37話・悪ふざけと嫉妬
決断を迫られたルーナは大きく息を吸い込み、そっと目を閉じた。選択肢を与えられているようでいて、実際に選べる道は一つしかないと気付いたからだ。
神官長は国を通して協力要請をしてきた。もはやルーナ個人の問題ではなく国家間の話ということ。断れば、庇ってくれているリヒャルトとラウリィ、それにエクレール伯爵夫人にも迷惑を掛けてしまう。何より、今はゼトワール侯爵家の離れで世話になっている身。ゼトワール侯爵家の当主であるハインリッヒの意向に背くわけにはいかない。
王子は最初からルーナがどういう反応を見せるか、何を選択をするかを観察して見定めようとしているようだった。もし自分の感情や都合を優先して拒否すれば、表面上はどうであれ心の中で侮蔑するだろう。
──所詮その程度の女であったか、と。
「……わかりました。アルケイミアに参ります」
長い沈黙の後、ルーナは決意を口にした。リヒャルトとラウリィが息を飲む気配を背中に感じ、ふ、と口元が自然とゆるむ。何を恐れることがあるのだろう。自分には心強い味方がいる。そう思えば、答えは自ずと導き出された。
「よく決断したルーナ嬢。私は君の勇気ある選択を好ましく思う」
「勿体ないお言葉です、殿下」
王子からの称賛の声を笑顔で受けてから、ルーナは彼の後ろに立つハインリッヒに視線を向けた。
「ゼトワール侯爵閣下、アルケイミアの神官長様に私の意向をお伝えくださいますか」
「わかった。直ちに使者を手配しよう」
「お手数をおかけいたします」
ハインリッヒは大きく頷いてから一旦王宮へと戻っていった。アルケイミアへ返答の使者を送るためだ。国境を接しているとはいえ行き来には数日掛かる。手配は早いに越したことはない。
「ルーナ嬢の無事を知らせれば、あちらはすぐにでも帰国するようにと言ってくるだろう。私はアルケイミアの王子の結婚式に招かれている。せっかくだから、共に行こうか」
「はあ」
どうしようかとルーナは迷った。シュベルトの王子と行動を共にしていれば滅多なことはない。どのみちシュベルト国内の移動には護衛が必要となる。ただ、世話になりっぱなしで良いのだろうかと悩んでいた。
「俺もアルケイミアに行く」
「僕も行くよ。心配だからね」
すかさずリヒャルトとラウリィがルーナの左右に陣取り、王子を軽く睨みつける。「番犬が二匹も付き従っておる」と肩を揺らして笑いながら、王子はルーナに視線を戻した。
「アルケイミア行きの件は後日詳しく話を詰めるとして、だ。私からルーナ嬢に個人的なお願いがあるのだが構わないだろうか」
「はい、私で務まるのでしたら何なりと」
了承すると、王子は椅子から立ち上がってルーナの手を取り、応接室から連れ出そうとした。リヒャルトが妨害しようとするが、まるで踊っているかのような軽やかなステップでルーナを抱えて身をかわす。
「殿下、いい加減にしてください」
急に手を引かれ、くるくると回らされたルーナは、最終的に王子の腕の中にすっぽり収まってしまった。
「王族に殺気を向ける家臣があるか」
「では、ルーナ嬢を離してください」
険しい表情で距離を詰めるリヒャルトを挑発するかのように、王子はルーナの腰に腕を回した。ぞわりとした嫌悪感に蒼褪め、体を硬直させるルーナを見て、リヒャルトがギリ、と歯を嚙み鳴らす。
緊迫した空気を壊すのはラウリィの役目だ。
「ラスタ様に言い付けますよ、殿下」
「それは困る!」
婚約者の名を出された途端、王子はパッと手を離した。解放されたルーナがよろめき、リヒャルトが抱き留める。互いに安堵の息を吐いてから、スッと体を離した。
「冗談はこのくらいにしておくか。私も即位を控える身。悪ふざけで家臣に刺されては笑い話にもならん」
「自覚がお有りでしたら最初から控えてください」
「つまらん男だ。いや、先ほどの反応は非常に愉快だったがな。珍しいものが見られた」
アッハッハと声を上げて笑う王子を射殺さんばかりに睨みつけるリヒャルト。そんな同僚を宥めつつ、ラウリィが話を切り替える。
「それで、ルーナ嬢に頼みとはなんです?」
「おお、忘れるところだった!」
自分から言い出しておきながら、王子は用件を完全に見失っていた。リヒャルトをからかうことに夢中になっていたからだ。
仕切り直しとばかりに軽く手を打ち鳴らし、王子はルーナの目をまっすぐ見据えて口を開いた。
「ルーナ嬢には我が婚約者殿の話し相手になってもらいたい」
「殿下の?」
以前から何度か名前だけは聞いている。王子を大人しくさせる呪文のように、ラウリィが何度か口にしているからだ。
「ここのところ塞ぎ込んでいてな。どうにかして元気付けてやりたい」
ふざけてばかりの王子だが、婚約者の話題になると様子が変わる。心から心配しているのだと分かり、ルーナは改めて了承した。




