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聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。  作者: みやこのじょう


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54話・亡き母の話

 宴が開かれている大広間を抜け出し、ルーナはリヒャルトを伴ってとある部屋を訪れていた。王宮の端にある特別な部屋で、罪を犯した貴族を一時的に捕らえておく『檻のない牢』のような場所である。


 この部屋には、宰相インテレンス卿と結託して自分の娘を聖女に仕立てようとした罪で捕まったクレモント侯爵ステュードが軟禁されている。


 アルケイミア側の警備の騎士とシュベルト外交担当のハインリッヒ立ち会いの元、ルーナとリヒャルトが室内へと入った。あてがわれた部屋の隅に置かれた椅子に腰掛け、ステュードは項垂れている。


「お父様」


 ルーナが声を掛けても返事もせず、頭も上げない。先ほどルーナ自身が親子ではないとハッキリ絶縁宣言をしたばかり。実際に血の繋がりもないのだから当たり前だ。だが、今さら『クレモント侯爵閣下』などと呼ぶのもおかしい気がして、ルーナは敢えてこれまで通り『お父様』と呼んだ。


「お聞きしたいことがあります。よろしいですか」

「……なんだ」


 背を曲げて椅子に腰掛け、俯いたままステュードは気の抜けた返事をした。実の娘(アトラ)を王妃に据える野望が(つい)え、犠牲にしようとした養女(ルーナ)にしてやられた今、何もかもがどうでも良くなっていた。


 そんなステュードの姿を、ルーナは複雑な気持ちで眺めていた。自信と威厳に満ち溢れ、父娘として暮らしてきた十数年間ずっと恐ろしく感じていた。必要以上に萎縮し、自分から話し掛けるなんて出来なかった。しかし、今の彼は生きる気力を失ったかのように小さく弱く見える。


「私の産みの母親のことです。知っていることがあれば教えてください」

「……」


 ルーナの問いに、ステュードは黙り込む。あれだけ邪魔をしたのだから、ルーナの希望を叶えたくないのかもしれない。本当に知らないのかもしれない。だが、今を逃せば確認する機会は永久に失われる。ルーナは祈るような気持ちでステュードの返答を待った。


「おまえの母親は亡命してきたティラヘイア貴族だった」

「ティラヘイアの」


 必死の思いが通じたのか、しばらく無言を貫いた後、ステュードはポツポツと語り始めた。さっさと答え、ルーナたちに出て行ってもらいたいのだろう。


 以前ラウリィの母であるエクレール伯爵夫人から聞いていたため、ティラヘイア貴族と聞いてもルーナは驚かなかった。そのまま話の続きを促す。


「シュベルトとの国境付近に住む知人がティラヘイア貴族の夫人を匿っていた。彼の屋敷に滞在中彼女は子を産んだ。それがおまえだ」

「私はアルケイミアで産まれたのですね」

「ああ。だが、内乱で夫が失脚したとの(しら)せが来て、産後間もない彼女はどんどん衰弱し、亡くなった。その頃にはティラヘイアとの連絡も途絶え、後に残された娘をどうしたものかと知人に相談され、我が家で引き取ることにしたのだ」


 当時身重だったルーナの母親はティラヘイアの内乱で国外に亡命、父親は国に残っていたという。その父親は失脚して連絡も途絶え、匿っていた知人は困り果てていた。そこで、ステュードが養女に迎えたという。


「母の名前は」

「わからん」

「そうですか……」


 知人とやらに聞けば分かるだろうが、そこまで協力する気はないらしく、ステュードは口を閉ざした。だが、なにかを思い出したようで、パッと顔を上げてルーナを見た。部屋に入ってから初めて視線が合い、ルーナはびくりと体を震わせる。反射的にリヒャルトが間に立とうとするが、それでもステュードの目はルーナを追った。正しくは、ルーナではなく身に着けている首飾りを見ていた。


「その首飾りは、おまえの母親が娘のためにと遺したものだ。肌身離さず持たせるようにと言って死んだと聞いた」


 やはり首飾りは母親の形見で間違いなかった。ようやく確証が得られて、ルーナは胸元に手を伸ばして首飾りに触れる。十数年前、母親もこの首飾りに触れていたのだと思うと、不思議と心が満たされる気がした。


「お父様、首飾りが魔導具だと知っていましたよね。なぜ取り上げなかったのですか」


 ひと昔前ならばともかく、現在魔導具はほとんど流通しておらず、高値で取り引きされている。幼いルーナに持たせるより売り払ったほうが得ではないか。養育費代わりに貰っても文句を言う者は既にいないのだから、と。


「死に際の母親の願いを無下にするほど非道ではない」


 ステュードはルーナの問いを鼻で笑った。自分の愚かさを嘲ったのだ。結局、我が娘(アトラ)可愛さに『首飾りが魔導具である』と密告して聖女候補の資格を奪い、養女(ルーナ)を利用し尽くそうとしたのだが。


「それに、首飾りには家紋が入っている。売れば不義理が露見してしまうからな」

「家紋が?」


 思わず胸元を見下ろすが、見える範囲に家紋らしきものはない。恐らく外して裏返さねば見えぬ位置に刻まれているのだろう。


「知っていることはこれだけだ」


 会話は終わりだと言わんばかりに、ステュードは顔を背けた。もう少し話を聞きたいと思いながらも、ルーナはここで切り上げることにした。そして、深々と頭を下げる。


「今まで育てていただいたこと、心から感謝しております。ありがとうございました」


 どんな思惑があったにせよ、一人では生きていけない身寄りのない幼子を引き取り、養ってくれた事実は変わらない。感謝の言葉を伝えるとステュードは呆れたように小さく息を吐き出した。


「……本当に我が子であったならば、もう少し愚かであったろうよ」


 自虐とも取れる言葉を呟いた後、彼はルーナを見ようとしなかった。部屋を出る前、ルーナはもう一度向き直って頭を下げた。瞳が涙でにじんでいることにリヒャルトは気付いていたが、なにも言わずにただ寄り添うだけに留めた。


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