12話・秘密の出会い
家の敷地から出たルーナは回り道をした。理由は明白、表通りにはティカが働く定食屋があるからだ。堂々と店の前を通れば言いつけを破ったことが発覚してしまう。回り道といっても表通りから数本奥の道を一区画ぶん歩くだけ。街の外壁に面した裏道のため、人目を避けて目的の道具屋に辿り着ける。
一人での外出や買い物は初めてだが、ティカのやりかたを隣で見て学んでいたから問題はない。道具屋で目当ての刺繍糸を見つけ、無事に買い物を済ませた。
表通りには他にも様々な店が並んでいる。貸本屋や雑貨屋、服屋、食べ物の屋台。興味はあるが、今のルーナはお忍びだ。寄り道せず真っ直ぐ帰らねばならない。後ろ髪を引かれつつ元来た道を戻ることにした。
「あら?」
異変に気付いたのは通りに入ってすぐだった。ぴんと空気が張り詰めている。ルーナは足を止め、注意深く辺りを見回した。狭い路地の左手は建物、右手は街の外壁に挟まれていて昼間でも薄暗い。
少し先にある壁のくぼみに身を隠すようにもたれかかる人影があった。呼吸は荒く、不規則に肩を上下させている。頭から被ったマントのため顔は見えない。
先ほど通った時にはこのような人物はいなかった。ルーナが買い物をしている間にやってきたのだろう。ひと目で怪しいと思ったが、ルーナには黙って通り過ぎるなどできなかった。マントの影から覗く手首から地面に滴り落ちる血を見てしまったからだ。
「あのっ」
気が付けば、恐怖を忘れて話しかけていた。声に反応した人影がピクリと動き、頭を上げる。目深に被られたマントがほとんどを覆い隠していて、顔は見えない。
「これを使って止血してください」
道具屋に買い物に行く際、ルーナは刺繍糸の色見本として縫い掛けのハンカチを持参していた。それを差し出すと、人影は明らかに動揺した。
「……綺麗な布だ。使えない」
マントの下から発せられた声は男のものだった。かなり疲弊しているようだが、意識はしっかりしている。
「他に血止めに使えそうなものは持っていませんの。差し上げますから、どうぞ」
大きさだけでいえば頭に巻いたスカーフのほうが止血には適している。しかし、スカーフはルーナの目立つ銀髪を隠すために必要なもの。ティカに『人前で外すな』と厳しく言いつけられているし、毎日洗ってはいるが傷口に当てられるほど清潔とは言い難い。その点、ハンカチは真新しくシミひとつない。他者に渡す物として他に選択肢はなかった。
眼前に突き出されたままのハンカチとルーナを交互に見てから、マントの男は「すまん、借りる」と受け取った。器用に片手で左手首の傷にハンカチを巻きつけ、血を止める。
「早くお医者さまに診てもらわないと。でも私、街のどこにお医者さまがいるのかまだ知らないの」
地面にできた血溜まりを見れば、ただ傷口を布で覆っただけの手当てでは不十分だと素人でも分かる。どうしたものかと眉を下げて悩むルーナの姿に、男がマントの下でフッと笑った。
「後で診てもらう。心配はいらん」
「絶対ですよ。放置しないでくださいね」
「約束する」
マントの男の言葉にルーナは強張っていた顔をゆるめ、口元に笑みを浮かべた。
「歩けますか? 人を呼んでまいりましょうか」
「必要ない。少し休んだら帰るから、君はもう行け」
心配から出た言葉はやんわりと拒絶されてしまった。出過ぎた真似だったか、と反省しながらルーナは立ち上がる。
「では、くれぐれもお大事に」
軽く頭を下げてから踵を返す後ろ姿に、マントの男は下ろしていた腰を僅かに浮かせた。本人も無意識の行動だったようで、戸惑っているうちにルーナを見失ってしまう。
「……せめて名前を聞いておくべきだったか」
身体が万全な時ならば追いかけて名を問うこともできたが、今は出血のせいで立ち眩みがしてうまく動けない。マントの男は左手首に自分で巻いたハンカチを右の手で撫でながら、小さく息を吐き出した。
「お嬢様、勝手に出掛けましたね!」
「な、なんで分かったのティカ」
「嘘ついたり誤魔化したりしないのは褒めて差し上げます。でも言いつけを破ったことは許しません。帰りに道具屋に寄ったら店主のおじさんが教えてくれたんですよ」
「ああっ、店主さんに黙っているようお願いしておくべきでしたわ!」
「言いつけを守れって言ってるんです!」
無断外出を責められたルーナは、ティカの怒りを鎮めるために必死に謝罪を繰り返した。