39話・悩みと対策
次期国王となる王子と結婚し、王妃となるということは、いずれ世継ぎを産まねばならないということ。妊娠と出産は避けられない。王妃が果たすべき最も重要な役割である。
「母方の女性は小柄な者が多く、妊娠中から体調を崩したり、産後の回復が遅かったり、ひどい場合には命を落とすことも珍しくないと聞いております。実際、わたくしの母は亡くなりました。先日も従姉妹が難産の末に……」
女性にとって出産は文字通り命懸けの大仕事である。例え安産だとしても母体は少なからず傷を負い、体力は根こそぎ奪われる。子を望む全ての女性が直面する問題だが、当たり前のことだからと軽視される傾向にある。周りに悩みを打ち明けたとしても、子を授かってもいないうちから考えても仕方のないことだと一蹴されてしまう。
だから、ラスタは今まで誰にも弱音をこぼせなかった。王子本人にもだ。普段の彼女は次期王妃になるべく勉学や礼儀作法をまなび、立派に振る舞っていると王子やハインリッヒ達から聞いている。だが、同じ女性として、ルーナにはラスタの悩みが他人事とは思えなかった。
ふと、貴族ならば治癒の魔導具を購入して対策したら済むのではないかと考えた。
しかし、ラスタが生まれるちょうどその頃、ティラヘイアでは内乱が起きている。魔導具の流通が止まっていた可能性が高い。もしかしたら、自分の母親も同じ理由で出産時に命を落としたのではないか。治療院でのマルセルや他の患者の反応から見て、現在も魔導具自体が少ないのではないかとルーナは思い至った。
恐らく金さえ積めば必ず入手できるという代物ではないのだろう。だからこそ、ディルクの実家は多額の謝礼金を治療院へと送ってきた。欲しくても、そもそも物がないのだ。
「ラスタ様。先ほど少しお話ししましたが、私は治癒のハンカチを作ることができます」
ラスタの手を取り、自分の胸元へと引き寄せながら、ルーナは言葉を続ける。
「もしラスタ様がご懐妊されましたら、ものっっっすご~く凝った刺繍を入れたハンカチをお贈りいたします。きっと、どんな傷でも治りますわ」
治癒のハンカチは万能ではない。悪阻や出産時の痛みを軽減するような効果はない。だが、命に関わるような出血を癒やすことはできる。ラスタが恐れる死だけは避けられるはずだ。
「ほ、本当に?」
「ええ、お約束いたします」
力強く断言すると、ラスタの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。とめどなく溢れる涙と止まらない嗚咽に、彼女がどれほど追い詰められていたのかを思い知る。
「私がきっとお力になります。だから安心してください、ラスタ様」
「ルーナ様……ッ」
単なる慰めではなく具体的な解決策を示され、ラスタは大きく心を動かされた。勢いよく椅子から立ち上がり、ルーナの胸へと飛び込む。そして、そのままわんわんと泣き始めた。
自分より小柄な彼女の頭を何度も撫でてやりながら、もし妹がいたらこんな感じだろうか、とルーナは微笑んだ。
「あのですね、ラスタ様。悩んでらしたことをそのまま殿下に伝えれば分かってくださいますよ」
「……そうかしら」
ルーナの胸元に顔を埋めていたラスタが上目遣いで唇を尖らせる。拗ねた表情がまた愛らしく思えて、自然と口元がゆるんだ。
「殿下はラスタ様が思い悩んでいることに気付いておられました。本当ならご自分で元気付けたかったのでしょうけれど、同じ女性のほうが話しやすいだろうからと、わざわざ私を寄越したのです」
王子から頼まれなければ、ルーナはラスタと話す機会すらなかった。アルケイミアからの協力要請の件はむしろついでで、彼にとってはこちらが本題だったのかもしれない。そうでなければ、同じ離宮内にラスタを待たせる必要はなかったのだから。
親同士が決めた結婚だが、二人は互いを想い合っている。羨ましいと素直に思った。
「ありがとう、ルーナ様」
「いいえ。少しでもラスタ様の気持ちを軽くするお手伝いが出来て嬉しく思います」
すっかり懐いたラスタと共に王子達が待つ応接室へと戻る。ずっと塞ぎ込んでいた婚約者が笑顔を見せるようになり、王子は「ルーナ嬢に任せて良かった!」としきりに褒め称えた。
「ラスタは貴女が気に入ったらしい。王宮に出仕して側に居てやってくれないか」
「王宮へ、ですか」
ルーナの袖をぎゅうと掴み、ラスタが期待を込めた目を向けてくる。
ようやく本心を晒せる話し相手と出会えて余程嬉しかったのだろう。突然の誘いに戸惑いながらも、ルーナにはラスタとの交流を断る理由などなかった。シュベルトに来てから初めて貴族の令嬢と知り合い、腹を割って語り合った。アルケイミアにいた頃には出来なかった経験だ。
「お待ちください殿下。ルーナ嬢を気軽に外に出すわけには──」
リヒャルトが食って掛かるが、王子はにやりと口の端を上げて嗤う。
「アルケイミアの神官長には使者を出した。もうルーナ嬢は追われる身ではなくなるのだぞ」
「それは、仰る通りですが」
「ルーナ嬢はおまえの所有物ではない。きちんと理解しているな? リヒャルト」
「……ッ」
リヒャルトは自分の言動を顧みて口を噤んだ。目の届く範囲からルーナを連れ出されそうになり、焦っている自分に気付く。ルーナには個人の意志がある。どこへ行くか、誰と過ごすかは彼女自身が選ぶべきこと。他人であるリヒャルトが口出しする権利などない。
「リヒャルト様」
俯くリヒャルトに、ルーナから声を掛ける。
「私、ラスタ様のお力になるとお約束しましたの。ですから、王宮に出仕してもよろしいでしょうか」
「あ、ああ。ルーナ嬢がそう望むのなら」
やはりルーナは自分の元を去るのだ、とリヒャルトは握る拳に力を込めた。手のひらに食い込む爪の痛みで平常心を保つ。
「それで、ゼトワール侯爵家の離れから王宮に通っても構いませんか?」
「……うん?」
ルーナの言葉に、リヒャルトが首を傾げる。王子とラスタ、そしてラウリィもきょとんとした顔でルーナを見ていた。
「か、通う?」
「ええ。ご迷惑でないのでしたら、ですけど」
てっきり王宮内に住み込むのではないかと思っていたリヒャルトは、通うと聞いてホッと安堵の息を吐き出した。
「構わん。朝夕の送迎もこちらで手配しよう」
「ありがとうございます、助かります」
まだルーナは自分の側から離れてはいかない。それだけで、リヒャルトの気持ちは幾分か楽になった。




