後編 「友に捧げる軍隊行進曲」
挿絵の画像を作成する際に、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
そして今の私の告白は、どうやら聞き役に徹していた千恵子ちゃんの心境にも変化を促したみたい。
「そっか…そこまでしっかり考えているなら、もう私なんかが口を挟む余地はなさそうだね…」
赤いランドセルと黄色い通学帽を椅子に置き、軽く溜め息をつく。
そうして身軽になった千恵子ちゃんの大人びた美貌には、晴れやかな笑みが浮かんでいたんだ。
「私ね、正直言って気掛かりだったんだ。万里ちゃんの志願入隊は、誰かに差し向けられた物じゃないかって…」
どうやら千恵子ちゃんったら、私が自分の真意を押し殺した上で入隊を志願したとでも思っていたんだろうね。
お母さん辺りに強制されたとか、周りの大人に同調圧力をかけられたとか。
そんな訳、無いのになぁ…
「だけど今の話で、万里ちゃんが自分で選んだ道だとハッキリ分かったよ。あれは間違い無く、万里ちゃん自身の言葉で語った本心だってね。」
「そりゃ確かに…お母さんからの影響が無いと言ったら嘘になるよ、千恵子ちゃん。だけど入隊を決めたのは、あくまで私自身の意志だからね。」
そんな千恵子ちゃんの疑念が晴れた事で、私達の間に張り詰めていた変な緊張の糸も、嘘みたいに消え去っていたんだ。
「それを聞けて良かったよ、万里ちゃん。そんな万里ちゃんに、私から贈りたい物があるんだ。」
私に椅子へ座るよう促した千恵子ちゃんは、回れ右をした後にツカツカと歩き始めたんだ。
「新学期になったら、万里ちゃんは人類防衛機構の訓練生…民間人としての万里ちゃんと会うのは、終業式の今日が最後になっちゃうからね。」
艷やかな黒髪を微かに揺らす、優雅で大人びた足取り。
まるで華族様の令嬢みたいな気品ある立ち振る舞いで向かうのは、五線譜の刻まれた黒板の側に鎮座しているグランドピアノだった。
「でも、終業式の日程が今日で本当に良かったよ。土居川小の先生達や県の教育委員会に、御礼を言いたくなっちゃうね!」
グランドピアノの屋根を付き上げ棒で固定して、黒塗りの鍵盤蓋も開けて。
慣れた手付きで演奏の準備を進めながら、千恵子ちゃんは朗らかに笑い掛けてきたんだ。
「今日…?今日って確か、十二月二十四日…あっ!」
「メリー・クリスマス!そして入隊おめでとう、万里ちゃん!」
そう言えば、今日はクリスマスイブだったね。
改めて音楽室の中を見渡してみると、教卓には小振りのツリーが鎮座しているし、防音対策で細かい穴が沢山穿たれた白い壁には、輪にした紙テープで作った飾りが貼られていたんだ。
後ろの黒板にも、星の飾りとかが残っているし。
一年生の頃に音楽室でやったクリスマス会、懐かしいなぁ。
図工の時間に作った飾りを音楽室に貼って、それからクリスマス関連の合唱曲を歌ったっけ。
今の代の一年生の子達も、この行事をやってるんだねぇ…
そんな物思いに耽っていた私の意識は、若きピアニスト志望の少女によって現実に引き戻されたんだ。
「これは万里ちゃんに贈る、私からのクリスマスプレゼントだよ!」
千恵子ちゃんの快活な声は、程無くしてグランドピアノの旋律へと取って代わられたの。
進軍ラッパや太鼓を彷彿とさせる勇壮な楽想に、心の弾む軽快なリズム。
このテンポの良いアレグロ・ヴィヴァーチェは、日本人の私にも馴染み深いメロディだったね。
「これはシューベルト…軍隊行進曲の第一番だね、千恵子ちゃん…」
これから軍人を目指す私に、ピッタリな選曲じゃないの!
なかなか気の利いた趣向を凝らしてくれるよね、千恵子ちゃんも。
「この演奏、万里ちゃんのために捧げるよ!いつかプロの奏者になって、もっと上達した演奏を聴かせてあげる。だから、万里ちゃんも…」
「分かったよ、千恵子ちゃん。私、人類防衛機構に入隊したら訓練を頑張るよ。そして、プロのピアニストになった千恵子ちゃんが安心して演奏出来るような、平和な世界を作るんだ!」
人類防衛機構に入隊して戦う力を得る事で、千恵子ちゃんを始めとする沢山の人々の夢を守る。
そう誓った私の夢を、千恵子ちゃんはピアノの演奏で励ましてくれた。
華麗に気高く、そして力強くね。
支えてくれる人がいるからこそ、夢に向かって頑張れる。
そして、誰かの夢を支える事で、その喜びを分かち合える。
それって、とっても素敵な事だよね!
「あっ…万里ちゃん、雪が降ってるじゃない!」
若きピアニスト志望の少女の言葉通り、窓の外では白い雪の粒が空から降り始めていたんだ。
リズミカルなシューベルトの行進曲をバックに、チラホラとね…
小学四年の二学期末に、友達と一緒に過ごした音楽室での一時間弱。
それは私にとって、忘れられないクリスマスイブの思い出になったんだ。
オーストリアの作曲家であるフランツ・ペーター・シューベルトが残した「軍隊行進曲第一番」の、明るく軽やかな調べと共にね…