第17話 農家の後継
(簡易人物メモ)|
西野裕太(初): 木国高校3年生 サッカー部
西野裕介(3): 裕太の弟 木国JSC所属GK
西野裕(初): 西野農園 社長
中辻(初): 紀伊銀行木国支店 法人部副部長
森田梢(初): 紀伊銀行木国支店 担当銀行員
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2019年2月、黒船サッカーパークのwetubeチャンネルにアップされた動画にて、シェガーダ和歌山とのプレシーズンマッチが正式に告知された。
@tosu1995
関西1部相手に勝てる要素あるの?
@ncff_jo
これで勝ったら他の動画で言われてる金持ち道楽説は全部ひっくり返るね。
@user_iro
金でマッチメイクしたんじゃない?ショーイベント的な感じになるんじゃねーかな。
@utauta
フルで動画上げるのは潔いよね。
@takahashi
現地で応援する方っています?俺は行こうと思ってます!
動画コメントの反応は様々だが、現状はやはりどちらかといえば否定的な声が目立つ。よく知らないものに対して否定から入るのは人間の心理である。
自室にて黒船のwetubeチャンネルを開いた西野裕太は、すぐにお気に入りの動画をタップした。1月下旬にアップされたセレクションの映像である。動画に映っている青いビブスを着た28番の選手がゴールを決めるシーンを何度も見返していた。
28番の選手がセレクションの後どうなったかという結末の動画はまだアップされておらず、詳しい選手のプロフィールはネットで公開されていないが、裕太は彼のことを知っていた。
真田宏太。木国高校を全国大会に導いた立役者であり、全国大会の舞台で裕太は、先輩や後輩のサッカー部員とともに観客席にいた。
裕太と真田は同級生、チームメイトであった。と言っても一緒にプレイしたのはお互い3年生になった時だけであり、かつ真田とは違ってスタメンではなかった裕太は、同じピッチに立った時間も限定的ではあったが。
もっと真田のことを語りたくて、何度か動画にコメントを残そうかと思ったが、結局は見ているだけに留めていた。自分だけが知っている優越感みたいなものを感じたかったのかもしれない。
チームメイトであるにもかかわらず、裕太は真田のファンであった。自分と同じ身長、同じポジション。裕太の理想とする選手像をそのまま体現していたのが真田であった。高校に入ってからはほとんど彼の真似ばかりしていた。
しかしなぜ彼がセレクションを受けているのか裕太は分からなかった。大学サッカーの名門である大阪文化大学の推薦を勝ち取った話はサッカー部なら皆知っていることだったが、なんらかの理由で推薦が取り消されてしまったのだろうか。
もちろんSNSや面と向かって直接聞くことはできたが、正直そこまで親しい間柄ではなく、聞かないまま今日まで至っていた。
「ねえねえ兄ちゃん」
ガチャリと自室のドアノブが回って、弟の裕介が顔を出した。
「裕介、どうしたの? あれ、試合近いんだっけ?」
裕介が自分を訪ねてくるのは珍しい。兄である自分に用事がある時は練習に付き合ってほしいくらいのものなので、勝手に予測して裕太はそう口にした。
「24日の日曜日って暇?」
「24日?」
「サッカーの試合見に行かない?」
「サッカーの試合? どこでやるの?」
今はオフシーズン。サッカーの試合なんて、それこそ先程見ていた南紀ウメスタの練習試合くらいしか…。
「裕介。それって黒船サッカーパークのこと?」
「…! そう! それ!」
兄が知っていることを喜んだのか、裕介はダッと部屋に飛び込んでくるとその勢いで高らかに宣言した。
「俺ウメスタのサポーターになったんだ!」
「サポーター!?」
「そう! だから応援しにいく! 兄ちゃんもいこう!」
一気に話が飛躍して裕太は混乱した。そもそも裕介と彼らにどんな接点があるというのか。
「なんで裕介はウメスタのこと知ってるの?」
「え、一緒にサッカーしたからだよ! 社長と!」
「社長と!?」
この上ない接点であった。
「あとね、健人のお父さんは監督やってて、翔太の兄ちゃんは選手なんだよ!」
接点だらけであった。
ってちょっと待てよ?
「翔太くん…真田翔太くん?」
「そうだよ! うちのエース! 俺は守護神!」
裕介の通っている少年サッカークラブの話をしているのだろう。裕太はそこまで熱を入れてサッカーをしていなかったが、裕介はすでに小学校からバリバリやっていた。上級生を差し置いてU10チームの正GKなのである。なぜ裕介がGKやっているのかというと、小さい頃に手加減して打った裕太のシュートを止められたのが嬉しかったらしい。その反面、裕太はサッカーが下手というレッテルも貼られてしまっているが…まぁそれは嘘ではないけど。
話を戻して、裕介の話を踏まえると、真田宏太はセレクションの後、ウメスタの選手になったということだ。つまり練習試合に行けば見られる。
「よし行こう」
「ほんと!? やったー! じゃあ約束ね! 試合までに100人集めなきゃいけないんだ!」
「あ、サポーター100人?」
「見にくる人! みんなで応援すればウメスタ勝てるかもしれないんだって!」
「おお…」
実際応援は力になる。単なる思いつきではなく、実はすごくチームのために動いていることを知って裕太は感心した。動画のコメント勢はそんなこと知るよしもないだろうが、弟の頑張りが報われるといいなとは思う。
「ーーーどうするんですか!?」
突然階下から大きな声が聞こえてきて、裕太はびくっと肩をすくませた。先程とは打って変わって裕介の表情が暗くなる。
「銀行の人来てるのか」
「うん、そう」
裕太と裕介の父は自営業で、木国で梅農家を営んでいた。家族ぐるみでやっている規模よりはほんの少し大きく、西野農園として法人格をもって運営している。
和歌山における梅の栽培は古くは江戸時代から始まっているらしい。年貢に苦しむこの地域の住民が、米の育たない痩せた土地や山の斜面を活用して代わりに梅を作り始めたのがきっかけだとか。現在では日本全国で生産される6割以上がこの紀南地方でつくられている。
梅農家にとっての冬は開花の季節だ。受粉を促すためにミツバチを放った甲斐もあり、西野農園の梅は見事に花が咲いていた。桜より二足ほど早い、控えめな花見の時期でもある。
「裕介は部屋にいて」
弟にそう声をかけると、裕太は階段を降りて、客間に顔を出した。
「裕太」
父の裕がすぐに気がついて声をかけたが、それに答えることなく、足を踏み出して父の隣の椅子に腰を下ろした。
向かいに座るのは西野農園のメインバンクである紀伊銀行木国支店の法人副部長の中辻と、西野農園を担当する森田の二人だった。
銀行は定期的に人事異動によって担当や上席がコロコロ変わる。西野農園はこれまで銀行とはうまくやってきたつもりだが、去年の人事で中辻が副部長になってから苦労が絶えなかった。
「まだ学生だろ、君。お父さんと話をしているから下がってくれないか」
「中辻さん」
横柄な中辻の態度に、隣に座る森田が長い髪を揺らしながら嗜めようとするも、意に介さず。
「将来西野農園を継ぐのは私なので、私も同席します」
「裕太…」
裕太は今年の3月に高校を卒業すると同時に、西野農園で働くことを決めていた。いずれは代替わりして自分が社長になるというのは両親とも話し合った結果である。特に疑問を持ったことはなく、そういう人生だと裕太は思春期の頃から整理できていた。
裕太の思わぬ切り返しに中辻の顔がわずかに歪むも、居住まいを正して話を続ける。
「来月には当座貸越の期限が来るでしょう。弊行として決裁が取れている枠の金額は2,000万円です。差額の1,000万円はご返済頂きたい」
当座貸越とは、企業に銀行が借入枠を設定し、その範囲内であれば自由に資金を借りることのできる融資の仕組みである。
西野農園は3,000万円の融資枠を設定してもらっていたが、昨年の不作の影響もあり、現在は限度額いっぱいまで借りている状況であった。
「先程の繰り返しになってしまいますが、急にそんなことを言われても困ります。あと一ヶ月しかないじゃないですか」
「しかし稟議の結果ですから、私どもではいかんとも…。ご返済が難しいと、そういうことですか?」
「去年の不作の影響はまだ引きずっています。今年はそれなりに戻すことができましたが、そんなにまとまったお金はご用意できません」
「ふぅん…森田くん、担保取ってるんだっけ」
このまま話しても平行線であると察したのか、中辻は担当の森田に横目で視線を送った。確認しなくても当然知っているはずだろうと思う。
「…はい、土地とご自宅の担保は頂いています」
「社長。一部土地を売ってしまったらどうです? それで返済すれば済む話じゃないですか」
「そ、そんな簡単には決められません…。ここは代々妻の実家が引き継いできた西野家の土地です」
父は婿養子だった。母とは恋愛結婚だそうだが、経緯は詳しく知らないものの、梅農家を継ぐことを決意したらしい。
中辻は何かとっかかりを見つけたとでも勘違いをしたのか、姿勢を崩してテーブルに肘をつく。
「社長、ご結婚されたとはいえ貴方が西野家を背負う必要はないですよ。去年の不作は貴方のせいじゃない。土地を手放したって、誰も非難する人はいませんよ」
「…妻とは話してみますが、基本的に売るつもりはありません」
「あのね、開き直ってるんじゃないよ。金返せないやつが悪いんだろうが!」
ガンとテーブルを叩く音とともに場は静まり返った。中辻の言うことは正論であるが、では銀行は何のためにあるのか。地域の経済を支えることが使命ではないのか。
「まぁ、土地の売却が決まったら教えてください。うちが懇意にしている不動産会社を仲介に立てたいのでね。そうすれば、少しは条件良くなるかもしれないですよ」
そう言い残して中辻は早々に振り返ることもなく去っていった。その一方で、深々と頭を下げ続ける担当の森田の姿が、銀行という組織の歪さを物語っているようだった。
「裕太、心配するな」
中辻がひっくり返した湯呑みを片付けながら父は笑った。
「来週にでも、支店長のところに頭を下げに行くよ。支店長は前からいる人だし、もう少し話を聞いてもらえるかもしれない」
「そうだね…」
裕太は相槌を打つことにした。今年の売上は良いはずだ。この調子があと2、3年続けば、1,000万円くらいの金は返せる見込みなのである。
農家をやっている友達が何人かいる。彼らにも相談してみよう。同じように苦しんでいるかもしれないし、逆に何か解決策を持っている可能性もある。
「それより本当にいいのか、うちを継ぐこと」
一連のやりとりを目の当たりにして決心が揺らいでいるのではないかと父は心配しているのかもしれない。裕太の答えは変わらなかった。
「うん、それは決めてる。それに裕介はサッカー頑張ってるからさ。裕介は自由にやってもらいたいんだよ。もしかしたらすごい選手になるかもしれないよ」
「そんなにすごいのか裕介は」
「俺もよく知らないんだけどさ、なんかーーー」
もちろん裕介がすごい選手になれるかどうかの可能性はおそらくとても低いだろう。それでも少し違う話題で気分を変えようと裕太は大袈裟に手を振った。
今後黒船と深く関わることになる西野農園の現状は決して明るくはなかった。
つづく。




