「ロマン的魂と夢」アルベール・ベガン著 副題(ドイツロマン主義とフランス詩についての試論)マイ・ブック・レビュー
☆序
人間における夢とはなんだろうか?
人はなぜ夢見るのだろうか?
夢と夜との関係性
そのような素朴な疑問から発して
人間の中にある「ロマン的魂」が、どのように
夢を紡ぎ、また、かかわってきたのかを解明しようとした
書物である、そしてベガン自身が自己体験として、
ロマン主義の根本を射落とした者の陶酔と彷徨と挫折と破滅を描く
ドイツおよびフランスのロマン主義文学の研究の畢生の大作でもあり
著者ベガン自身への自己解明の書であり自己救済の書でもある、
だが?
夢と夜との解明・沈潜、沈溺は、、、、、
また、
現実逃避?
現実離脱?の死刑宣告・破滅宣言の書でもあるわけです。
☆本論
この著作は初版が1937年に、出版されていて、
優に700ページを超える大作の
文学研究書(文学評論)です、
内容的にはタイトルにあるように
夢見る存在をやめることができない「人間」が、目覚めているときに
夢と、どう関係性を作るのか?
あるいは
夢とどう折り合いをつけているのかとの
素朴な問いから始まり、、
やがて、、、
「わたしは夢見ている存在であろうか?」
という執拗な疑問に直面せざるを得ない
様々な夢のバリエーションと夢の放逸とについて
具体的に夢とかかわった作家や思想家を網羅的に取り上げて論評したものである。
目次に沿ってみてゆくと、、、
第1部 「夢と自然」はロマン派前史の研究であり
「ロマン主義と18世紀」というサブタイトルで
リヒテンベルクにおける夢の鍵
カールフィリップモーリツの現実の生における夢の横溢
そしてヘルダーからゲーテを経て
ドイツロマン派へ
更には
フランスロマン派へと引き継がれて、
やがてそれらの交響曲の果てに
シュルレアリスムへと流れ込んでゆくのである
個別では
ルネッサンス期を経て
夢の形而上学を確立したトロクスラー
夢の象徴学を確立したGHVシューベルト(音楽家ではない方です)
無意識の神話を確立したカールス
を研究論考しています、
第2部「夢とポエジー」では
それらの下地から発生してきらめく文学銀が世界を咲かせた
ドイツロマン派とフランスロマン派の作家について
個別論及しています
目次に沿って見てゆきましょう
☆ドイツロマン派
〇ジャンパウル、、彼は自然の魔術と想像力を開放しました
〇ノヴァーリス、、彼は夢と魔術、そしてゆるのロマン性について解放しました
「ここでいま神秘の道が内部に通じている」
「ポエジーはぜったいの現実である」
〇ティーク、、、、幼年時代の夢の開放、幼年回帰
失われた神話、人生は夢だった
〇アルニム、、、玲瓏な冷たい夢の世界、無意識とイニシエーション
〇ブレンターノ、、、聖母信仰と母性、運命の光と影
〇ホフマン、、、悪魔と聖性、贖罪と救済、聖女幻想、
〇アイヒェンドルフ、、、銀河降り注ぐ夜の散策
☆フランスロマン派
〇セナンクール、、、、孤独と夢想とあきらめ「オーベルマン」
〇ノディエ、、、、、暗闇に浮かぶ肖像
〇ゲラン、、、、心のざわめきと死の瞑想
〇プルースト、、、自我の分解とテオーリア
〇ネルヴァル、、、、、、「夢は第二の人生である」
〇ユゴー、、、、、、暗黒と楽園、
〇ボードレール、、、文明下での魔術
〇マラルメ、、、、純粋概念と言葉の復権
〇ランボー、、、、反逆と放浪、火を盗むもの
〇シュルレアリスム、、、、形而上学的反抗と、狂気の愛、アンドレブルトンとエリュアール
※以上の作家たちの分析は本文では相当詳細に分析されていて文章も長いですが
その内容を詳しくここで、書いたら大論文になってしまうので、
ここでは概観を一行で述べるにとどめました。ご容赦ください。
例えばドイツロマン派の、各作家については平均50ページが、わり与えられています、
詳しく知りたい方はぜひ原著をお読みください。
☆魂と夢
最後のまとめになります
「夢の中心に私は一人ぼっちだ、私は被造物の完全な孤独の中にいる
私は知っている、真実の生の入り口が表れていることを、
それは絶対的な欠如の中からまったくあたらしい「生」を取りもどすのだ。
苦悩の中に歓喜を
絶望の中にまったく新しい生を、
わたしが夢を抜け出して、現実の生に帰ってゆくにせよ、
様子は一変してるであろう、
幼年時の夢想の外観を取り戻しているし
幼年時の楽園の愛の能力を取り戻しているだろう」
こうしてこの700ページの大作は終わる、
だが?
夢とロマンの果てには
結局、、絶望と破局しかないのではないだろうか?
ベガンは上り詰めた高揚の先に何を見たのだろうか?
それはもうそこから先は虚空しかない
現実の分岐点だったのではないか?だがベガンはさらに進もうとする
高揚と歓喜に包まれて
ロマンと夢見る魂にのみ許された
香り高い破滅へと向かって、、、、、、、、、、、、、、。
「私は夢を見ている存在なのだろうか?
それとも、誰かが、私という夢を見ているのだろうか?」
『人間は夢見ているときは神々の仲間だが
考えているときは乞食のようでしかない」 ヘルダーリン
邦訳
国文社 「ロマン的魂と夢」1972年初版
付記、誤字脱字等ありましたらご容赦ください
☆おまけ
ドイツロマン派作家についてベガンがその肖像のおもかげを描写してるのがあり
興味深いのでここに
概要を、私の解釈で転記します
ジャンパウル、、、30才の肖像は憔悴しきっているが20年後は重ぐるしく変容させている
ノヴァーリス、、、巻き毛の感動的な美しさ、この病者の視線の深さは感動的だ
ティーク、、、倦怠と幻滅が脂肪でとり囲まれている
アルニム、、、美しいプロシャ人の顔、夢見がちな視線は無限世界へとむけられている
ブレンターノ、、、魅惑的な優雅さが悔悟と疲弊で嘆願している
ホフマン、、、唯一、自画像を残している、それは異常な精神の苦悩と狂気とを表している