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聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。  作者: みやこのじょう


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53話・一人でも大丈夫

 宰相インテレンス卿、クレモント侯爵ステュード、その他の後ろ暗いところのあるアルケイミア貴族たちが次々に連行されていく。大広間に残された近隣諸国からの客人たちは、思わぬ出来事に遭遇してまだ混乱していた。


 そんな中、ディールモントが壇上から降りて客人たちの前に立った。彼も混乱の中にあり、まだ立ち直れてはいない。しかし、招いた側の最高責任者として場を仕切らねばならない。


「我が国の問題をこのような形で見せ、不愉快な思いをさせてしまい、たいへん申し訳なく思う」


 まずは騒がせたことを陳謝し、今後の予定について説明をする。


「明日の私の式だが、予定通り執り行わせていただく。ただ、」


 ところが、次の言葉がなかなか出て来ない。誰もがディールモントの発言を待っている。しばらく無言の時が過ぎた。


「……ただ、何も知らずにいるほうが、私は幸せだったのかもしれない」


 最後にインテレンス卿が残した言葉はディールモントの胸に深く突き刺さっている。出来ることならすぐにでも外界から遮断された場所に閉じ籠もりたくなるほどに彼の心は傷だらけだった。


 迷い悩むディールモントを、イリアが隣で支えている。彼女は余計な口は挟まず、彼が自分の言葉でみなに語り掛けるまで待った。そんなイリアに一度視線を向けてから、ディールモントは話を続ける。


「だが、知った以上、なにもしないわけにはいかない。これからのアルケイミアは私たちが変えていく。今日この場に居合わせたあなたがたには立ち合い人となっていただきたい」


 力強い決意の言葉に、しんと大広間が静まり返る。そして、どこからか拍手の音が聞こえてきた。シュベルトの王子グレイラッドとラスタだ。グレイラッドは笑顔でディールモントの前へと進み出る。


「もちろん、明日の式には喜んで立ち合わせていただくとも。我がシュベルトはアルケイミアとの関係をより良くしていくつもりだ」

「感謝する、グレイラッド王子」


 二国の王子が固く手を握り合う。その姿を見た客人たちから拍手と歓声が巻き起こった。グレイラッドが率先して国としての意見を表明したからである。


 思わぬ騒ぎとなった宴が終わり、大広間には関係者のみが残った。ディールモントとイリアは連れ立ってルーナのもとに来た。


「ルーナ様、うまくいったわね」

「ええ、イリア様が協力してくださったおかげです」


 宰相インテレンス卿の悪事を暴露するにあたり、ルーナは事前にイリアに話を付けていた。冷静沈着で聡明な彼女はアトラが第二聖女に選ばれたことを不審に思い、不正の可能性を疑っていた。証拠がなく行動に移せなかったが、ルーナ出奔の経緯を聞き、自ら協力を申し出てくれたのだ。


 ルーナが話せるよう誘導した後、王子を精神的に支えることがイリアの役目。


「大勢の人の前で話をする際のコツも役に立ちました。おかげで何とかなりましたわ」

「ふふ、聖女候補の頃から苦手でしたものね」


 最終選定の日、不正を疑われたルーナは選定官や神官、ほかの聖女候補の令嬢たちの前で責められ、追い詰められていた。そこにさりげなくイリアが助け舟を出し、ルーナを解放する流れを作った。彼女はルーナにとって、尊敬に値する存在となっていた。人前で話すことを何より苦手としているルーナの相談に乗ってくれたのもイリアである。


「そういえば、あなたの側にいた騎士のかた、お怪我をなさっていたのでは?」


 今は少し離れた場所に立つリヒャルトにちらりと視線を向け、イリアが心配そうに尋ねた。問われたルーナは慌てて否定する。


「いえ、服が破れただけのようです。あの赤いのは血ではなくワインで……」

「そうだったの。良かったわ」


 床にできた血溜まりは既にティカが綺麗に片付けている。現に、リヒャルトが平然と立っているものだから、イリアはルーナの説明を素直に信じた。


 実際リヒャルトは怪我を負ったのだが、所持していた治癒のハンカチの効果で跡形もなく治っている。ルーナが刺繍で魔導具を作り出せることを広めれば要らぬ問題が起きかねない。故に、アルケイミア側には情報を伏せると最初から決めていた。怪我がないのだからアトラの罪も問わない、というわけだ。


「……本当に、ありがとうルーナ様」


 イリアは改めてルーナに感謝の言葉を述べた。


「なにも知らずにいたら、将来私が産んだ子が殺されていたかもしれないのよね。アトラは負けず嫌いだから、きっと自分の子を世継ぎにしたがるだろうし」


 魔力の素質は遺伝で決まる。努力でどうにもできないのなら、後に残された手段は限られている。そんな未来を想像して、イリアは不安そうな表情を見せた。そして、ルーナの手を両手でしっかと握る。


「ルーナ様、私と共に王妃になりませんか」


 まさかの申し出に、当のルーナだけでなくリヒャルトが反応を示した。彼は少し離れた場所でゼトワール隊の部下たちに指示を出していたのだが、それどころではない。会話を途中で打ち切られたディルクが「どうしたんですか隊長」と話し掛けるが、完全に無視してイリアとルーナを凝視していた。


「先ほど殿下とも少しお話をしたのです。殿下はルーナ様が毅然とした態度でインテレンス卿に立ち向かう姿に感服した、と」


 ルーナには魔力がある。治癒のハンカチを作る能力がある。それこそ、第一聖女に選ばれたイリアより素質が高い。望めばアルケイミアの王妃になれる身である。ディールモントの魔力不足を補うための一番手近な方法とも言えた。


「ごめんなさい。無理です」


 しかし、ルーナはアッサリ断ってしまう。


「なぜ? 私より素質が高いのに」


 まさか拒否されるとは思ってもいなかったイリアは、冷静沈着な彼女にしては珍しく動揺を見せた。


「王妃様って、常に堂々と振る舞わなくてはならないのでしょう? 先ほどだけで一生分の視線を浴びた気がします。意気地のない私にはとても務まりません」

「そんな、」

「──それに」


 尚も食い下がろうとするイリアを、ルーナが止めた。少し困ったように小首を傾げ、ふふっと笑う。


「私の出自は不確かなものです。聖女となって王族に嫁ぐなんて最初から有り得ない話でしたの」


 聖女候補の選出には幾つか条件がある。


 貴族の令嬢であること。

 一定以上の魔力を持つこと。

 品格と教養を備えていること。


 ルーナはアルケイミアの貴族ではない。故に、本来ならば聖女候補にすら選ばれない立場なのだ。


「これまで聖女が二人選ばれていた理由は魔力供給のためだけではなく、自分の娘を王族に嫁がせたい者とその願いを利用した宰相の企みだったのです。だから、イリア様はお一人でも大丈夫」


 笑顔で強く言い切られ、イリアは小さく頷いた。


「殿下と末永くお幸せに」


 心からの祝福の言葉を贈り、ルーナは踵を返してリヒャルトの元へと戻っていった。


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