第43話 第1回黒船カップ決勝②
(簡易人物メモ)
糸瀬貴矢: 黒船SC 代表
濱崎安郎: ASKグラーツ コーチ
※選手は割愛
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【07.12 14:40 黒船SP The field of play】
前半40分。バイタルエリアから無理やり打ってきた児島のシュートをブロックし、ラインを割ったところで、下村は額の汗を拭った。
若い頃は夏男と呼ばれていたくらいだが、寄る年波というやつだろうか。確実に7月の日差しが体力を奪っていく感覚を感じる。そして、暑さだけが理由ではないこともまた認識していた。
「…シモさん、踏ん張りどころっすね」
「ああ」
大橋の言葉に下村も頷く。実際にやってみて分かる相手の攻撃力に、ウメスタDF陣は手を焼いていた。
高さがあるわけではなく、スピードに優れているわけでもない。だから児島というFW個人に目を向けられがちだが、その周囲の選手たちも決して侮れない。
伊勢瑞穂FCの選手たちは去年からほとんど出場する選手が固定されている。それだけ選手同士が相互に理解し合っているということである。次に味方がどうしたいかを周りが理解しているため、プレイスピードが速い。その対応に予想を超えて体力を消費させられているのだ。
加えて下村に関しては、児島のケアにも気を配る必要がある。大西は練習通りに本当によくやってくれているが、事前に授けた策については正直打開されつつある状況だ。
児島は前半の途中から、左右に動きながら両サイドの味方を活用して数的優位を作って攻撃する形に、そのプレイスタイルを変化させていた。
もちろん大西が児島の動きについていけば、数的優位の形は防げるものの、それでもやはり当初想定していた形ではないことから、ディフェンスは後手に回っていた。
今の状況を続けることが得策ではないことは下村だけでなく他の選手たちも分かっていたが、残り時間10分を切った状況でシステムを変更することは躊躇われた。
伊勢FCのスローインから前半最後の攻撃が始まる。
「ロングスロー!」
意表をついた伊勢FCのスローインに対して、疲労によりボールウォッチャーとなったウメスタDFの合間を縫って、児島がボールを受けると。
鋭い反転からマンマークの大西を引き剥がした。この試合初めて完全に突破を許す形になる。
「10番! 入ってくるぞ!」
GK礒部の声を聞くまでもなく、下村は重くなった両足に喝を入れるようにして走り出し、児島との距離を詰める。大西が抜かれた場合は即座に下村がカバーに入ることになっていた。
悔やまれるのは、序盤で一度直接対決しておくべきだったということだ。相手エースのアジリティに、下村は初見でついていくことができなかった。
レフェリーの笛が鳴る。
下村は目の前の状況を理解すると、静かに手を挙げた。イエローカードが提示される。倒れた児島に伊勢FCの選手たちが駆け寄ってきた。
そして…ーーー前半終了。エース児島のPKによって、南紀ウメスタSCは1点のリードを許す展開となった。
【07.12 14:55 黒船SP ロッカールーム】
前半終了間際の失点は、ロッカールームに暗い影を落としていた。守備のポイントとして考えていた大西→下村のラインを正面から突破されたことも追い討ちをかけている。
「シモさん、すみませんでした」
「いや、お前はよくやってるよ。俺が足引っ張っちまったな」
「そうそう、あんだけ対策したんだぜ。それでやられるなら仕方ねーよ!」
大西のフォローをする下村を、さらにフォローした大橋に対して、PKを許した礒部が声をあげた。
「大橋さんの言う通りだとは思いますけど、じゃあどうします?」
前半は守備に関してほぼ作戦通りであり、大橋の言うように、これでやられたら仕方がなかった。
では仕方がなかったらどうする。とはいえ、現状でこれ以上の守備の仕方は思いつかない。
全員が押し黙っていたところ、律儀に手を挙げたのが西野である。
「あの…割り切る、っていうのはどうですか?」
「え?」
「シモさん、大西さんに言ってたじゃないですか。この試合は割り切ってデータで戦えって。それとおんなじで、今回も、その、割り切っちゃうっていうのはどうでしょう」
西野の意見に全員がぽかんとする中、真田が思わず吹き出した。
「いいじゃん。みんな、西野の言ってる意味わかります?」
つまりいくら守っても点は取られるものだと割り切れ。西野はそう言いたいのだと真田は理解した。
では点を取られればサッカーは負けなのかというと、もちろんそうではない。
取られた点以上の点を取れば勝てる。サッカーとは点の取り合いのスポーツだと、そういう考えで後半戦うべきだという西野の進言だった。
「というわけで三瀬、出番だぞ」
「待ってました」
試合開始から出番なくロッカールームの隅っこでいじけていた三瀬が、息を吹き返したようにビブスを脱いだ。
「相手はゼロトップ。中盤のスペースなんかないぞ」
「私よりテクニックのある選手が向こうにいますか?」
「おまえ、それでやられたらぶっ飛ばすからな」
先陣を切ろうとする三瀬に軽口を叩きながら、その場で軽く屈伸運動を通して大西が気合を入れ直した。
作戦は決まった。下村は選手たちの意見を聞き終えて頷く。
「それでいこう。後半はうちが攻める。逆転するぞ」
【07.12 15:05 黒船SP 観客席】
「まさかアマチュアサッカーからオファーがくるとは思ってませんでしたよ」
黒のスーツに身を包んだ男が、人もまばらな観客席の最前列で試合を眺める糸瀬に話しかけた。
「他のマネジメントや今の監督はご存知なんですか?」
「うちは忙しくて人いないからね。全員目先のことで精一杯。先のことを考えられる余裕のあるやつは俺しかいないんだ」
「他にどれくらい触手を伸ばしてるんですか?」
「秘密」
「ていうかそれならもうJリーグのクラブ買えばいいじゃないですか」
「だから街の再生が目的なの。強いチームを作るのがゴールじゃないんだって」
男は肩をすくめて糸瀬の横に並んだ。
「それで、いつ買うつもりですか?」
「…どれくらいもつ?」
糸瀬の問いに男は腕組みをして考え込む。
「2部に落ちてもいいなら、まだしばらくは大丈夫だと思いますよ」
「そうか、それなら焦らないよ。本当に必要なのはうちがJに上がってからだし、2部に落ちたほうが買値は下がりそうだし」
「悪い人ですね」
「金融屋だからな。…とにかく、正当な評価で選手を買ってくれるクラブがあればいい。もし他にそういうとこがあるならわざわざリスク取る必要もないんだけど」
「多分ありますよ。ただそうすると今度はうちが困っちゃうんですよね」
「だからアローくんが来てくれてるわけでしょ、こうやって」
「その通りですね」
男の名前は濱崎安郎。オーストリア1部リーグ「ASKグラーツ」のコーチを務めるれっきとした日本人である。
大学でスポーツ科学を専攻し、卒業と同時に単身オーストリアに渡った。イギリスの次にプロサッカーの歴史が古いとされるオーストリアで、指導者としての経験を積み、そして今日はクラブの株主である糸瀬に呼び出され、黒船カップを観戦に来ている。
「後半はどんなかんじ?」
「前半よりずっといいです。ボールポゼッションを高める方向にシステムを変えたのは正解ですね」
「勝てるってこと?」
「勝てるかどうかは別として、見ていて楽しいじゃないですか。プロ目線で言えばこっちが正解です」
「なるほど。今までのうちにはない発想だ」
前半はほぼ5バックのような守り方だったのに対して、後半はウィングバックの位置がハーフウェーライン近くまで上がってきている。
攻撃的なオプションとして8番が起用されたのだと思うが、どちらかと言えばラインを上げたことのほうが試合に与える影響は大きいだろう。
「それだけ攻められるリスクが上がるってことでしょ?」
「もちろんそうですよ。ただポゼッションを高めるためにもう一工夫やっていて、それがハマってる。監督の指示なのかな?」
ラインを上げて中盤がコンパクトになったとはいて、相手はゼロトップ。そもそも中盤の人数がウメスタより多いのだ。それに対抗すべく、10番のポジションが前半よりも明らかに下がっている。後半のウメスタのシステムは3-6-1だ。
「これなら人数は足りる。後はどちらが個の力で勝るかということになりますが、だからこそ8番投入の意味が生まれてくる。理に叶ってますよ。…俺、いりますか?」
「はじめからそこまで分かってたら前半の展開にはならなかったんじゃないか?」
「まぁ…でも一発勝負で相手のデータが限られている中だと、ある程度仕方ないとは思いますけどね」
レフェリーの笛が鳴った。バイタルエリアで伊勢FCのDFがウメスタの8番を倒してファールを取られたのだ。フリーキックである。
ボールをセットしたのは、ファールをもらった本人である8番の三瀬。伊勢FCの選手が4人ほど並んで壁を作った。
「逆転したいならこのへんで決めたいですよ。流れも良いですからね」
フリーキックの精度なら誰にも負けない。そう豪語したビッグマウスがピッチの上で深呼吸。
三瀬の左足は彼らを嘲笑うかのように綺麗な弧を描いたボールは、ゴールに吸い込まれていった。
「お見事」
同点ゴールを決めた三瀬にウメスタの選手が群がる。ホームサポーター席は歓声と共に波打っていた。
濱崎が口笛を吹いて手を叩いた。
「キレイなゴールですね。もう少し見ていたいけど、そろそろ行かないと。こちらはこちらで準備があるんですよ」
「やる気じゃん。この中だと、誰が残りそう?」
「若い人は全員残します。市場価値がつきますから。ビジネスですよね?」
「その通り」
「まだ直接関わるタイミングじゃないですが、もし選手を補強するなら、若い人集めてください。ポジション被っても良いです。その方が売りやすいから。育ててどんどん売りましょう」
「そういう体制を作っておくよ。…ちなみにこの中だったら誰がおすすめ?」
糸瀬の問いに、手元のペーパーを広げた濱崎が一人だけ名前をあげた。
「11番かな。西野裕太」
「11番?」
糸瀬は意外そうな顔をした。エースである真田でも、今ゴールを決めた三瀬でもなかった。
「システムとか戦術とか色々言いましたけど、結局は彼が走り回ってるからマイボールをキープできてるんですよ。正直テクニックとかはこのレベルの試合では判断できません。ただスタミナはおんなじだ。僕なら迷わずボランチで使いますね」
「西野はサッカー下手だってチームではいわれてるよ」
「リフティングのできないワールドクラスの選手なんていくらでもいますよ、糸瀬さん」
フランス代表、アルゼンチン代表、スペイン代表…と頭の中で数え始めた濱崎に糸瀬は問いかける。
「いつ正式に来れそう?」
「来年の終わり頃かな。その頃にはUEFAのProライセンスが取れます。そうすれば、長期政権もできますし、僕だって高く売れますよ」
監督も移籍金取れますからねと付け足した濱崎に糸瀬は苦笑した。
試合は終盤を迎える。スコアは1-1。
レフェリーの笛が鳴った。伊勢瑞穂FCの選手交代である。糸瀬がピッチから観客席に視線を戻したときには、彼はもう去った後であった。
つづく。




