第30話 絶滅危惧種の左足
(簡易人物メモ)
下村健志(5): 南紀ウメスタSC 選手兼監督
真田宏太(4): 南紀ウメスタSC所属FW
栗田靖(初): 関大和歌山高校 監督
三瀬学人(初): 関大和歌山高校サッカー部員
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木国市でトップクラスの企業規模を誇るゼネコンの田辺組に新卒で入社した真田宏太は、ただいま新人研修の真っ最中。今日は和歌山市内のマンション建設現場で先輩の仕事ぶりを見学していた。
現場が早めに終わったため、さっさと電車に乗って帰ろうかと思っていた矢先、クラクションの音に振り返ると、南紀ウメスタSC監督の下村が運転席から手を上げていた。
わけもわからず車に乗せられ、拉致されること10分。車から降りると、目の前に広がった学舎を見上げる。正門の横には重厚な彫刻で学校の文字。
「関大和歌山高校?」
「ああ」
関大和歌山高校は和歌山県内で最強のサッカー部を有する名門校だ。真田が2年生の時こそ、木国高校が全国大会の切符を手にしたものの、その前年も翌年も、和歌山県代表は関大和歌山高校である。
下村の後について歩くこと数分。芝生に覆われたピッチが姿を現すと、公式戦やテレビでも見慣れた赤いユニフォームが目に入った。
「監督」
下村が軽く声をかけて頭を下げると、関大和歌山高校の監督である栗田靖が、ガラの悪い色付きの眼鏡の奥からこちらを一瞥した。
「…真田か」
不意に声をかけられて驚く。田辺組の作業着に身を包んだ場違いな格好を気にしつつも頭を下げた。
「あれ、ご存知でしたか?」
「木国の10番だろ、知ってるさ。お前にやられて俺らは一昨年全国行けなかったんだからな」
ニヒルな印象とは裏腹にめちゃくちゃ根に持っていた。苦笑する真田をよそに、下村が一歩近づくと。
「また会いに行ってもよろしいですか?」
「あいつなら練習に来とらんよ。どっかで玉蹴りしてるんだろ。そっちの裏の壁じゃないか?」
状況が分からず突っ立っていた真田を置いて、下村が栗田によって指差された方向に歩き出したため、慌てて追いかけるようにその後を追う。
「もしかしてスカウトですか?」
「ああ、そうだよ。お前がいたほうが響くかなと思って連れてきた。悪いな、付き合わせて」
「あ、はい。それはいいんですけど。現役の高校生ってことですか?」
「ああ」
社会人サッカーリーグのチームには高校生でも入ることが可能だ。中卒で社会に出て働いている人間もいるわけだから当たり前であるが、ただ社会人サッカーリーグのチームに所属した場合、高校の部活動には参加できない。高校の全国大会への出場はもちろんのこと、和歌山県大会の出場も不可能だ。
「厳しいんじゃないですか、部活辞めるってことですよね」
「さっきの話聞いてたろ。部活参加してないんだよ」
先程の下村と栗田監督のやりとりを思い返す。何か事情があるのだと真田は察した。
サッカー部のグラウンドの脇を抜けると、校舎に続く石造の階段の横が大きな壁となっていた。上から聞こえる運動部の声から察するに階段の先にはテニスコートかなにかがあるのかもしれない。その壁に向かってサッカーボールを蹴っている制服姿の男。
左利きだ。それが真田の最初の感想だった。明らかに左でボールを扱っている。そのタッチの滑らかさには雰囲気があった。その雰囲気はもちろんボールコントロールの上手さからくるものだが、おそらく彼の体格がひょろりとしていてかつ制服を着ていることから、スポーツマンらしく見えないことも多少関係しているようにも感じた。
「彼ですか?」
「どうだ?」
「ぱっと見上手そうな感じはしますけど、3年生ですか?」
「ああ。三瀬学人、出身は埼玉で、中学は全国大会までいってる。その後、推薦入学で関大和歌山高校に入学し、1年の時に公式戦での出場記録はあるが、2年生以降出番なし」
「出番なし? どうして?」
「そこは不貞腐れ王子に聞いてみよう。ーーーおーい! 三瀬くん!」
声をかけられた三瀬がキックの加減を見誤り、強めに跳ねたボールを慌てて胸トラップしつつ、不機嫌そうに振り返った。
「またアナタですか…暇ですね」
「おまえもな」
すでに一定の関係性ができているようだった。二人して三瀬に近づくと、当然に視線は真田の方に向けられる。
「こちらは?」
「うちの10番、真田宏太だ」
「真田…木国高校の真田?」
名前を聞くとさすがに見る目は変わったように感じたが、すぐさま眉を顰めて、芝居がかった雰囲気で前髪をかき上げた。
「真田さん、あまり学校の関係者に顔を見せない方がいいですよ。恨まれてるでしょうから」
「さっき栗田監督からも言われたよ」
「は…負けたのは自分のせいなのに、恥ずかしい男だ」
監督との関係性は険悪なようである。今のところ性格に難がありそうだということは理解できた。
「今日も練習出ないのか?」
「…ええ」
僅かな沈黙の後、三瀬は再びボールを蹴り始めた。
「おまえは確かに関大和歌山高校のサッカーには合ってない。それでも、態度を改めれば使われると思うけどな、俺は」
「こっちからお断りです。時代遅れのプレーヤーらしいですから、俺は」
「監督が言ったのか?」
「そうですよ。どんなにボール使うのが上手くても、すぐ倒れて走れないやつはいらないと」
「ふーん、どう思う? 真田」
「…その通りだと思います」
現代サッカーにおいてフィジカルの重要性は年々高まっていると言われている。選手が走る距離やスプリント回数が飛躍的に増加しており、例えば2010年と2018年のワールドカップを比較した時、試合中に選手が行うスプリント回数は平均で20%以上増加しているらしい。それを可能としているのは、データ分析に基づく効率的なフィジカルトレーニングの結果として得られた選手の高い瞬発力や持久力である。
また日本サッカーにおいてもヨーロッパの基準に合わせ、フィジカルコンタクトの伴うプレーをファウルとされにくくなっている。したがって、線の細いテクニシャンはゴリマッチョのアスリートに薙ぎ倒されボールを奪われるだけになってしまった。監督が時代遅れと表現しているのはそういった背景から出た言葉だろう。
一昔前に観客を魅了していた「ファンタジスタ」と呼ばれるプレーヤーは絶滅し、アスリートがしのぎを削る世界にサッカーは変わったのだ。
「現代日本の教育は長所を伸ばすトレンドであるはずなのに、それに徹している私が評価されないのは不本意です」
「あのなぁ…そんなこと言ったって、試合に勝てなかったら意味ないだろ」
「…勝てますよ。私にフリーキックを蹴らせてもらえればね。フリーキックだけなら誰にも負けません」
真田は下村の表情を伺い、彼の言っていることが嘘ではないことを感じた。同時に、フリーキックが上手いということは才能だけでサッカーをやってきた選手ではないということも認識した。
ボールの細かいテクニックはセンスと言われることも多いが、フリーキックの精度だけは練習の絶対量であると言われる。とにかく死ぬほど蹴ってきたやつだけが辿り着ける境地があるのだ。
「栗田監督だってそれは分かってるさ。言い方が悪かっただけだろ。お前もう18になるんだろうが。大人の言うことが全部正しいなんて思ってないよな」
「じゃあ謝ってほしいですね、せめて」
「んー…監督も頑固そうだしなぁ」
長所を伸ばすことはサッカーにおいても王道である。プロになれる人間は必ず人よりも優れた武器を持っている選手だ。ただそれは、最低限求められる能力を全て兼ね備えた上での話であり、おそらく栗田はバランスを取れと三瀬に言いたかったのではないか。
つまりこの状況はただの意地の張り合いであり、指導者も悪いし、選手も悪いというのが下村の結論だった。
「じゃあ、もう部活には参加しないんだな?」
「しません」
「よし、分かった。じゃあこれに名前書け」
差し出された紙を三瀬が受け取って驚いた。
「もう参加しないなら所属する必要ないだろ。退部届出して、うちに来い」
「うち?」
「南紀ウメスタSC、この前説明しただろ」
「ああ…覚えてますよ。Jリーグ入りを目指しているとか?」
「そんで、下手な奴らと一緒にサッカーしたくないって言ってただろお前。だからこいつを連れてきたんだ」
改めて三瀬が真田に視線を向ける。なんと言っても現在所属している関大和歌山高校を公式戦で打ち破った本人である。これ以上の説得力はなかった。
「私が真田さんにパスするってことですか。それはイガグリが悔しがりそうな構図ですね」
イガグリというのは栗田監督のあだ名である。全国大会常連のチームを作ってきた手腕は名将として評価されている一方で、あの性格だ。内部に敵が相応にいることを物語るネーミングであった。
「うちはセットプレイのキッカーがいない。こいつにボールを供給するパサーがいない。全部お前がやれ。その代わり…」
「その代わり?」
「フィジカルは徹底的にやるぞ。いいな」
「………」
「関大和歌山は100人も部員がいて細かいケアはされなかったかもしれないが、うちはまだ全部で20人もいないんだ。人つけるからとにかくやれ。それで、こいつと一緒にプロになれ」
「…プロ?」
「ウメスタがJリーグに上がるってことは自動的に選手は全員プロになるんだ。だからプロになれって言ってんの」
下村はもう一枚、ウメスタが選手入団時に交わしている白地の契約書を三瀬に手渡すと、さっさとその場を離れていった。慌てて真田も後を追う。
振り返ると、三瀬はボールを地面に放ったまま、渡された契約書に目を通しているようだった。
「監督、あれで終わりでいいんですか? フィジカル強化しないのが彼のポリシーなんじゃ」
「あいつだってフィジカルトレーニングが必要なことくらい分かってるさ。練習サボったって学校で球蹴ってるようなやつだぞ。本当は監督と仲直りして、部活やりたいんだよ」
「…え、じゃあうちに呼んじゃって大丈夫なんですか?」
真田の言葉に下村がアホかと笑った。
「誰の心配をしてるんだおまえは。俺らは自分のために動けばいいんだ。監督と喧嘩したまま別れてもらって大いに結構」
「…来ますかね、あいつ」
「来るよ。ただそれでも全然人は足りんから、とにかくどんどん声かけるしかない。各ポジション二人はいないと、怪我したら終わりだからな。お前も気をつけろよ真田。練習は緩めないが、適度にバランス取れ」
「ういす」
このやりとりから一週間が経ち、南紀ウメスタSCに初の現役高校生選手が誕生することになる。
背番号8、三瀬学人。ポジションはトップ下。
管理部長である真弓の鬼の事務手続により、選手登録は最短で済ませられ、そのデビューは二週間後のリーグ戦第2節と決まった。
デビュー戦に前後して投稿された黒船chの選手紹介動画における、彼のキャッチフレーズとしてこう謳われた。
絶滅危惧種の左足。
つづく。




