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聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。  作者: みやこのじょう


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52話・感情の行き着く先

 すべてを台無しにされて逆上したアトラは騒ぎに乗じて近付き、背後からナイフを振り下ろした。狙いは憎きルーナ。命までは奪えなくとも、顔や体に生涯消えぬ傷を刻みつけてやる。二目(ふため)と見られぬ醜い容貌になって周りにいる男たちから見放されればいい。そう思いながら、渾身の力をこめて刺した。


 しかし、アトラのナイフはルーナではなく側にいたシュベルトの騎士の腹部を貫いた。肉を抉る感触がナイフの柄から手のひらに伝わり、少し遅れて温かな液体が垂れてくる。血の感触だと気付いたアトラは小さく悲鳴をあげてナイフから手を離した。


「ルーナ嬢に近付くな。次は容赦なく斬る」


 誤って刺してしまったシュベルトの騎士に睨まれ、アトラは床にへたり込んだ。


 彼女は今まで男性から乱暴な物言いをされた経験がなく、故に受けた衝撃は計り知れなかった。この男は刺されたから怒っているだけ、痛みで言葉遣いが荒くなってしまっただけだと思おうとした。


 そうこうしているうちに別の騎士に腕を縛られ、動けなくされてしまう。


「リヒャルト様ッ!」

「ルーナ嬢」


 駆け寄ってきたルーナの姿を見て、シュベルトの騎士の表情が明らかに変化した。先ほどアトラに見せた厳しい顔付きから柔和な笑顔へと変わったのだ。気に食わない、とアトラは唇を噛む。


「ああ、こんなに血が!」


 涙目で取り乱すルーナの姿に少しだけ溜飲が下がる。狙いは外れてしまったが、間接的にルーナに嫌がらせが出来た。自分の行動は無駄ではなかったのだ、という実感が湧き、アトラの気分が晴れた。後ろ手に縛り上げられた状態で、返り血にまみれたドレス姿で、アトラは口の端を引き攣らせて笑った。




──アンタも絶望の淵に墜ちなさい、ルーナ!




 ところが、またしてもアトラが想定していない事態が起きた。


 何の手当てもしていないにも関わらず、シュベルトの騎士の腹部の傷から流れ出る血が止まったのである。そして、苦悶に歪んでいた騎士の表情がゆるみ、みるみるうちに顔色も良くなっていった。


「え、うそ。なんで」


 程なくしてシュベルトの騎士は立ち上がった。自分の手にはまだ生身の人間を刺した感触が生々しく残っている。足元の床に残る血溜まりが怪我をしていた確かな証拠だというのに、当の本人は平然としている。


 目の前で起きた事象に言葉を当て嵌めるとすれば、それは『奇跡』となるだろう。信じ難い光景に、アトラは愕然とした。


「痛みはありませんか」

「ああ。少し休めば問題ない」

「良かった。ご無理なさいませんよう」


 ルーナと騎士の会話を聞きながら、アトラは更に混乱した。混乱したまま警備の騎士に連行され、宴の会場である迎賓館の大広間から出されていく。


 今日はアトラにとって()き日となるはずだった。()えある第二聖女として王子の隣に並び立つはずだった。アトラの幸せは、ルーナに全て壊されたのだ。


 その憎きルーナが警備の騎士を呼び止め、アトラの前に立った。先ほどまで泣きそうになっていたからか、目の端がまだ赤い。でも、その表情は凛としていた。


「なによ。無様(ぶざま)なわたしの姿を笑いに来たの?」

「いいえ」


 憎まれ口を叩くと、ルーナは眉を下げ、小さく首を横に振った。


「先ほど刺した件は不問にするとリヒャルト様が仰ってくださいました。ですから、あなたの罪は軽く済むはずです」

「……、……はぁ?」


 意味が分からず、アトラは間の抜けた声を上げた。


「私は、あなたが羨ましかった。お父様の本当の娘で、大事にされていて。お父様が閣下と裏で取引をした理由は全てあなたのためですもの」


 ルーナの言葉に、アトラはカッと頭に血が昇るのを感じた。


「そんなの、わたしだって! 本当の娘じゃない癖にお父様と一緒に暮らして、クレモント侯爵家の娘だと堂々と名乗れていたアンタをずっと羨ましく思っていたわよ!」


 叫ぶように言い返すアトラの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。つりあがった目と食いしばられた口元から憎悪の感情が伝わってくる。それでも、心のうちを吐露した彼女をルーナは憎めなかった。こんな状況に置かれて初めてアトラが同い年の少女であったと気付いたからだ。


「アンタなんかに、分かるもんですか」


 泣き顔を見られないようにするためか、アトラは騎士に促されるより先に自分から大広間の扉をくぐって出て行く。顔を上げ、背筋を伸ばして歩く姿は誰よりも気高く美しい。


 ルーナがアトラの姿を見たのはこれが最後となった。


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