかったわ」
田辺の頭にクエスチョンマークが浮かび上がる中、3人はせーの!で大きく口を開いた。
『黒船!!』
つづく。