第4章
4 面談
西野が学校を休み始めたのは、道隆とのラインIDのやり取りから二、三日が過ぎた頃だった。最初の頃は体調不良という理由で休んでいたが、流石に欠席が一週間続いた時には、道隆はとてつもない不安で頭を抱えた。何度も家に電話をかけたり、直接家まで出向いたりしたが、「会いたくない」の一点張りで、全く拉致が明かなかった。何度かラインの話を持ち出そうとも考えたが、道隆自身がそれに触れることを拒んだ。西野がこうなった理由には、少なからずともあの時の自分の対応の悪さがあるのは認める。でも、西野の欠席が既に二週間以上経ってしまった今、それだけの理由で学校を休み続けるとはどうしても考えられない。道隆は別な理由に逃げることで何とか自分を立て直している。そうでもしなければ、自分の狡さや弱さに耐えきれず、一歩も前に進めなくなってしまう。管理職と徒指導主事と何度も会議を重ねてきたが、友人関係トラブルの線が一番濃厚と見ている。兎に角、今日は早急にこの問題を解決するため、以前、クラスの交友関係を調べるために行ったアンケ―トを基に、西野の友人二人と相談室で面談を行うことになっている。
西野はおとなしく真面目で目立たない生徒だ。自分と同じ趣味の同級生数人といつも一緒にいて、その世界で繋がっているイメージがある。西野のようなタイプが、クラスの中心人物から目を付けられ、嫌がらせを受けるという構図は想像し難い。西野は無害な子で、誰かにやっかまれるような出しゃばりでも、人を強く惹き付けるオーラがあるわけでもないからだ。
放課後の相談室には僅かに西日が入り、部屋の中は少しだけ温かった。窓の外は乾燥していて、手で握ったら簡単に粉々にできそうな枯れ葉が、カラカラとグランドを舞っている。
長テーブルを挟んだ向かい側に、西野の友人である松本と蓮見が、神妙な面持ちで座っている。その姿からは、今から自分たちが尋問されるのを分かっているような雰囲気が漂っていて、道隆は深い溜息を押し殺しながら、態勢を少し整えた。
二人は西野と違ってどちらかというと元気で活発な方だ。特に松本は、西野と同じ美術部の部長を務めるくらい才能豊かで、年齢より大人びている。蓮見はどちらかと言うと大雑把で、細かいことは気にしない楽天家というイメージがある。
「悪かったね。部活に出られなくて。今日はさ、西野さんのことで聞きたいことがあって呼んだんだ。西野さんずっと学校休んでるだろう?」
「はあ、そうですね」
少しだけ挑むような目つきで松本がそう言った。その態度に、道隆はこの状況に少し緊張し始めた。
「二人は西野さんと仲が良いみたいだから、どうして学校を休んでいるのか理由を知りたいんだ。何か西野さんのことで知ってることあったら、何でもいいから教えてくれるかな?」
道隆の質問に蓮見がすぐに反応した。
「先生。こずえって、超、超! 引っ込み思案なの知ってます?」
「え?……ああ、そうだな。確かにそうかもしれないな」
「……本当に? 先生って生徒のことちゃんと見てますか?」
「も、勿論。当たり前じゃないか。担任なんだから」
少しの動揺から来る自分の声の弱さに嫌気が差す。堂々と、「そうだと」言い切れない自分がたまらなく情けなくて、道隆は二人の顔を見ずに目を泳がせた。
「ふーん。そうなんだ」
松本の心のこもっていない返事が、更に道隆の心に矢を差し込む。
「先生ってなんか、いつも心が無い感じがします。毎日何考えて仕事してるんですか?」
興味深々というのではなく、どうでもいいような言い方で松本は道隆に質問を投げつける。
「な、何考えてるって、俺はいつも、生徒のことをだな……」
その次の言葉が恐ろしいほど出てこない。道隆は軽く咳払いをすると、話題を変えようと、もう一度西野について尋ねようと口を開いたが、それより先に蓮見が口を開いた。
「先生。どうしてこずえが学校に来なくなったか分かりますか?」
「わ、分からないからお前たちに聞いてるんだろう? 先生は何でもいいから情報が欲しいんだよ。このままじゃ西野は完全に不登校になってしまうよ。俺は絶対にそれだけは避けたいんだよ」
段々と胸が熱くなり声を荒げた。本当にそう思っている気持ちと、自分のことばかり考えている気持ちとが絶妙に混ざり合い、それがひどく道隆の気分を悪くさせる。
「そんなの私たちも同じですよ。このままずっとこずえが休み続けるなんて耐えられないです。ね? そうだよね?」
隣の蓮見に向かって松本がそう声を掛けた。
「そうだよ。そんなの当たり前だよ。でもさ、先生に言ったって無理でしょ? 先生に期待するとか有り得なくない?」
さっきから二人の言い方にはいちいち棘がある。それが自分に対する強いアピールなのだと気づいていても、道隆には既に何も言い返す気力がない。
「確かにね。でも、私はもう限界かな。……先生、こずえからラインのID教えて欲しいって言われませんでしたか?」
「え? は? どうしてそれを知ってる?」
松本の質問に動揺し、道隆は思わず声が裏返る。
「先生。こずえを学校に来させたければ、ラインのID教えるのが一番手っ取り早いですよ」
「……どういう意味だ?」
道隆は顔を引きつらせながら二人に身を乗り出した。
「こずえ、ずっと悩んでたんです。こずえの小学校の時からの女子だけのライングループがあるんですけど、そのグループの中心的な子が、こずえが仲良くしてる子をいじめてるって。そのグループではこずえだけ中学校が違うんです。だったら二人で退会しちゃおうってこずえがその子に言ったんだけど、そんなことしたら益々いじめがエスカレートするかもしれないって、その子すごくそのいじめてる子を怖がってて。担任とか親とかにも相談できないみたいなんです。だからこずえは、先生にラインのIⅮを教えてもらって、先生をグループに招待すれば、先生に友達を救ってもらえるかもって……ちょっと安直だけどあの子そんなこと考えたんです……。でも、私、先生なんて面倒なことが嫌いなんだから、そんなことしても無駄だよって言ったんです。ましてや他校のいじめとか、ぶっちゃけうちの担任に関係ないでしょ? って。でも、こずえ聞かなくて……」
松本は落ち着いた様子で淡々と言葉を並べた。それを聞いていた蓮見がイライラしたように道隆を見つめてくる。
「……俺のIDを知りたい理由が、それだったのか……でも、何であの時ちゃんと俺に説明しないんだ?……いきなりそんなこと言われても、教えられるわけないのに……」
「先生ってこずえのこと何も分かってないだね。ほんと信じらんない……」
呆れたように蓮見がそう言った。
「場面緘黙症って知ってますか? こずえはその病気を持ってるんです。まさか担任の先生が知らないなんて、あり得ないんだけど」
松本が切り捨てるようにそう言った。
「え? だってそれはもう大分良くなってきたって、健康調査票に……」
「友達とならですよ。先生とか目上に人とは今でも難しいんです。あの子、かなり勇気を出して先生に話しかけたと思いますよ……」
道隆は素早く過去に記憶を馳せた。確かに健康調査票には西野の場面緘黙症は学校生活上問題のない状態にあると記していた。ただ、新年度に養護教諭と生徒指導の打ち合わせをした時、先生や大人と話す時は、未だに緘黙の症状が出てしまう時があるから配慮するように言われたことを思い出す。本当に目立たなく手のかからない子だったから、自分はうっかりそれを失念していた……。
「そ、そうだったのか……でもそれなら……手紙とか書いて、俺に渡せば……」
思わず零れた道隆の言い訳に、蓮見はあからさまに軽蔑を込めた目で道隆を見つめた。道隆には既に、その目を見つめ返す気力はない。
「最初はそうしようと思ったみたいだけど、頑張って口で伝えたいってこずえ言ってたよ。彼女なりのプライドかな。結局失敗しちゃったけどね……先生、こずえは先生からラインのIⅮを教えてもらわない限り、多分学校来ないよ」
ああ……そんな……。
遠くの方で耳鳴りがする。頭の奥でぐわんぐわんと嫌な音が鳴り響いている。
道隆は小刻みに体を震わせながらテーブルに突っ伏し、自分の頭を両手で抱えた。
「駄目だ、無理だ……」
「え? 何? 先生、大丈夫?」
松本が心配そうに、道隆に声を掛けた。
「だ、大丈夫……だ、よ」
そう言って頭を上げると、二人のぎょっとするような顔が視界に入った。
「先生……泣いてる?」
蓮見が驚いたようにそう言ったのを聞き、道隆は、自分の頬を伝う生暖かいものの正体をそっと指で拭った。それは、自分の愚かさの象徴のような気がして、道隆は両手で顔を覆うと、必死に下唇を噛みしめた……。