前編
あたしの苦手なことを誰か分かってくれる人はいるだろうか?
あたしの苦手なこと──それは『話しかけること』だ。
知らない人はもちろん、親しい友達にさえ、自分から話しかけることができず、いつでも話しかけられるのを待っている。
だから高校に進学した新学期、あたしは不安でいっぱいだった。
不安は的中した。
同じクラスに知ってる子が一人もいない。
中学時代、仲がよかった子は、みんな別のクラスになってしまった。
中学の頃は運よく話しかけてもらって、そこそこ友達もたくさんできたけど、高校でもそううまくいくだろうか……。
またまた不安が的中した。
誰も話しかけてくれない!
しかもあたしの席は廊下側の端っこで、周囲は大人しそうなひとばっかりだ。
うつむいて本ばっかり読んでたら、ひとりが好きな子だと思われて、ますますほっとかれるのだろうか。
それでも知らないひとばかりのクラスの中で、あたしは顔を上げることもできずにいた。
小林さんと大野さんが隣のクラスだったはずだ。
中休み、息苦しい自分のクラスを抜け出して、酸素を求める魚みたいにあたしは彼女らを訪ねていった。
教室の窓から二人が見えた。
二人とも、もうクラスに馴染んで笑ってる。
新しい友達ができたみたいだ……。
あたしみたいなつまらない子よりも、楽しそうなひとたちで、いい友達みたいだった……。
入っていくことなんてできず、そのままくるりと後ろを向いて、とぼとぼと廊下を歩きだすと、前のほうから誰かがやってくるのがわかった。手を振ってるのが、下を向いててもわかった。
「おっ! よう!」
チラリと視線を上げてみると、背の高い、清潔そうな男の子が、あたしに向かって手を振っていた。
知らないひとだ。なんていうか、バレー部所属が似合いそう。
人違いだ、これ。そう思って、あたしがまっすぐ教室に入っていこうとすると──
「おーい……。手を振り返すぐらい、してくれよう?」
寂しそうな笑い声でそう言われた。
顔を上げて、そのひとの顔をなんとか見て、自分を指さして、頭の上にクエスチョンマークをぽんと出してみた。
するとそのひとはウンウンとうなずいて、ニコニコ笑顔で近づいてくる。
どっかで会ったっけ?
誰だっけ? 誰だったっけ?
覚えてないなんて、あたし失礼すぎる気がする!
あまりにも申し訳ないと感じたので、勇気を出して聞いてみた。
「ごめんなさい……。あたし、ひとの顔を覚えるのが苦手で……。その……。どなたでしたっけ?」
するとそのひとは「あははっ」と明るく笑って、教えてくれた。
「いいんだよ。はじめましてだから」
「へっ!?」
「ごめんね」
そのひとはぺこりとお辞儀をすると、緊張感ゼロの綺麗な発音で、言った。
「かわいいなって思ったら声かけちゃった。よかったら僕と付き合ってくれませんか? だめならまずは友達から──」
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
彼とあたしは友達になった。
彼氏じゃない。彼氏なんていたことないし、そんなんじゃない。
ただ、グイグイ引っ張られるままに、友達になっていた。
男の子の友達なんて小学生以来だ……。
日曜日、彼が買い物に付き合ってほしいというので、駅前で待ち合わせた。
時間通りにいってみると、彼はもう来ていて、噴水のむこうに背中を向けて立っていた。
いかにも男の子らしい、おおきな白いトレーナー姿の背中に近づいていったけど、彼が気づいてくれない。
声をかけるなんて無理。恥ずかしい。大体、なんていって声をかけたらいいかもわからない。
いきなり背中から前に回り込んだりしたらびっくりさせてしまうかもしれない。最悪、ひっくり返って噴水の中に背中から落ちてしまうかもしれない。
だからあたしはそっと、そっと、人さし指で彼の脇腹を突っついた。
「うわっ!?」
びっくりさせてしまった。
飛び上がりそうになりながら低いところにあたしを見つけると、彼は頭の上から明るい声で名前を呼んでくれた。そして語尾にちょっと苦笑をまぜた。
「代々木原さん! ……せ、制服で来たの?」
そう。あたしの名前は代々木原モヨ。
へんな名前だし、ものすごい引っ込み思案だし、地味で冴えない女の子。
そんなあたしがまるでデートみたいに男の子と街を歩くなんて似合わないから学校のブレザーを着てきたのだった。
並んで歩きだすと、あたしは勇気を振り絞って聞いてみた。
「あの……。何を買うんですか?」
「丁寧語やめようよ、代々木原さん。あと、俺の名前は『あの』じゃないから。名前で呼んで! ほら!」
無理なのだ。
あたしは親しい友達のことでも、名前で呼ぶことができない。
小林さんのことも大野さんのことも『あの』とか『ちょっと』と呼ぶのだ。あたしなんかが他人の名前をたとえ『さん付け』でも口にするのはおこがましいと思えるのだ。
あたしがうつむいて黙っていると、彼は悲しそうな声で聞いてきた。
「まさか……。代々木原さん……。俺の名前、覚えてくれてないとか……?」
あたしはぶんぶんぶんと頭を横に振った。
ちゃんと覚えてる。教えてもらった時に30回は復唱した。
高橋蹴斗──バレー部所属が似合うこのひとには似合わないサッカー部っぽい名前だなと思ったけど、そんなツッコミは一切せずに素直に覚えてる。
「じゃあ、呼んでみてよ。ほら?」
あたしは前髪に顔を隠し、手を振って断った。
「は……恥ずかしいから」
「──ん」
彼がにこっと笑う音が聞こえた。
「じゃ、待つよ。代々木原さんが俺の名前呼んでくれるの。楽しみに待ってる」
彼が買いにきたのはTシャツだった。
いいものをリーズナブルな価格で販売することで有名なチェーン店に入ると、男物のTシャツがいっぱい並んでるコーナーへあたしを連れていき、あたしに聞く。
「ねえ、どれがいい?」
「え……。どれって……」
自分の好きなの選べばいいじゃん──と思ったけど、言わなかった。
意外と自分で決められないひとなのかな? それとも女子に好感度高そうなコーデをあたしに教えてもらいたがってる?
そう思いながら、ぱっと見た瞬間、あたしは彼に似合いそうなTシャツを一発で見つけた。
「これ」
「これー!?」
彼が爆笑した。
白地に黒い輪郭でバレーボールが胸にどーん! と描かれたやつだ。絶対に彼に似合うことに自信はあったけど、笑われるとその自信がしなしなと萎れていく。
「じゃ、これにしよう。俺はL。代々木原さんはSサイズかな?」
「えっ……!? あたし……!?」
「ペアルックはお嫌かな?」
ものすごく楽しそうな笑顔で、そう聞かれた。
「俺、代々木原さんのこと大好きだから、この夏同じTシャツで街を歩きたいんだ」
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
二度目に二人で会った時は完全にデートだった。
同じ駅前で、今度は彼はあたしがやってくる方向を向いて、噴水の前に立っていてくれた。
暑い一日でよかった。彼はバレーボールどーん! のTシャツを着てくれていた。
あたしもバレーボールどーん! のTシャツを着て、彼の姿が見えたのが嬉しかったから、手を振る彼に手を振り返し、踊る足取りで駆け寄った。
「代々木原さん、Tシャツ似合ってるー!」
彼が褒めてくれたから、あたしも褒め返した。
「……も、似合ってるよ」
「えっ? 何が似合ってるって?」
「Tシャツ。Tシャツだよ」
「誰に似合ってるって?」
あたしが彼を名前で呼べず、うつむいて彼を指さすと、また彼がにこっと笑う音がした。
二人で並んで、ただ街を歩いた。
同じTシャツを着て、彼を隣に感じながら、歩いてるだけでなんだか楽しかった。
でも、彼も同じように楽しいんだろうか?
不安になったので、聞いてみた。
「ねぇ……。あたしなんかと一緒にいて楽しい……かな?」
「めっちゃ楽しい!」
即答だった。
「俺、今、モヨちゃんと並んで歩いてるんだなーって、おもうだけでめっちゃ楽しいよ?」
「ふ、ふーん……。へんなの」
「モヨちゃんは楽しくない?」
「べ……、べつに」
「楽しいんだろうっ!?」
またにこっと笑う音がしたので、顔を上げて彼の顔を見ると、ほんとうにニコニコ笑ってた。
あたしも思わずくすっと笑わされてしまい、彼の胸のバレーボールをトスするみたいに両手でちょん! ってした。
「あっ! アイスクリーム食べる?」
彼が移動販売のアイスクリーム屋さんを見つけて、はしゃいだ声を出した。
あたしがお財布をバッグから出そうとすると、制止された。
「俺がおごるよ。おごらせて」
「え……。悪いよ。このTシャツも買ってもらったのに……」
「悪いと思う? なら……」
おどけた表情で何か言いかけて、
「──あ、いや、なんでもないよ」
珍しく真面目な顔で、取り消した。
結局おごってもらい、二人で側の公園のベンチに座ってアイスを食べた。
あたしはバニラ、彼はチョコ。
チョコも味見してみたかったけど、そんなことはとても言えなくて、それぞれのアイスをそれぞれに食べきった。
それだけだったけど、楽しかった。
彼は人見知りなあたしをグイグイ引っ張ってくれる。
積極的な彼と一緒にいると、どんどん世界が外側に広がっていくみたいで、とにかく楽しい。楽しい。
でも、やっぱり思ってしまう。
こんな無口で、彼の名前も呼べないあたしなんかといて、彼は楽しいのだろうか……。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
「モヨ〜」
隣のクラスから、小林さんと大野さんが会いにきてくれた。
「聞いたぞ、聞いたぞ〜! モヨ、彼氏できたんだってー?」
あたしの幸せを祝福するような笑顔で聞いてくる。
あたしは目をそらしながら、答えた。
「か……、彼氏じゃなくて……、友達だよ」
顔は笑ってしまい、真っ赤になってるのが、自分でわかった。
「このこの〜! 幸せいっぱいってかおしてんぞー?」
「A組の高橋くんでしょ? 隣のクラスなのに、どうやって仲良くなったの?」
「えっとね……。その……、話しかけてもらったの」
あたしがそれだけ答えると、二人は「へー!」「意外!」と反応してから、それこそ意外なことを言った。
「高橋くんってすごい人見知りなんでしょ?」
「他人に話しかけるのがすごく苦手な子だって聞いたよ?」
「え!?」
それはあたしの知る彼じゃなかった。
あたしの知る彼は、初対面のあたしにいきなり告白してきて、デートではグイグイ引っ張ってくれて……
二人がクラスでできた新しい友達に、中学時代に彼と同じクラスだった子がいるらしく、その子が言っていたそうだ。
中学時代の高橋蹴斗くんは、とても大人しくて、引っ込み思案で、クラスメイトを名前で呼ぶこともできないような男の子だったんだって。
じゃあ、あたしの知ってる彼は──誰?
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
中休みに廊下の窓からA組を覗いた。
彼を探すと、背が高いのですぐに見つかった。
席に座り、片手で頬杖をついて、なんだかつまらなそうにしてる。
目が合った。
あたしが覗いてるのに気づくと、あっという間につまらなそうだった顔に笑顔の花が咲き、廊下に出てきてくれた。
おおきな身長差で向き合って立った。
「何?」
ニコニコしながら聞いてくる。
「モヨちゃん、俺に会いたくて、きてくれたの?」
「あの……」
あたしは何を言っていいのかわからなかったけど、言った。
「その……」
「今日、一緒に帰らない? 俺、モヨちゃんと一緒に帰りたい」
「……うん」
あたしは何も聞けなかった。
やっぱり彼はグイグイ引っ張ってくれた。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
帰り道、二人で自転車を押して歩いた。
初夏の太陽はまだまだ高くて、歩いてるだけで汗がにじむけど、彼が自転車に乗らずに歩くので、あたしも自転車を押して歩いた。
ほんの途中まで二人とも同じ道。別れ道までは自転車に乗ったらすぐなので、きっと彼はあたしと話をする時間がたっぷり欲しくて、こうして歩いているのだろう。
「暑いねー」
彼がニコニコしながら言う。
「もうすぐ本格的に夏だよなー」
早いもんだと思った。
彼があたしに告白してきたのが入学三日目。それからもう二ヶ月以上になるんだ。
まだデートは二回しかしてないけど、もう彼のことをいっぱい知ってるような気になっていた。
でも、考えたら、まだ何も知らないんだ──
「あのっ……ね?」
珍しく、あたしのほうから彼に話しかけようとした。
「その……」
中学時代は大人しいひとだったって聞いたよ? どうしてあたしの目の前の高橋くんは、違うの? ──そう聞こうとして、やっぱり聞けなかった。
「ん? 何、何? 俺に質問? 俺の何が知りたいの?」
やっぱりグイグイくるひとだ。
グイグイくるその顔の、額からポタポタ汗が滴っていた。
「あ……、汗」
あたしが言うと、ばつが悪そうな顔にならせてしまった。
「あー……。タオル持ってないんだよね。いいんだ、俺は自然児だ。汗よ、滴りたいだけ滴るがいい!」
なんだかおどけてそう言うけどほっとけなくて、あたしは自分のハンカチを取り出した。もちろん予備の、まっさらなやつだ。
「あっ。ありがとう」
そう言って彼が顔をあたしのほうに差し出してきた。
あたしも最初から彼に渡して彼に拭かせようなんて気はなくて、そのまま差し出された彼の額を拭いてあげた。
彼の顔が真っ赤になった。
あたしも顔が熱くなるのを感じた。
「なっ……、なんか気が合っちゃったね」
彼が珍しく照れて言う。
「……あっ、そうだ。夏になったらさ、一緒に夏祭り、行こう。どう?」
あたしは即答した。
「行きたい!」




