8 アルタイルの母親
アルタイルの新たに芽生えた意志を聞いた次の日。
アルタイルの父親のランバートが公爵家の二階にある彼の執務室を案内してくれるというので、アルタイルの姿は見えなかったけれどランバートの上着のポケットに入れてもらいながら、どんなお仕事をしているのか様子を見せてもらうことになった。
「さぁ、ここが執務室だよ」
「わぁ!」
本棚にはぎっしりと分厚い本が並べられており、綺麗に整理整頓された机上には、作業途中の書類が真っ直ぐに置かれている。
几帳面な性格なのだろうと勝手に性格分析をしてみたところ、すぐに否定された。
「ははは。結婚する前はこんなに綺麗に整理整頓していなかったんだ。妻がとても几帳面でね。その影響でずいぶんと鍛えられたかな」
机の上には、ランバートと仲睦ましそうに微笑む女性の絵姿がある。
その絵姿の中にいるアッシュグレーの髪色をした小さな男の子がアルタイルなのだろう。絵姿を見て、アルタイルは母親のサファイアブルーの瞳の色を受け継いでいるということがわかった。
ランバートは、私が何も質問して来ないので自分から話を切り出してくれる。
「アルタイルからは……まだ何も聞いていないようだね。妻はね……三か月前に病気で亡くなったんだ」
私にも伝えないといけないと思っていたのだろう。
三か月といえば、私が生まれるほんの少し前だ。
きっとランバート自身にも心の整理をする時間が必要だったはず。
「彼女はね、ローラっていう名前なんだけど、もともと身体が少し弱かったんだ。そんな彼女を私は愛していてね……ローラはベルガモット公爵家に嫁いだ責務を果たそうと、私との子供を授けてくれたんだよ。自分の命が短くなるかもしれないって知っているのにね」
アルタイルを産まなければ、もう少し長生きはできたかもしれない。
でも彼女は愛する夫との子供を望んだらしい。
「アルタイルが無事に産まれてきてくれて、私は本当に幸せだったんだ。ローラも腕の中にいるアルタイルをずっとずっと愛おしそうに抱きしめていたよ。……でもね、産後の経過が良くなくてね。出産してからは寝台の上で過ごす時間がとても多かったんだ」
「そうだったのね……」
私は、絵姿をもう一度見ながら、直接会う事が叶わなかったアルタイルの母親の気持ちを想像してみる。
大事そうに微笑む腕の中の宝物であるアルタイルの成長をもっと彼女も見ていたかったに違いない。
彼女の分まで、私がアルタイルの成長を見守ってあげたいと烏滸がましいけれど思ってしまう。
「ローラはね。アルタイルが遊べるようにと寝台の上でドールハウスのクッションや、カーテンを少しずつ縫っていたんだ。ドールハウスに置く小さい家具も少しずつ買いそろえてね。ドールハウスの魔石も同じ店から買っていたんじゃないかな。本当は、アルタイルが大きくなって結婚してこんな家に住んで、愛し愛される家庭を築いて欲しいと思い描いて……願っていたのかもしれないね。ドールハウスにはめこんだ紫色の魔石があるだろう? あれをね、死ぬときもずっと握り締めていたくらいだよ」
ランバートも私もローラが何を想ってドールハウスを作っていたのかは定かではないけれど、彼女が思い描いた理想のドールハウスなのは、おもちゃと言えども丁寧に細部までこだわって作られていることから窺い知ることができる。
「こんな素敵なドールハウスに、住ませていただき心より感謝申し上げます」
私は絵姿のローラに頭を下げて感謝の意を表す。
まさか彼女も精霊が住むとは考えてもいなかったのじゃないかしら。
「……でも、不思議だな。ローラは亡くなる前にね、こんな事を言っているんだ。『このドールハウスはきっと役に立つし気に入ってもらえるはずよ! しかもここに住む住人は、とびっきり幸せになれるんだから!!』ってね。まるで、クレアがやってくるのがわかっていたみたいだね」
「本当にそんなことを? だとしたら奥様はとても優れた先見の明の持ち主でいらっしゃったのですね」
「そうかもしれないね。身体は弱かったけれど、とてもしっかりしていて、私には勿体ないくらいの女性だったよ。彼女への愛は亡くなった今でも変わることはないからね!」
ランバートの言葉で、彼は後妻を迎え入れるつもりは一切ないのだと意思表示する。だから、跡取りが一人息子のアルタイルだけだとしても、親子で協力しながら生きていこうとしているのだろう。
「そういえばね、アルタイルがもっと強くなりたいからって魔法や剣術の稽古を付けて欲しいって言い出したんだ。きっと昨日、クレアを危険な目に遭わせてしまったことで、自分の不甲斐なさと力不足を感じたんだろうね」
「そんな……アルタイルは何も悪くないのに……」
私は、自分が飛ぶことができないという至らなさもあるので、アルタイルに負担を強いてしまったことが心苦しく感じてくる。
「いや。私としてはクレアに感謝しているんだよ。母親を亡くして塞ぎこんでいたアルタイルが、君を守りたいという目標を立てて、自分の足で前に進もうと決めたんだから。父親としては、嬉しい限りだよ。今日から早速、王城に行って王太子殿下と共に稽古と訓練を始めることになったんだ」
だから、今、この場にアルタイルはいないのかと不在の理由が判明する。
そのおかげで、ランバートと会話を楽しむことができたのだけれど。
「王城に稽古に行っている間は、クレアを寂しい気持ちにさせてしまうかもしれないけれど、私や執事長、侍女たちも家族同然だから、彼らと一緒にアルタイルが帰ってくるのを待っていると退屈しないかもしれないね」
ランバートは、部屋の片隅で静かに立っている執事長の方を向いて、私を手助けするように目配せすると執事長は「かしこまりました」と静かに頷いてくれる。
私はベルガモット公爵家で働くみんなと共に、助けてもらいながらアルタイルの成長を見守ることができる幸せを噛みしめることにした。