廃部危機
放課後になり静かな廊下。私とマリは部室の前にいた。
鍵を開け部室の引き戸の扉をガラガラと開けると、いつも通りほんの僅かな畳の香り。
パソコンがあるのでカーテンを常に閉め切っている。薄暗い。
マリは私の横をすり抜け、自分の定位置としているコタツの上座へ一気に滑り込んだ。
すぐにスイッチを入れてホクホク顔。
「ん~実家のような安心感」
「早っ!」
余りの素早さに思ったままを口に出してしまった。
とりあえず電気を点ける。
部室の入り口は一つだけ。
入り口から右手の壁に大きなキャビネットがあって、なにやらよく分からない本や資料が詰め込まれている。
左手の壁には何もなく、壁際の奥の一角は小上りになっていて、畳が敷かれている。
その上にコタツがある。六人用のコタツは長方形で、かなり大きめ。
去年卒業した先輩達が「魔改造した!」と胸を張っていた。
これはいいのだろうか、と入部当時は思ったが、顧問の先生も問題視していないようなので深く考えないことにした。
親友はコタツに入れた両手の親指を立てているのではないかと思えるほどご満悦。
「やっぱりコタツは最高だぜ!」
「はいはい」
入り口から入って左に設置されているパソコンデスクの椅子に座りながら苦笑気味に答える。
この椅子に座るとマリが座る位置からは背中を見せることになる。
なにが面白いのかは分からないが、マリはその位置から私の背中を眺めるのが好きらしい。
デスクトップパソコンの電源ボタンを押し、立ち上がるのを待つ。
「さっそく作曲ですか」
「うん。もうちょっとで新しい曲出来そうなんだ」
冬休みにもちょくちょく通い。作曲は進んでいた。
「そっかぁ。次こそ伸びるといいねぇ」
「だねぇ」
私はネットにオリジナルのボカロ曲を投稿している。
「純粋に曲だけを評価されたい」「恥ずかしい」という理由が半々ずつで、投稿していることは内緒にしている。
知っているのはマリだけ。マリにバレたのも事故だった。
マリは時折、気配を消してパソコンを操作する私の背後を取ることがある。それでバレてしまった。
バレた後すぐに、投稿していることを内緒にする約束をした。
投稿は高校入学から始めたから丁度一年が経った。再生数は全く伸びておらず、密かにヘコんでた。
「いい曲ばっかりなのに、なんで伸びないんだろうね」
「いい曲じゃないから伸びないんだと思うよ」
「いい曲だって! 私は大好きだよ!」
少し声を荒げられる。
「それはどーも」
「ホントなのになぁ。みんな見る目ないなぁ」
このやりとりは何回かしているので特に思うことはない。
進級して環境が大きく変わったし、信頼はしているが念を推すことにした。
振り返るとマリもこちらを見ていた。目を見て言う。
「マリ、分かってると思うけど――」
「分かってる。誰にも言わない」
食い気味に即答された。心配いらない。約束は守る。そんな意思が伝わって来た。
「うん」
安心して視線をモニターに戻すと部室の扉がノックされた。
「ん? 誰だろ」
「もしかして入部希望者!?」
マリはワクワクした様子だが、そうは思えなかった。
「えぇ? 全く勧誘してないのに来るかね」
また苦笑しながら扉に向かい、はい、と言いながら開けた。
すると顧問の田中先生が立っていた。
綺麗なロングヘアーの若い女性。先生と言うよりはお姉さん。穏やかで生徒から人気がある。
私も「過度な干渉をしてこないから」という皆とは少し違った理由で先生のことは好きだった。
「成瀬さん、こんにちは」
「こんにちは」
にこやかな先生に会釈をしながら答える。
「今ちょっといいかな?」
「はい、あ、中どうぞ」
先生が生徒にそこまで気を使わなくても、と思いつつ、立話もなんなので部室の中へ案内した。
「いえ、長い話ではありませんのでここで。DTM部って今部員一人だよね?」
「はい」
案内をやんわりと断って本題に入った。
先生の位置からもコタツでくつろいでいるマリは見えていると思うけど、去年から部室に入り浸っていたマリが部員でないことは先生も知っている。
「部の存続には四人以上必要だってだって知ってる?」
「え」
晴天の霹靂とはこのことか。
「橋本さんには伝えたんだけど……」
「いや全然聞いてないです。あの人チャランポランだからな……」
橋本とは去年のDTM部部長のこと。
突然の衝撃で呆気に取られているが、橋本さんへの悪口はサラリと出てくる。
「だよね。念のため伝えに来たの。四月末までに部員が四人以上にならなかった場合、廃部になります」
「……えっはい」
部長への悪口に軽く同意されて少し笑いそうになってしまったが、後半は穏やかな口調での死刑宣告に等しかった。
ふと三月に部長から言われた言葉を思い出す。
「この部、別に守らなくてもいいから」
チャランポランな笑顔で言われ、何を意味しているのか分からなかった。
こういうことか。分かりづらい。それで理解したらエスパーだ。
「大丈夫?」
「ぜんぜんだいじょうぶですけど?」
辛うじて答えてはいるけど、声が上ずってしまう。全然大丈夫じゃない。
「大丈夫、四月中に部員四人集めればいいだけだから」
そう言われても……DTM部なんかに入ってくれる人はいるかな。
いやいない。実際一つ上も同学年もいない。
そう思いながらも先生は話を進める。
「四人集めたらこの部活申請書に必要事項を記入して持って来て下さい。なにか質問があれば職員室まで。大丈夫?」
部活申請書を渡しながらまた心配してくれた。
かなりのアホ面を晒してしまっているのかもしれない。
部活申請書を受け取りながらなんとか答える。
「ぜんぜんだいじょうぶです」
「では、私はこれで。部員集め、頑張ってね」
「あっはい、わざわざありがとうございました。」
先生は優しく激励してくれたあと、静かに扉を閉めて去っていった。
マリが心配そうに声を掛けてくる。
話は聞こえていたようだ。
「ユカ……」
それがきっかけで緊張と理性が外れた。
アホ面とか言ってる場合じゃないほどの顔をしていると思う。
「ヤバっ! ヤバい! ヤバ過ぎる! マリ! どうしよう!!」
「これ以上ないくらい慌ててる!」
少し楽しそうに言われたのが癪に障ったが、ツッコんでいる余裕は無い。
部室のパソコンには先輩達が用意したDAWや音源が詰め込まれている。
自宅のそれらとは比べ物にならないほどの機材。
廃部ということは部室が奪われるということ。それは機材が奪われると同義。
それはマズイ。とてもマズイ。当然あると思っていた残り二年の快適なDTMライフがいきなり崩れてしまう。
「ヤバいよ!? ここ取り上げられたら家のクソ雑魚DAW使うハメになる!」
「クソ言うな! 落ち着いて! 四人集まればいいんでしょ?」
「DTM部なんかに入ってくれる人いないって!」
汚い言葉への指摘は気にもせず先生との会話中も思っていたことを言う。
マリになら気を使う必要はない。
「それならまず私が入るよ」
「おぉ!」
ふざけた様子はなく、真面目に提案してくれた。
予想外の提案に喜びよりも驚きが強めの歓声を挙げてしまった。
「あと二人、友達に声かけまくってとりあえず入ってもらおう。幽霊部員でも掛け持ちでもいいから」
「そんなのあり?」
「『四人』としか言われてないし、私だってDTMとかサッパリだし。もしケチつけられたらゴネ倒す」
「おぉ……マリ!!」
親友の頼もしい思考と提案に感激し、つい抱きついてしまった。
マリは少しバランスを崩した。
「わわ!」
「ありがとう~! マリがいてくれてよかったよ~!」
私から抱きつくことはほぼ無いので驚いていたが、気にせず頼もしい親友にお礼を言った。
「ハハハよせやい親友! バーンと任せたまへよ! とりあえずお茶淹れてくれる?」
「ははぁ!!」
普段なら「なに調子乗ってんの、むしろ私に淹れて」などと言い合いジャンケンに発展するところだが、今そんな気は微塵も浮かばない。
手早くお茶を用意し、頭を下げながら両手で丁寧に差し出した。
マリはご満悦。ムフフとした笑みを浮かべながらお茶を受け取った。
「うむ! よろしいー!」
「ホント助かった。ちょっと冷静さを欠いたわ」
「大分欠いてたよ」
どうやらどう見ても動揺していたようだ。自覚はある。
「あと二人で三週間あるから多分どうにかなるよね」
「余裕でしょ」
「はぁービビったー……」
幽霊部員でも掛け持ちでもいいのであればお願い出来そうな友達はいる。マリにもいるだろう。
危機は去り、部室は守られたのだ。ここでようやく落ち着けた。
その安堵の中、また部室の扉がノックされた。先生のノックよりもリズミカルで元気なノック。
危機を切り抜けたばかりで、またなにか降りかかってくるような嫌な予感がした。
「えぇ……今度はなに……?」
「いきなりノック恐怖症になってる」
「去年ノックされたこと無いのにもう二回目だよ……新年度どうなってんの……」
マリはまた少し楽しそうに言うが、私は気が気ではない。
言った通り、職員室からかなり遠い最上階の隅にある部室がノックされることは、知る限り無かった。
気は進まないが鍵も開いてるし、騒いでいた以上、居留守も出来ない。
観念して扉に向かい、はい、と言いながら開けた。
すると二人の少女が立っていた。
二人とも上履きから一年生だと分かる。
一人は艶のある長い黒髪を質素な黒いゴムでポニーテールにした小柄な子。
丸みのあるフチの無い眼鏡の奥、幼さの残る丸い瞳でこちらを見つめていた。
もう一人は見覚えのあるセミショートの子で、ギターが入っているであろうギグバッグを背負っていた。
その子から尋ねられる。
「こんにちは! DTM部の人ですか?」
「そうですけど」
「私、軽音部の立花っていいます!」
言われて思い出した。今朝軽音部勧誘のチラシを配っていた子だ。
「あ、今朝チラシ配ってた」
「チラシ受け取ってくれたんですか?」
「うん、え、一年だったんだ……」
驚いた。一年生が入学式の翌日から部活立ち上げの活動をしているとは。なんという活力……
「どうですか? 軽音部に入りませんか?」
「いや、DTM部なんで」
「掛け持ちでもいいですよ!」
「いや、興味無いので」
「絶対凄く楽しいですよ!」
笑顔での畳み掛けるような勧誘に少し気圧されてしまったが、本題は明らかに勧誘では無い。
嫌味にならないよう気を付けて先を促す。
「勧誘に来たの?」
「あっ、違います! DTM部さんにお願いがあって来ました! 上がらせてもらってもいいですか!?」
「……はぁ、まぁどうぞ」
直感がこの活力全開女子を危険だと言ってるけど、追い返すのは気が引けたので中に案内した。
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔します」
ポニーテールの子が初めて声を発した。
可愛い声だが落ち着いていて、あまり喋るタイプではないことが感じられた。
「あ! コタツだ! 入ってもいいですか?」
「いいよー。おいでおいで」
マリがコタツの主であるように誘う。流石のコミュ力だ。というかまだDTM部の部員でもないのだが。
セミショートの子がギグバッグを降ろし、畳の上に丁寧に置いた。
それから一年生は二人ともコタツに入る。
気を使ったのか二人とも長方形のコタツの長い辺の下座に並んで座った。
私は上座下座はあまり気にしないけど、マリが「隣に座って」と言わんばかりにスペースを空けてくれたので、マリの隣の上座に座った。
コタツが暖かいので少し和んだ。いや和んでる場合ではない。
上座の二年と下座の一年、向かい合う形になって話を進める。
「それで、お願いって? いやその前に自己紹介しておこうか。私はDTM部の部長、成瀬由香里」
「私はDTM部のコタツムリ、中村真梨子だよ。よろしくね」
マリの自己紹介にツッコミたいのを堪えると、セミショートの子が自己紹介をしてくれた。
「私は立花千晴です! 軽音部を作る活動してます! よろしくお願いします!」
立花は元気に言うと隣に座るポニーテールの子に目配せをした。自己紹介をどうぞ。と促しているようだった。
「西川栞です。よろしくお願いします」
淡々と言った西川は無表情のまま軽く頭を下げた。やはりあまり喋るタイプではないようだ。
自己紹介が終わると立花は経緯を語った。