第25話 理想郷の形
(簡易人物メモ)
糸瀬貴矢(8): 黒船SC 代表
田辺和善(2): 田辺組 専務取締役
田辺善次(初): 田辺組 代表取締役
村上(2): 田辺組 黒船事業部 部長
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2019年3月、糸瀬は田辺組の専務取締役である田辺和善に呼び出されていた。
株式会社田辺組は年商50億円を超える木国市内ではトップの建設会社である。2011年の民事再生以降、順調に業績を回復させてきており、今では、木国市を超えて案件受注できる規模にまで拡大してきた。
黒船の要求する半ば無茶なスケジュールの工期にも対応し、黒船サッカーパークの第一練習場の芝工事、第二練習場の開発、駐車場の開発、さらに黒船ターンアラウンドで手掛けるトロントジムの店舗開発2件をやりきったのである。
和善の進退をかけて立ち上げた黒船事業部は、部の発足からたった2ヶ月で総額3.1億円の売上を作り出すことに成功。無事に面目は保たれる形となっていた。
「糸瀬さん、すみません。ご足労頂く形になってしまい」
本社ビルのエントランスには既に専務の和善と、黒船事業部の部長である村上が待ち構えており、軽く会釈をしてエレベーターに乗り込んだ。
「あ、村上さん。うちの第二練習場も人工芝に切り替えますので、また見積もりもらえますか?と、うちの矢原から言伝を頼まれました」
「ありがとうございます! 畏まりました。多分ほとんど金額は変わらないと思いますが、すぐに見積もり用意しますね」
「今月定例会議やるんで、そこで何か決まったらまたお願いするかもしれないです」
本社ビルの最上階で3人は降りると、まっすぐ廊下を通って社長室の扉をノックした。
10畳ほどの個室に重厚な革のソファとテーブル。その奥に備え付けられた執務用の机に向かって書類を眺めていた老齢の男がこちらに気がつくと、ゆっくりと立ち上がり前に出た。
田辺善次。和善の父に当たる田辺組の二代目社長である。過去の民事再生を含め、あらゆる困難を先頭に立って乗り越えてきた威厳がその風貌からも伝わってくる。
「ご無沙汰しています、社長」
糸瀬の言葉に善次は表情を崩した。
「糸瀬くん! はっはっは、久しぶりじゃないか。挨拶が遅すぎるんじゃあないか?」
「すみません、こう見えてそれなりにバタバタしておりましてですね」
「知ってるよ! そのおかげでこっちもバタバタさせてもらったよ、もちろん金もらってだけどな」
普段あまり感情を表に出さないタイプと聞いている。そのギャップに和善は別として、村上は面食らっているようだった。
「億単位の案件をいくつももらっていて、本来はこちらからご挨拶に伺うところをご足労をかけたね」
「何を仰います。こちらこそ迅速に進めて頂き、村上さんには感謝しています」
恐縮する村上を尻目に各々がソファに腰かけた。善次社長は相変わらずだ。以前、和善にPJ黒船の実績をもって社長になれとハッパをかけたが、この様子ではそう簡単に席を譲るようには思えなかった。
「糸瀬くんが木国に来てどれくらい経ったかな」
「えー、12月に来ましたので3ヶ月ですね」
「そうかそうか。どうだ、この街は。駅前の商業施設、郊外のスーパーマーケット、ブルーワーカーのためのワンルームマンション、一世一代のマイホーム。この街は全部田辺組が作ったという誇りを持って働いてるんだよ、社員のみんなはな」
善次は出された熱いお茶を無理やり飲み干すと、カンと乾いた音を響かせてテーブルに叩きつけると身を乗り出した。
「さて、糸瀬くん。あんた、この街をどうするつもりかね」
田辺組は木国市で創業して50年にもなる老舗の建設会社だ。ゼネコン業界全体から見ればその組織は大きくないが、木国市内ではナンバーワンの売上規模を誇るそのプライドゆえの質問だろう。
過去の経緯は別として、自分たちを差し置いて街を作ると豪語した黒船なる連中の真意を見極める。それが今日の面談の目的であることを糸瀬は察した。
「田辺社長。サッカーはお好きですか?」
善次とは対照的に、糸瀬は唇を湿らせる程度にお茶を含んでから口を開いた。
「残念ながら縁のない生活を送ってきた」
「そうですか。スポーツはお好きですか?」
「残念ながら縁のない生活を送ってきた」
同じフレーズを繰り返してプレッシャーを掛けようとする善次の眼光を正面から受け止めて、糸瀬も身を乗り出した。
「では、田辺社長が黒船サッカーパークへ遊びに来る。そういう場所を作ろうと思ってますよ。…社長の力を借りて」
「ほう…! サッカーもスポーツも知らん私がか? とてもそんな風になるとは思えんが」
善次は予想外の言葉に口元を釣り上げて興味深そうに顎を摩った。
「社長、ヤマトの和歌山製鉄所は行かれたことありますか?」
「無論ある。当時の所長に案内されたよ、随分昔の話だがね。正直見て面白いもんでもなかったが、あんだけ木国にデカいもん造られちゃあ、一度は見とかないとな」
「では社長、鉄はお好きですか?」
「い、いや、あんなもんは好きとか嫌いとかじゃなく…ーーーあ」
そういうことですよと糸瀬が善次の顔を覗き込む。暫しの沈黙の後、善次は声をあげて笑った。
「面白い、少しは興味が湧いてきたぞ。糸瀬くん、ジジイの心を掴むのが上手いな」
「ありがとうございます。せっかく来て頂けるなら、なにか楽しみになるものがあったほうがいいですよね。和善さん、お父さんは何かお好きなんですか?」
「え、あーそうですね。んー、温泉とか?」
「いいじゃないか。温泉は欲しいな。うちが木国一番の温泉作ったるわ」
「温泉かぁ。権利買ってくるところからやらないといけないですが、なんとかしましょう。どのみち、宿泊施設はどこかのタイミングで作らないといけないですからね。でも社長、本当に見たいのは…『人』でしょう?」
「人?」
糸瀬の問いに善次は怪訝な表情を浮かべた。空っぽになった自身の湯呑を見て、隣に座る和善のお茶まで飲みだしている。
「そうです。その土地で暮らす子供たちですよ」
子供とは希望であり未来だ。地元に何十年も腰を据えて街を見てきた人間が、子供の姿を見て喜ばないわけがない。
「そうか、そういう場所になるんだな…」
「昔はどこがそういった場所でしたか?」
「どこがって…街を歩いてりゃあ、そこら中に子供はいたさ。名前も住んでるところも知らん子供たちだったが、とにかく子供ってのは走り回るもんだから、親みたいに叱ってたよ」
そう言って笑う善次の顔は、一瞬だけ代表取締役としての顔を忘れたような、年相応の柔らかさが見え隠れする。
「今は少子化で、地方は過疎で、子供どころか大人も減ってしまった。街をあの頃に戻すというのは多分難しいでしょう。時代がそれを許さないですからね」
「そうなんだろうな」
「…でも街のほんの一部だけでもそういう場所があったら? そこに人は集まるのではないか。…それが、ボールパーク構想の目指すところです。だから私たちはあそこに小さい街を作ると言っているんです」
村上が身震いをした。
和善も拳を握りしめる。
善次は大きく自分の膝を両手で叩いた。
「おもしろい。田辺組は全面的に協力するぞ。そんな理想郷、作れるもんなら作ってみろ。生半可な覚悟じゃ無理だが、あんたはやっちまいそうな気がするから不思議だ」
和善がタイミングを見計らったかのように口を開いた。
「社長、黒船さんのサッカーチームにスポンサードしましょう」
「スポンサー?」
「ええ、プロサッカーではそういう文化があります。クラブは地域のものですが、支えてるのは企業なんですよ」
ふむんと善次は考え込むように腕を組んだ。
「糸瀬くんはスポンサーを探してんのか?」
「ええ、まあ。今のところ口説けたのは一社だけです」
「そのサッカーチームはどんなチームなんだ?」
「日本で一番のサッカーチームになります」
「ほう…即答しおったな。うちがスポンサーになるとどうなる?」
「試合で着るユニフォームに、御社の名前が載ります。メインスポンサーは胸のあたりに大きく名前が載りますね。選手はもちろん、サポーターと呼ばれる応援団も全員そのユニフォームを着ることになります」
「ほう…おもしろい仕組みだな。そうか、確かにサッカーのユニフォームには企業の名前が書いてある気がする。野球はないのになぁ」
善次は記憶を掘り起こすように視線を上に向けた。
「いくら出せばいい?」
「100円でも、100億円でも」
「は、謙虚なのか図々しいのかどっちかにせい」
「ご参考までに。すでに決まっているスポンサーには1,000万円出して頂きました」
善次は手を挙げて「じゃあ、2,000万円だ」とぶっきらぼうに言った。
「他のとこの倍出す。それでいこうじゃないか」
「ありがとうございます。勘弁してくれと言われるようになるまで、チーム大きくしますね」
「うちはそれよりも速いスピードで会社をでっかくし続けるぞ」
意地の張り合える関係がビジネスパートナーの理想だと、糸瀬は善次と固い握手を交わした。
後から聞いた話だが、チームのエンブレムを考えてくれた寺田デザインからも100万円のスポンサー料を獲得したらしい。
こうして、黒船サッカークラブの実質初年度のスポンサー支援額は合計3,100万円となったのである。
つづく。




