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ナツメの猫屋  作者: HIMIKO
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第1章

           2 来客

 

 ナツメと二人でテイクアウトしたランチを食べ終え、明人が、客の来ない店の退屈なソファーでいつものように微睡み始めた頃だった。


「あの……」


 その時、うっかりすると聞き逃してしまいそうなか細い声に、明人は空耳だと思い、ナツメの顔を見つめた。


「あの……ここは、シャ・ノワールでいいんですか?」


 その声に、ついにお客が来たのだと気づいたナツメと明人は、同時に店の入り口を振り返った。


「ええ。そうです。いらっしゃいませ」


 ナツメは落ち着いた声でそう言うと、ドアの前で心細げに佇む一人の少女に歩み寄った。制服を着ているその姿から、年は中学生か高校生ぐらいだろうか。今時珍しく、とても地味で大人しそうな女の子だ。


「私っ、あ、あの、この店のことが凄く気になっていて、そ、その、ここは何の店なんですか?」


 少女は緊張しているのか、小さな声を更に小さくさせながら、弱々しく問いかけた。


「猫です。あなたのイメージに合わせて、私があなただけの猫を作ります」


「猫……」


「そうです。きっと、とても可愛らしい猫になりますよ」


 ナツメは、日だまりのような和やかな笑顔を作ると、少女の手をいきなり取った。少女は突然のことに驚き、俯いていた顔を上げてナツメを繁々と見つめた。


「さあ、こちらに来て。あなたのお話を聞かせてください」


「あっ、でも、私、自分のお小遣いじゃ買えないかも」


 少女は困ったように眉根を寄せ、そう言った。


「大丈夫ですよ。値段はあなたが決めていいんですから。安心してください」


「え? でも、私、高いお金は払えません。ここ、高級そうだし。バイトが学校では禁止されてて、自由に使えるお金ないし」


「出来上がってから考えればいいんです。あなたが私の作った猫を見て、いくら払いたいかを」


 ナツメは少女の戸惑いなど軽く無視すると、店内の一角にあるカウンターまで、少女の手を引いて連れて行く。


 そこは、ナツメが客からオーダーを取る場所らしい。


 明人の祖母が仕立屋をしていた時のまま残されたコーナーカウンターは、今風にアレンジされ、その木材独特の艶と暖かみがとても洒落ている。


 ナツメはカウンターの前に置かれた、座面が可愛いピンクの小花柄の椅子に少女を座らせた。このフランス製のアンティークの椅子は、ナツメの親が、開店祝いにとナツメに買い与えた物だ。選んだのはもちろんナツメだが。


 ナツメはカウンターの中に入り、自分ももう一脚ある同じ椅子に腰掛けると「お茶をお願い。今日はカルダモンでね」と、明人を鼻で使った。


「へい。へい」


 明人は呆れたように返事をすると、カウンター奥の簡易キッチンに引っ込んだ。


 しばらくして、カルダモンティーの良い香りに包まれながら、ナツメは少女と向き合い、少女の「自分だけの猫」を導き出す準備をし始めた。


 ナツメが客から注文を取るのはこれが初めてだ。この記念すべき第一号のお客とのやり取りを、明人は一語一句聞き逃すまいと、カウンターの外れにパソコンを置き、仕事の片手間を装いながらナツメと客の様子をこっそり窺おうと考えた。


「ちょっと、何してるの?」


 そんな明人にナツメは冷ややかに言った。


「何って? 見れば分かるだろう。仕事だよ。俺は社長なんだぞ。この店で無駄に時間を潰す余裕なんてないんだよ」


「だったら会社に戻ればいいじゃない。何でいるの?」


「何でって、ナツメ……俺は経営者としてうちの会社に影響が及ばないように、こうやってこの店とナツメの様子を見に来てるんじゃないかっ。それをお前は……」


 さすがの明人もナツメの言いぐさに語気が荒くなる。でも、ナツメはそんなことなどお構いなしに立ち上がると、明人のパソコンをいきなり開いた。


「あっ、そう。いいわね。オーナー社長は。従業員に会社を任せて、自分はこうやってここで油売れるんだから。そんなに暇なら今から私とお客様のやり取りをパソコンに記録してもらえないかしら。こっそり耳を欹てられるのは嫌なのよ。どうせたいした仕事してないんだから。それぐらい、いいわよね?」


「たいしたってナツメ、俺は一応会社社長だぞ?」


 明人は、ナツメの勘の良さに脅かされる。


「大丈夫だわ。有能な部下がいるもの。菱沼さんだったかな? 明兄の恋人の。会社を空ける時は彼女にすべてを任せてるんでしょ?」


「なっ、恋人じゃないぞ」


 明人は狼狽えながらそう訂正したが、ナツメは自分で言い出しておいてさほど興味が無いのか、明人を軽く一瞥すると、素早く少女に向き直った。


「お待たせしてごめんなさいね。呆れたでしょう? さあ始めましょうか。まずはあなたのお名前と年齢を教えてください」 


「あ、はい。篠崎美和しのざきみわ。十七歳。高校二年生です」


「美和さんですね。分かりました。じゃあ、次に家族構成を教えてください」


「えーと。両親と私の三人家族です。父は証券会社勤務で、母は専業主婦です」


「分かりました。では、美和さんは将来の夢などありますか?」


 この質問に一体どんな意味があるのかと悶々としながら、明人は二人の会話を取り敢えずPCに打ち込んでいく。


「夢?……あ、あまり考えたことないです。私、分からないです。自分のやりたいこととか、好きなこととかが、良く……」


 何となく気になって、明人はナツメの方に目を遣った。すると、少女の話を聞きながら、ナツメが何かに集中しているような、ひどく真剣な顔で目を瞑っていることに気づく。


「分かりました。質問を続けますね。美和さんは何故私の店に来たのですか?」


「あ、えーと、か、看板がずっと気になってたんです。フランス語を学校で習っていて、「黒猫」って言葉の意味は分かったんですけど、じゃあ一体どんな店なんだろうって思ったら、どんどん興味が湧いてきて、止まらなくなって、私、猫大好きなんです」


「……はい。良く分かりました。ちなみに黒猫は、幸運を呼ぶ猫って意味があるんですよ」


「そうなんですか。知らなかったです。ああ、でも、自分だけの猫を、辛い時とか、悲しい時にこう、ぎゅうって抱きしめたら、すごく気持ちが救われる気がしますね」


 少女はまるで、ナツメと明人の存在を忘れてしまったかのように、自分一人の世界で、うっとりと猫を抱く仕草をした。


「良く分かりました。質問は終わりです。それでは美和さん。最後にお願いあります……あなたの髪の毛を私に三本ください」


「髪の毛?」


 少女と明人から、共に素っ頓狂な声が発せられた。


「か、髪の毛って私のですか?」


「ええ。そうです。……これに入れてくださいね」

 ナツメはそう言うと、カウンターの下から小さな小瓶を取り出して、それを少女の前に差し出した。


「え? でもどうして髪の毛なんか……」


「材料です。あなたの一部をお預かりして、それを使うことで、より、あなたの猫をあなたに近づけます」


「わ、私に?」


「ええ。だって私の作る猫はあなたの分身になるんですもの」


 その言葉に少女は何かを感じ取ったのか、得体の知れない物を見るような目でナツメを見つめた。それは明人も同じだった。こんな胡散臭いまじないのようなことをしていては、この店の需要と供給など成り立つわけがない。さすがの明人も、今回ばかりはナツメの行動がまったく理解できない。


「美和さんが、私の作る猫を欲しがるのには理由があるんです」


 ナツメは淡々と、さして感情のこもっていないような表情でそう言った。


「理由?」


「ええ。そう」


 何故そんな風に自信を持って断言できるのか、明人はもう黙ってなどいられるわけもなく、PCを打つ手を止めた。


「お、おいナツメ? お前大丈夫か? 自分で何を言ってるか分かってるのか?」


「明兄は黙ってて。お願い。私を信じて待ってて」


 ナツメにぴしゃりと言われると、明人は本当に何も言い返せなくなる。それは毎度のことで、生まれた時から決まっているナツメと明人の揺るがない関係性を表しているようだと感じながらも、明人はやはり納得がいかない。


「ま、待てと言われてもだなっ」


「あの、代金。本当に私が決めていいんですか?」


「え?」


 明人は驚いて少女を見つめた。この会話からどうして商売が成り立つのか。明人はこの場所で常識的な人間は自分だけだという責任感が急に生まれて、どうにかしなければと焦り出した。


「ええ。もちろん。私はお金目的で猫を作ってませんので」


「……はい。分かりました。髪の毛は、これに入れればいいですか?」


 少女は瓶を持ち上げて、ナツメに確認した。


「はい。お願いします」


「ちょっ、ちょっとまじか? 美和さん。嫌ならいいんですよ。こんな儀式めいた茶番に無理して付き合わなくても」


 明人は焦って少女にそう言った。


「いいえ。全然無理してません。ナツメさんの目を見てると、それがとても当たり前のような不思議な気持ちになります。なんか心が躍ります。出来上がりがすごく楽しみです」 


 少女は興奮気味にそう言うと、自分の頭から髪の毛を丁寧に三本抜き、器用に瓶の中に押し込んだ。


「丁重にお預かりします。そうですね。出来上がりには、だいたい一ヶ月程お待ちいただくことになりますが、構いませんか?」


「はい。もちろん。いつまででも待ちます」   


 少女は、見た目よりも緊張していたのか、大きな息をひとつ吐いた。


「では、早速仕事に取りかかります。あなたのイメージを忘れないよう目に焼き付けて、素材をじっくり選んでいきますね」


 そう言うとナツメは、静かに立ち上がり、カウンター奥の戸棚に並んだ生地類を真剣に選び始めた。


 明人はナツメの様子を唖然と見つめながら、髪の毛三本は、ナツメの大袈裟な演出なだけで、少女はそれに気づいて乗っかった、「とてもユーモアのセンスのある子」というように解釈すればいいと、そう自分に強く言い聞かせた。


 自分の従妹が「本当はとても気の毒な子」という事実に行き当たるのだけは、明人は絶対に避けたい。


 俺の可愛いナツメ 


 明人はそう心の中で呟く。


 きっと何か、自分の分かり得ない領域で、ナツメは己の心の声に従っているだけなのかもしれない。でもそれって一体何なんだ?


 明人は冷静にそう分析することはできたが、その疑問だけが明人の心を不安げに曇らせた。



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