19話・再逃亡
ハンカチの取り引きの返事を一旦保留とし、ルーナたちは騎士団の拠点を辞した。行きと同様に馬車で家の近くまで送り届けられる。終始丁重な扱いに恐縮しつつ、その日は解散となった。
日暮れ前の時間帯。通りはいつもと同じ賑わいで、緊張で強張っていた体から自然と力が抜けていく。同時に、止まっていた思考が動き始める様をルーナとティカは感じていた。部屋に入ってドアを閉めてから、二人は互いの手を取り合う。
「お嬢さま、逃げますか」
「ええ。そうしましょう!」
騎士団との取り引きに乗り気ではないルーナの様子に、ティカは当然気が付いていた。別れ際、ラウリィから当座の材料費や手付金を渡されそうになった時に断固拒否していたからだ。了承する前に対価以上の金銭を受け取れば断れなくなる。正式な契約を交わす前、つまり今なら何の問題もない。
「でも、いいの? ティカ。定食屋でのお仕事に慣れてきたところでしょう?」
「最初から短期の予定でしたから。どのみち追っ手が来ちゃいましたし、ここでの生活は無理ですよ。アルケイミアから近過ぎますもん」
「見つかるのも時間の問題だものね」
この街は国境からさほど離れておらず、長居には向かない。最初から路銀を稼ぐための仮住まいだと決めていた。実際に追っ手が現れた以上、住み続けるという選択肢はない。今回のハンカチの件はダメ押しとなっただけ。
「それに、ちょうど調味料が全滅しましたからね。良い機会です」
「それについてはごめんなさい……」
追っ手に見つかりそうになったきっかけは、ルーナが調味料の瓶を全て割ってしまい、定食屋に食事をしに出掛けたから。その際にラウリィに出会った。もっとも彼はハンカチの製作者を探していたわけだから、遅かれ早かれルーナに辿り着いていただろう。
「定食屋の女将さんに暇乞いをしてきます。あと、旅に必要なものを買い足してきますね」
「私は荷造りをしておくわ」
方針さえ決まれば行動は早い。まず大家に退去の連絡を入れる。備え付けの家具に過不足がないか確認してもらい、シーツや毛布等のかさばるものは買い取りを頼んだ。仮住まいのため私物は少ない。増えたものと言えば刺繍道具一式と消耗品くらい。衣服と共にカバンに詰め込み、荷造りを済ませる。あとは大家に鍵を返すだけ。昨日追っ手が現れた後に退去する旨を話しておいたおかげで手続きは滞りなく終了した。
日が暮れかけた頃に部屋を出る。ラウリィたちと別れてからまだ数時間しか経っていない。
「さ、行きますか」
「ええ」
近くの厩舎に預けていた馬を引き取り、二人で跨がる。手綱担当はティカ、後ろにルーナが乗る。
とりあえず、今日行った都市とは逆方向にある都市に行くと決めた。都市同士は整備された幅の広い街道で繋がっている。街から街へ移動するより都市を目指したほうが分かりやすいという理由もあった。そこへ行き、次に何処へ向かうかは一晩休んでから考えよう、と。
門には見張りが立っているが、見咎められることもなく通された。日暮れの時間帯は旅人や行商の馬車の通行が増える。人の流れに紛れ、月明かりに照らされた街道を進んでいく。クレモント侯爵家から逃げ出した夜を思い出し、ルーナはフフッと笑いをこぼした。
「どうしました? お嬢様」
「なんだか楽しいの。変よね、追われているのに」
「アタシも同じことを考えてました」
「まあ! 私たち似た者同士ね」
手綱を握るティカの腰に回した腕に力を入れ、離れないように抱きつく。一人では生きていけない貴族令嬢を外の世界へと連れ出し、普通の暮らしを教えてくれた道標のような存在。ティカにばかり負担を強い、追われる立場にしてしまったと悔いた回数は数えきれない。慣れない生活に戸惑い嘆くこともあった。でも、いつも明るく振る舞うティカを見ているうちに、ルーナは苦労すら楽しく思えるようになった。
「ティカと一緒ならどこでも大丈夫だわ」
もっと遠くへ。
誰も追ってこれない場所へ。
しかし、無計画な逃避行がすんなり成功とはいかなかった。次の街の入り口の前に立派な馬車が立ち塞がっていたからだ。扉部分に見覚えのある紋章が刻まれている。
「あれは、まさか」
同じ街から移動してきた旅人や行商の馬車も行く手を塞がれている。彼らの影に隠れるようにして、ルーナたちは様子を窺った。
「君たちの行動力には驚かされてばかりだよ」
馬車から降りてきた銀髪の騎士は、昼間と変わらぬ爽やかな笑みを浮かべて真っ直ぐ二人を見据えていた。
「らっ、ラウリィ様、何故ここに」
「アルケイミアの騎士が探している人は君たちだろう? 近いうちにあの街を出ると予想はついていた。まさか即日行動に出るとは思わなかったが」
周りにいた人々の中から数人が前に出て、ルーナたちを取り囲むように立ち位置を変える。よく見れば、行商人に扮した騎士だった。
「僕の指示で道中ずっと見張らせていたんだよ。もちろん、何かあればすぐに守れるように」
前後左右を囲まれ、ルーナとティカは逃亡自体を諦めざるを得なくなった。