18話・交渉
自分が作ったハンカチに治癒の効果があると言われ、ルーナはただただ困惑した。
「ええと、もしかしたら布や糸が特別なのでは?」
「もちろん調べたよ。君がいつも仕入れに使っている店で同じものを購入してね。だが、材料にはそんな効果はなかった」
ルーナのハンカチに使われている布は光沢のある高級な生地だが特別な効果などない。刺繍用の糸や縁を飾るレースも同様。
「今まで十数枚ほどハンカチを作って卸しましたけど、傷が治るなんて誰からも言われたことはないのですけれど」
「君の刺繍入りハンカチを買う客は裕福な女性ばかりで怪我をするような立場ではない。つまり、効果に気付く可能性は限りなく低い」
確かに庶民が気軽に買える値段ではない。主な客層は裕福な商家の娘か貴族の令嬢。危険とは縁遠い。
「それと、効果が永久に続くわけではないみたいだ。新しいものに比べ、先に卸したハンカチは効果がやや薄くてね。詳しく調べてみないとなんとも言えないけど、恐らく時間経過でハンカチから魔力が抜けてしまうからだと思う」
実際に効果を目の当たりにしたからこそ、リヒャルトとラウリィはハンカチの製作者のルーナに尋ねているのだ。
「おかしいですね。以前おじょ……ルウが刺繍したものを貰った時は怪我は治りませんでしたよ」
ティカの言う『以前』とはクレモント侯爵家にいた頃の話である。一番身近で仕えていた彼女はルーナから刺繍されたものを貰う機会があったが、水仕事で荒れた手指や切り傷などに特に変化はなかった。
「そうよね。私も昔はよく針を指に刺してしまったけれど、傷が消えるなんてことなかったもの」
あの頃と今で明らかに違うのは道具と材料。しかし、布と糸はその辺の店で買える品で、ラウリィの調査によれば単品で治癒の効果はないという。針や鋏、裁縫箱もシュベルトに来てから買い揃えた普通の道具だ。強いて言えば環境が変わったくらい。他に違いはあるだろうか、と二人は首を傾げた。
しばらく悩んだあと、ふいにティカが「もしかして首飾りかも?」と小さく呟いた。
アルケイミアにいた頃、ルーナが肌身離さず身につけていた首飾りは今はもう無い。聖女選定の時に不正を疑われ、神官長に奪われた。当時との明確な違いといえば、思い付くのはそれしかない。
「でも、あれは」
神官長はルーナの首飾りを『魔力増幅の魔導具』ではないかと疑っていた。もし真実ならば、むしろ身に着けている時にこそ効果が現れるべきではないか。なぜ外した今、手を加えたものに治癒効果が付与されるという事態になっているのか。
思い悩むふたりを見て、ラウリィは肩をすくめた。
「ごめん。困らせるつもりはないんだ。ただ、ハンカチの治癒効果は僕たち騎士団にとって非常にありがたいものでね。今後はぜひ優先的に購入させてもらいたいと考えている」
「でも、必ずしも治癒効果が現れるとは保証できません。効果も長続きしなさそうですし、そもそも単なる偶然の産物かもしれませんし」
「承知の上でお願いしているんだ。ダメかな」
「だ、ダメとかではなくて、ええと」
ラウリィから懇願され、ルーナは困り果てた。
ひっそり目立たず生きていくために始めた刺繍の仕事が騎士団の目に留まるなど思いもしなかった。同時に、初めて誰かの役に立てたという喜びも感じていた。
ただ、それは『治癒』という不確定な効果を望まれてのこと。きっと彼らは怪我が治るのならば雑に縫われた布巾だって欲しがるだろう。ルーナが快諾できない理由はその辺りにあった。
本来の客層は女性である。レースがあしらわれた刺繍入りハンカチなど屈強な騎士が持ち歩く品としては不適切な気がした。
「君が望む金額で構わないから」
「ええと、お金の問題ではなくて……」
なおも食い下がるラウリィに、しどろもどろで断ろうとするルーナ。隣でその様子を見ていたティカが「あの~」と小さく片手を上げて発言を願った。
「黙っていればお店で普通のお値段で買える物を、なぜアタシたちを通してわざわざ高値で買おうとするんですか」
付与効果のある魔導具は数倍から十数倍の価格で取り引きされる。治癒効果など製作者であるルーナですら知らなかったのだから、安価に入手したいのならば黙っていれば済む話だ。
「今後も確実に入手したいからだよ。団員の怪我が早く治る手段があるのなら多少値が張っても構わない」
騎士が負傷すれば人員が足りなくなるばかりか見舞い金や傷病手当などの支給も必要となる。即座に怪我が治ればそれらの出費がなくなるわけだから結果的に安くつく。
納得の理由に、ルーナたちは質問を引っ込めた。