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黒船サッカーパークへようこそ!  作者: K砂尾
シーズン1(2019)

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第35話 猫の手

(簡易人物メモ)

細矢悠(11): 黒船TA 代表

白坂(2): 森青葉法律事務所 弁護士

佐藤(4): 黒船TA 社員

森田梢(4): 元紀伊銀行 木国支店 銀行員


ーーーーーーーーーー

 2019年5月も終わりに差し掛かる頃。黒船グループの各メンバーは例によって繁忙を極めていた。


 黒船カップを目前に控え、黒船サッカーパークの矢原、進藤の両名はスタジアムの現地にて当日の段取りやイベントのスケジュール、人の誘導などの最終チェックにてオフィスを留守にしており。


 黒船ターンアラウンドの福島は、出向先の西野農園に赴き、大詰めを迎えている黒船食品の新商品の最終チェックと量産体制の確保に向けて泊まり込みで作業に明け暮れている。


 同じく黒船ターンアラウンドの佐藤はひとり本社の二階にこもって、動画の編集や、当日のライブ配信の機材チェックに勤しんでいた。


 以前との違いは、黒船本社ビルの3階が業務スペースとして開放されたことである。3階は機密情報を取り扱うセキュリティ付きの一室へと姿を変え、三階の扉の前には「PJ Seesaw DD中」の一枚紙が雑なガムテープで貼り付けられていた。


 ちなみにDDとはデューデリジェンス(Due Diligence)の略称であり、企業買収や投資を行う際に、対象となる企業の価値やリスクを詳細に調査・評価する手続のことを指す。


 三階フロアには、黒船ターンアラウンドの代表である細矢と、黒船サッカーパークに出向中の弁護士白坂の2名が閉じこもり、PJ Seesawの分析を進めていた。



「白坂先生。企業弁護士らしい仕事、久しぶりじゃないですか?」


「は、はい…ええ、本当ですね。こういう仕事がしたくて私は森青葉法律事務所に入ったはずなんです」


「はは、そうですよね。ちょっと一旦情報擦り合わせましょうか」


「了解しました」



 ここ数時間お互い黙々と資料のチェックを進めており、環境音くらいしか室内に聞こえていなかったため、軽口を叩いて気分をリフレッシュした細矢は首を左右に鳴らしつつ、PJ Seesawの概要整理に入った。



「株式会社ホテル海楽荘、創業1950年。会長の修造氏と社長の修司氏の共同代表制です。株主構成は会長50%、社長35%、その他会長の奥さんや他の親族が少数ずつ持っています。合ってますか?」


「合ってます。株主名簿も確認しました」


「ありがとうございます。保有しているホテルは社名の通りホテル海楽荘の1棟だけなので、ホテルの収益がそのまま会社の営業利益に近い構造になってますね。それにホテルの土地建物は全て会社が100%保有しています」



 売上高は直近に当たる2018年12月期にて売上高約5.3億円、営業利益は約1.5億円。過年度の決算を見る限り、基本的には減収減益トレンドで推移しているようだった。



「何が原因で悪くなってるのかと言うと…」


「ホテル収益の中身を見る限り、稼働率はあまり変わっていないので、単価が下がってるんじゃないでしょうか」


「稼働が変わってないならADRですね…おお、RevPARが10,000円を割ってるのか」



 ホテルの収益性を語る上でいくつか重要な指標が存在するが、その代表的なものが「ADR」と「RevPARレブパー」である。詳細な説明は割愛するが、ADRがホテルの客室単価、RevPARはADRに稼働率を乗じた平均の客室単価のことを指す。


 仮に1室だけのホテルを1万円で販売し、稼働率100%で常に満室の状態が維持できたとすると、そのホテルの年間売上は以下の通りである。


ADR1万円×稼働率100%=RevPAR1万円

RevPAR1万円×365日=年間売上365万円


 実際は平日と土日の差や、観光シーズンがいつか、また部屋タイプが複数あったり、といった様々な要因で単価設定は変わるし、常に全ての客室が満室状態ということもあり得ないので、これらの数字は変動する。


 ちなみに海楽荘の場合、年間売上5.3億円で客室数は150室であるため、単純に逆算してRevPARを算出すると9,680円(5.3億円÷365日÷150室)となる。


 RevPARが1万円を切る相場はほとんどビジネスホテルと変わらない単価であり、ブッフェ形式の食事や大浴場等、シティホテル並の設備を整えているにも関わらず、素泊まりのビジネスホテル程度の価格でしか客が泊まってくれないという話である。



「安売りしてなんとか部屋は埋めてるんだけどジリ貧みたいな感じなのかなぁ。稼働が低いなら、単価を安くしても部屋を埋めてしまえば売上は伸びますけど、埋めて今の売上という話だと正直きついですね」



 根本的な原因はさらに詳細な調査が必要であるものの、なんとなく海楽荘の実態は掴めてきた。



「資金繰りは大丈夫なんでしたっけ」


「いえ、ぎりぎりですね、たぶん。既存借入金の年間の返済額がだいたい1.5億円なので、ほぼ営業利益と見合ってしまってますから」


「実際はそこから税金払ったりするので、キャッシュフローはマイナスか…。これ以上売上落ちたらまずいな」


「あ、念の為の共有ですが、現在の株主の間で株主間協定などは締結されていないようですので、株の移動は株主の自由。社長の修司さんが明日にでもウォンキットに株を売ろうと思えば、できてしまいますね」



 白坂の追い討ちに細矢が苦笑する。財務的にも余裕はないし、単純に株の取引だけで考えても急がなければ手遅れになる、入口からなかなかの追い詰められっぷりである。


 どこから手をつければいいのか、時間があればより詳細なDDを進めてから先方に会いにいきたいところだが、もう見切り発車でも走り出した方がいいかもしれない。


 そんな時、細矢のデスクに置かれた電話から電子音が鳴り響いた。


 この電話は内線でしか鳴らない仕様としているため、電話の相手先は2階フロアにいる佐藤のはずである。



「はい、細矢です」


『あ、細矢さん? 佐藤です。お客様が来てます』


「ん? いえ、お客さんの来社予定はないので誰か分かりませんが、お断りしといてください」


『あ、はーい。わかりました…あ? いやちょっとまっーーー…ーーーっ、細矢さんっ!!』



 電話越しの声がいきなり女性に変わったのに併せて大音量が鼓膜を襲い、細矢は思わず受話器を遠ざけた。



「…どなたですか?」


『森田です!』



 もりた?


 細矢の脳内名刺管理システムから該当する苗字の人物がどんどんリストアップされていくが、女性で森田という名前は聞いたことが…。



『紀伊銀行の森田梢です!』


「え? あー…森田さん。覚えてますよ」



 ようやくデータベースにヒットした彼女は、西野農園の担当として、悪名高い法人部副部長(名前忘れた)にくっついてハラスメント被害に遭っていた森田梢であった。


 わざわざ黒船の本社を訪れるとは、よほどあの部長から無理難題を押し付けられたのか。特にこちらから森田に要件がないことを改めて整理しつつ細矢は口を開いた。



「なんのご用件でしょう。西野農園は順調ですし、今後の返済も問題なくやっていけると思いますが。合弁会社の黒船食品についても、うちの社員が出向して、売上作れるようにーーー」


『あの、銀行辞めてきました』


「えーと…ん? 辞めたって言いました?」


『はい、辞めてきました』


「えーと?」


『黒船グループに入社したいのですが、採用頂けるか分からなかったので、直接お伺いしました』


「えーと…」


『はい』


「少々お待ちください」



 受話器を置いて一旦考える。



「白坂先生」


「はい」


「例えば組織のしっかりしてる銀行とかなら、今やってることって俺らの仕事じゃないですよね」



 白坂は律儀に締めていたネクタイを緩めつつ、キーボードから手を離した。



「細矢取締役。それは愚問ですが、私の立場からすると、矢原取締役にドキュメンをしごかれるくらいなら、今のDDの仕事の方が性に合っています」



 細矢は違いないと笑いながら、じゃあ新しいパートナーをご紹介しますと続けた。



「白坂先生、今すぐ雇用契約書、一枚用意してください。契約巻いとかないとさすがにこの部屋には入れられないので」



 白坂の返事を待たずして、受話器を取ると、自動的に2階オフィスの内線へと繋がった。



『はい森田です』


「我が物顔ですね森田さん」


『恐縮です』


「今から面接します。銀行員時代にホテルの案件を見たことありますか?」


『もちろんです。木国支店に異動する前は白浜町支店にいましたから』


「合格です。階段で3階に上がってきてください。印鑑持ってますか?」


『ありがとうございます。持ってます』


「じゃあ後で」



 細矢は受話器を置いて大きく背伸びをしながら椅子から腰を上げた。



「優秀な方なんですか?」


「んー…今のところは猫の手という感じかもしれないですね」



 西野農園の案件の際に彼女の能力を評価できるような場面は正直なかったと記憶している。


 ただ何せ金融は素人が入りづらい業界だ。猫の手になれる存在だけでも限られる中で、飛び込んできてくれた人材を断るほどの余裕は黒船にはなかった。



「それに年齢忘れちゃいましたけど、彼女若いはずなんで、これからいくらでも伸びますよ」



 いま細矢がやろうとしていた見切り発車を自分の職務経歴書で実践してくる度胸にはポテンシャルを感じる。


 窓の外から差し込む夕日が徐々に暗闇に変わる。本社の前に矢原が運転しているであろう車が停まったのが見えた。



「…もうすぐ黒船カップですね。場内アナウンスの準備は大丈夫ですか、白坂先生」


「進藤さんが台本作って頂けるので大丈夫です」



 6月の第1土曜日が黒船カップの初戦だ。対戦の組み合わせは糸瀬のこだわりで完全にくじで決めており、南紀ウメスタSCは去年の1部リーグ王者、紀北サッカークラブを迎え撃つ。



「頼むぞ…」



 主催側が一回戦敗退という事態は避けたいところだ。逆初戦さえ突破できれば優勝は見えてくる。


 マネーゲームが始まるプロの手前まではサッカー素人の細矢ができることは少ない。


 3階フロアの扉が開く音に合わせて細矢は窓から目を離した。


 来るべき時に備えてとにかく資金を増やすことだ。そのための黒船ターンアラウンドであり、PJ Seesawであった。






つづく。

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