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ナツメの猫屋  作者: HIMIKO
3/21

第1章

        3 アトリエ

 

 羊毛フェルトはぬいぐるみの本体だ。猫独特の毛並や模様を表現するのにちょうどいい。シルク,モヘア,アルパカ,バンブー。たくさんの種類の羊毛フェルトの中から相手のイメージに合わせて選ぶ。時に、よりイメージに近づけるため、乾山のようなハンドカーダーという道具を使い、種類の違うフェルトを混ぜ合わせることもある。また、既存の色が気に入らない時は、白い羊毛フェルトをオリジナルの色に染色したりもする。フェルトの微妙な風合いや色合いが、依頼者のイメージに近づくと素直に喜びを感じる。そして、そうやって出来た羊毛フェルトに、フェルティングニイドルという特殊な針を指しながら立体にしていくのだ。


 それ以外の顔のパーツは、ビーズやビジューを使って表現する。精巧に作られたリアルな猫に、お客の個性を若干デフォルメさせるのが自分のやり方だ。猫と、客である注文者のイメージを旨く融合させるのには困難が伴うが、自分はこの作業に密かに興奮する。


 集中力を高め、昨日店に来た少女と猫を頭の中で融合させる。ふっと頭に浮かんだイメージは純真無垢な「白」。毛は短く、耳は小さい。鼻は綺麗な桜色で、瞳の色は中心が藍色から外に向かって薄い水色になるグラデーションが彼女らしいとナツメは思った。


 アトリエに籠もると時間の感覚が薄れる。寝食を忘れ創作に没頭してしまう癖は、もうずっと前から直らない。ナツメは、自分は少し気が触れているのではないかとたまに心配になるが、それはいつも本当にただの心配で終わる。


「あの人」が側にいるから。いつも、ナツメを心の片隅に置いて気に掛けてくれるあの人が、自分を正気に戻してくれる。


 祖母が亡くなったことがきっかけで、ナツメは日本に戻って来た。 


 フランスでの生活は不自由も多かったが、出来ることなら、ナツメは日本に戻って来たくはなかった。その理由を、ナツメは祖母以外の誰にも口にしたことはない。


 ナツメは、人とのコミュニーケーションが苦手だった。それにはナツメ特有の力が災いするのだが、そんなことなど、相手には分かるわけもない。常に頭の中にある雑音や雑映がナツメのコミュニーケーションを邪魔し、相手とのテンポを狂わせる。それが相手の気持ちをイラつかせ、いつも不愉快にさせた。


 そんなことを繰り返していると、いつしか同級生たちはナツメのことを「宇宙人」だとか言ってからかうようになった。そのからかいは徐々にエスカレートして行き、同級生たちは、ナツメという存在を、まるで異物のように扱い排除していった。 


 学校は決して嫌いではなかったが、学校という場所は誰かと上手く係りを持てなければ、地獄以外の何ものでもない。ナツメが不登校になるのは必然だったが、それを乗り越える強さを、幼いナツメはまだ持ち合わせてはいなかった。 


 フランスに来てすぐ、ナツメは小学校に通った。本当は行きたくなかったが、祖母に我慢してでも通えと強く説得されたからだ。祖母はこうと決めたら絶対に曲げない人だから、逆らっても無駄だと幼いながらにナツメは悟った。だったら、家の近くにあった日本人学校ではなく、現地の小学校に通うことをナツメは選んだ。フランス語は難しかったが、祖母と一緒に勉強をしながら頑張ることで、フランス語が不自由な子が通う、UPE2Aという特別クラスのある学校に転校させられることはなかった。ナツメは持ち前の集中力で、何とか日本に帰国するまで現地校に通い続けた。


 ナツメがそこまで頑張れたのは、フランスという異国の地の、異国の人間の気質や言語が、ナツメの雑音や雑映を上手くぼやかしてくれたからだ。だからこそ日本人学校は絶対に嫌だったし、落ちこぼれの日本人が通う、UPE2Aという特別クラスには、意地でも通いたくなかった。


 ナツメは学校に通う以外は、殆ど家の中で、フランス語の勉強をしているか、祖母に手芸を習いながら過ごしていた。そんな風に何かに没頭することが、ナツメが一番ナツメらしくいられる時間だった。その時だけは、不思議なことに、自分の力の存在を忘れることができた。今でも、あの時のことを思い出すと、ナツメの胸は静かに熱くなる。 


 ナツメは祖母から手芸を習うのが好きだった。祖母独特の教え方がナツメの心をワクワクとさせたからだ。既成概念にこだわらない。でも基本となる手法は徹底して叩きこむスタンス。仕立屋という仕事の上でも変わらない、祖母のそんなクリエイティブなプロフェッショナルさを、ナツメは密かに尊敬していた。


 祖母はこの年齢では珍しい自由人で、海外で暮らすことに何の抵抗もない人間だった。その大胆な性格は、周りからエゴイスティックに思われがちだが、祖母という人間は、口は悪いが、面倒見が良く、口先だけの表面的な優しさではなく、ちゃんと行動で愛情を示せる、そんな人だった。


 フランスでは、友人と呼べるほどの友達はいなかったが、学校で一緒に過ごせる程度の仲の良い子は数人いたから、日本にいる頃のような孤独感を、フランスでは余り感じずにいられた。


 ナツメはフランスで祖母と生活をすることで、徐々に息を吹き返していった。 


 あの時、祖母に救ってもらわなければ、今自分はどうしていただろう。


 時々、ナツメはそれを想像すると、いつも、不安と恐怖が背筋をぞわぞわと這い上って来るような感覚を覚える。


 結局、フランスでずっと暮らしたいというナツメの願いは、心の拠り所であった、祖母の死によって叶わなくなった。でも、祖母はいつも言っていた。 


「早く日本に戻りなさい」。そして「明人を頼りなさい」と。


 ナツメはその言葉の意味を、最初はあまり理解できていなかったが、今なら痛いほど分かる。


 ナツメにとって「あの人」は自分の良き理解者だ。人と係らず、ひたすら手芸に打ち込むナツメを不気味がらず、自分の会社の社員にまでしようとしてくれたのだから。


 帰国後の不安定なナツメにすぐに声を掛けてくれて、今までずっと優しく見守ってくれたのは「あの人」だ。「あの人」はこちらから頼らなくとも、ナツメの世話を焼いてくれた。


 ナツメは学校に通う以外は、殆ど家の中で、フランス語の勉強をしているか、祖母に手芸を習いながら過ごしていた。そんな風に何かに没頭することが、ナツメが一番ナツメらしくいられる時間だった。その時だけは、不思議なことに、自分の力の存在を忘れることができた。今でも、あの時のことを思い出すと、ナツメの胸は静かに熱くなる。 


 ナツメは祖母から手芸を習うのが好きだった。祖母独特の教え方がナツメの心をワクワクとさせたからだ。既成概念にこだわらない。でも基本となる手法は徹底して叩きこむスタンス。仕立屋という仕事の上でも変わらない、祖母のそんなクリエイティブなプロフェッショナルさを、ナツメは密かに尊敬していた。


 祖母はこの年齢では珍しい自由人で、海外で暮らすことに何の抵抗もない人間だった。その大胆な性格は、周りからエゴイスティックに思われがちだが、祖母という人間は、口は悪いが、面倒見が良く、口先だけの表面的な優しさではなく、ちゃんと行動で愛情を示せる、そんな人だった。


 フランスでは、友人と呼べるほどの友達はいなかったが、学校で一緒に過ごせる程度の仲の良い子は数人いたから、日本にいる頃のような孤独感を、フランスでは余り感じずにいられた。


 ナツメはフランスで祖母と生活をすることで、徐々に息を吹き返していった。 


 あの時、祖母に救ってもらわなければ、今自分はどうしていただろう。


 時々、ナツメはそれを想像すると、いつも、不安と恐怖が背筋をぞわぞわと這い上って来るような感覚を覚える。


 結局、フランスでずっと暮らしたいというナツメの願いは、心の拠り所であった、祖母の死によって叶わなくなった。でも、祖母はいつも言っていた。 


「早く日本に戻りなさい」。そして「明人を頼りなさい」と。


 ナツメはその言葉の意味を、最初はあまり理解できていなかったが、今なら痛いほど分かる。


 ナツメにとって「あの人」は自分の良き理解者だ。人と係らず、ひたすら手芸に打ち込むナツメを不気味がらず、自分の会社の社員にまでしようとしてくれたのだから。


 帰国後の不安定なナツメにすぐに声を掛けてくれて、今までずっと優しく見守ってくれたのは「あの人」だ。「あの人」はこちらから頼らなくとも、ナツメの世話を焼いてくれた。


 祖母と同じ血が流れているという理由からか、「あの人」と自分の間には、目に見えない糸で繋がっているような不思議な安心感がある。でも徐々に、従兄妹同士の安心感という枠を超えて、ナツメが「あの人」に強く惹かれていくのは、既に決められている運命のような気がしてしょうがない。


 それでも、つい憎まれ口ばかり叩いてしまうのは、いつも平坦なナツメが「あの人」に会うと、僅かに気分が高揚し、まるで幼い男子が、自分の気になる女子にちょっかいを出したくなるのと似た衝動に駆られるからだ。ただ、そんな自分は少しばかり精神年齢が低いのかと、時々失望するが、多分、「あの人」の前では、ナツメはありのままの自分をさらけ出すことができるからなのかもしれない。


 本当は分かっている。そんな十五も年の離れた男に特別な感情など抱いても、益々自分の幼さに自滅するだけだし、「あの人」との従妹同士という関係が、それ以上にもそれ以下にもならないことに今更絶望するなど、ひどく馬鹿げていることも。でも、どうすることもできない。何故なら、とても不幸なことに、ナツメの前に「あの人」を超える男が現れないからだ。だから未だにナツメは処女だ。二十歳を過ぎても異性と付き合ったことがない。


「あの人」は特殊な人間だ。絶対に澱むことのない、さらさらと流れる清らかな小川のような人間だ。例え異物が混ざり込んでも、澄んだ地下水がとどまること無く沸き上がり、いつの間にか元の綺麗な小川に浄化してしまう力を持った人間だ。だから「あの人」といると、自分もその余波を受け、自分を好きになることができる。自分のすべきことに自信が持て、前向きに生きようとする力が生まれてくる。……なんてことをナツメが考えているなどと、多分「あの人」は知らない。


 アトリエに閉じ籠もって作業に集中していると、心身共にとても疲れる。客のイメージを猫に吹き込む作業は、刺激的ではあるが、自分の感覚を最大限に研ぎ澄ますことを必要とし、その感覚の刃は、容赦なく自分をも傷つける。 


 消耗した心身は、創作を続けるために回復を求めようとするが、ナツメにとってその回復源は「あの人」であり、本当は四六時中「あの人」に側に居て欲しいという強い願いを、ナツメはずっと心の奥深くに押し込んできた。


 我が儘を言えるのも「あの人」だからであって、自分の強引な行動に、本当はずっと胸が痛かった。「あの人」に迷惑を掛ける気など更々ないが、自分のやるべき使命のために、「あの人」を利用することに躊躇う時間などなかった。あの時、「あの人」に心を込めて礼を言ったことは、ナツメにとっての精一杯の誠意だった。


「会いたい」


 思わず声に出してそう呟く。


 どうしても猫をひとつを完成させるのに一ヶ月はかかる。自分の初めての大切なお客様のために、早くこの猫を手渡してあげたい。


 ナツメはそう思いながら、手元の猫に、自分の今の精一杯の「気」を込めることに没頭していった。



 



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