51話・血まみれの床
すべての悪事を暴かれたインテレンス卿は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「銀髪の悪女、いや魔女を捕らえよ! 人心を惑わし、国を乱す大罪人だ! アルケイミアの国儀を愚弄した罪を償わせるのだァ!」
唾を撒き散らかしながら怒鳴る宰相の姿に誰もが怯んだ。大広間内にいた警備の騎士は一応ルーナを取り囲みはするが、流石にもう剣を向けることはできない。先ほどのやり取りは全員聞いており、どちらが悪者か一目瞭然である。
インテレンス卿は現国王の次に権力を持っており、アルケイミアの騎士たちには逆らうという選択肢すらない。逆らえない対象は騎士だけではなく、過去に悪事に加担した貴族も当然含まれていた。
「帳簿が公開されればどうなるか分かっておるのか? どのみち待つのは身の破滅だ。ならば今こそ動けぃ!」
インテレンス卿の父や祖父、更に前の当主の時代から裏取引の記録を残した理由は、内政や外交の方針を決める時に足並みを揃えるため。そして、宰相の地位を磐石とするための切り札。
数人のアルケイミア貴族が反応し、みな必死の形相で掴みかかろうとした。貴族相手に剣を向けるわけにもいかず、リヒャルトはルーナを背に庇うしかできない。だが、リヒャルトが迷っている間に彼らは突然床に倒れ込んだ。ディルクが当て身を喰らわせ、気絶させたのである。
「えーと……つい殴っちゃったけど、コレ後で外交問題とかにならないですよね? 殿下」
「さあ、どうだろうな」
「え、ちょっと! 擁護してくださいよ!」
ディルクとグレイラッドの会話を聞き流しながら、気を失ってぐったりしているアルケイミア貴族たちの体を引きずって隅に寄せるゼトワール隊の騎士たち。あまりにも容赦のない扱いに、周囲にいた客人たちは恐れをなして後退していく。
「護衛部隊は各国の貴人を安全な位置まで下がらせよ。可能な限り怪我人を出すな!」
「はっ」
グレイラッドの指示を受け、護衛部隊数名が近隣諸国からの客人たちを誘導して大広間の後方へと避難させた。
「……チッ、役立たずめが」
気絶させられた貴族たちを一瞥してから、インテレンス卿はルーナたちから距離を取った。周りを警備兵で固め、守らせている。
「宰相、悪足掻きはやめよ。おまえの悪行は既に多くの者の知るところとなった」
ディールモントがこれ以上の抵抗をやめるよう声を掛けると、インテレンス卿は細い目を更に細め、微笑んだ。その表情からは嘘偽りない敬愛の念が滲み出ている。
「……嗚呼、お可哀想な殿下。何も知らずにおれば辛い思いをせずに済んだでしょうに」
するりと出てきた気遣いの言葉に、誰もがぞっと背筋が凍る感覚を覚えた。
インテレンス卿は王族を心から敬いながら同時に利用している。自分の一族が何百年もの長きに渡って干渉し、作り上げてきた現在の王族に愛着があるのだろう。ただ、『君主に従う家臣』ではなく『愛玩動物の管理者』くらいの感覚を自身に抱いているのかもしれない。
インテレンス卿の異常性を垣間見て、ディールモントは何も言えなくなってしまった。
大広間内にいる人々の視線がインテレンス卿へと集中している中、密かに動く影があった。目立たぬよう、じりじりと標的に近付いてゆく。そして、床を蹴って一気に距離を詰めた。
「アンタのせいで!」
背後から飛び掛かってきたのは髪を振り乱したアトラだった。手に何か光る物を握っており、勢いのままに真っ直ぐルーナに振り下ろそうとしている。
護衛部隊もゼトワール隊も、貴族の令嬢に対しては全く警戒していなかった。故にルーナからはやや離れた位置におり、素早いディルクでも間に合わない。一番そばにいたリヒャルトが咄嗟にルーナを突き飛ばし、アトラとの間に割り込んだ。
「リヒャルト様ッ!」
床に投げ出されたルーナが上半身を起こし、振り向いた瞬間、リヒャルトの体がぐらりと揺れた。片膝をつき、蹲るリヒャルトの背中の向こうに茫然と立ち尽くすアトラの姿があった。彼女の手には給仕係が料理を切り分ける時に使用するナイフが握られており、刃の部分から赤い液体が滴り落ちている。あれでリヒャルトを刺したのだ、とすぐに分かった。
「リヒャルト様、血が!」
すぐさま駆け寄ろうとするルーナを、ラウリィが引き止める。リヒャルトのそばにはまだ凶器を持ったアトラがいるからだ。後から追い付いたティカがルーナのそばに座り、優しく肩を抱いて落ち着かせる。
「……私の大事な家臣を傷付けたな?」
シュベルトの王子から冷たい目で睨まれ、アトラは恐怖で体を強張らせた。
「あ、わたし、違うの。本当は、ルーナを」
アトラの手指はガタガタと震え、持っていた血まみれのナイフを取り落とした。慌てて必死に弁解するアトラのドレスの裾を、蹲ったままのリヒャルトが掴んだ。そのまま体重を掛けて引っ張り、アトラの身を屈めさせる。
「……ルーナ嬢に近付くな。次は容赦なく斬る」
「ひぃっ!」
怒気を孕んだ低い声。超至近距離から本気の殺意と威圧を喰らい、アトラは腰を抜かして床にへたり込んだ。駆け付けたディルクが手持ちの縄で両手を縛り上げて自由を奪う。
アトラを拘束した後、ようやくルーナはリヒャルトのそばへ行くことを許されたが、彼の周りには血だまりができていた。




