第3話
毎日21時更新予定です。
ひととおり最後まで書き終わりました。全部で11万字弱でした。終章を入れたら増えた。ちょうど文庫本一冊ですねー。
これが最終章になります。
外堀を埋めたところで、貴種からの骨髄移植を経て人間を人工的な貴種にするプロジェクトについて、永井から中河内製薬の社長に提案をしてもらった。
発案者が現役の医師であり、自らが被験者になること、それと、陽樹が無実とはいえ世間的に良くない評判を立てられたためにここに赴任してきたということから、次期会長である社長は全く反対もせずに実行を許可したらしい。彼にとって陽樹は惜しい人材でもなく、意に留める相手ではなかったのだ。
リスクある人体実験は本来忌避されるものだが、そもそも貴種の存在自体が現在は隠されているし、予定通りの成果がなかったとしてもその実験の存在ごと隠せばいいだけ。成功すればこの上ない医学上の発展だが、万が一陽樹に何かがあってもそれは自業自得とまで言われたらしく、ラボに戻ってから永井は激怒していてなだめるのに時間がかかった。
「俺は覚悟を決めたぞ。あんなやつに紗代の未来を委ねたままでいられるもんか。香川が紗代を連れてここを出たら、こんな場所爆破してやる!」
この計画が実行に足ると判断させるために睡眠時間を削って永井は資料を作っていたのだが、そのせいで赤い目を更に血走らせて、トレーニングルームでサンドバッグに蹴りを入れている。
脚が唸りを上げるほどの勢いでサンドバッグに叩きつけられる度に、重い音が響いた。きっと永井は心の中で、サンドバッグに中河内社長の顔写真でも貼り付けているのだろう。
「まあまあ、もしそんなことしたら永井くんは建造物損壊で捕まるし、向こうは解体費用が浮いて喜ぶだけじゃないか。必要な予算はふんだくって、諸々片付いたらスパーンと辞表を叩きつけてやればいいよ。その頃にはここの存在意義は無くなってるだろうし、円満退職だね!」
「そうだな、年収相応の退職金くらいはもらっておきたいところだ、なっ!」
殊更に大きな音を立ててサンドバッグが揺れた。元々どちらかと言えばインドア派の永井がこれ程までに荒れ狂っているのは初めて見た。永井は運動はするけども、健康管理上必要なことだからというスタンスで決まったルーティンとしてこなすタイプだ。
気が済むまで暴れれば彼のストレスもかなりすっきりとするだろう。苦笑しながら陽樹はトレーニングルームを後にした。
紗代よりも一足早く、陽樹は明日入院する予定になっていた。骨髄移植を受けるには全身に強い放射線を浴びて陽樹自身の造血幹細胞を死滅させる必要がある。多大な負担がかかる方法であるのは間違いないし、白血病で骨髄移植が必要な患者でも移植に耐えられる体力がなくて予後が悪く、生存に至らないケースもある。
陽樹は体力もあり、健康体であるという自信があるが、それでも事前の健康診断は念入りにする必要があった。
持って行く物は最低限にするつもりだ。ここへ帰ってくると決めているのだから。
陽樹が部屋に戻ると、紗代が部屋の中心で陽樹のボストンバッグを抱えて立っていた。静かな表情だったが眉が下がっていて、彼女が内心不安でいることを示している。
「とうとう明日だね……」
「うん。しばらく留守にするよ。寂しい思いをさせるね、ごめん」
紗代の手からボストンバッグを受け取ってテーブルに置き、寂しげな彼女の体を抱き寄せた。紗代はしばらく無言で体を預けていたが、ややあってぽつりと呟いた。
「朝顔が咲いてるうちには、帰ってこられない?」
「そうだね、だいたい三ヶ月くらいは入院することになると思う。貴種の快復力が実際は未知数だから、もしかしたらもっと早く帰れるかもしれないけど。……朝顔、残念だな。僕も見たかったよ、君の咲かせたヘブンリーブルー」
紗代の朝顔はやっと小さな蕾が付き始めたところだった。少し前までは、それが満開に咲くのを紗代と一緒に見ることができるのを疑いもしていなかったのだ。事を急いだのは陽樹自身だが、急激に動いた運命には未だに戸惑いを感じることもある。
「種を取っておくから。いつかどこかで、また咲かせられるように」
「ああ、そうだね。来年の朝顔は、小さい鉢じゃなくて直植えでたくさん育てよう」
言葉で答える代わりに、きゅっと紗代の手が陽樹の服を握りしめた。
互いの体温を忘れないようにと、無言でただ抱き合っていた。どれだけそうしていただろうか、紗代が低く唸って泣く寸前のような顔で陽樹を覗き込む。
「陽樹、本当にいいの? 命の危険があるんだよ? 死ぬかもしれないんだよ? 私のために、そこまでしていいの?」
それに対して陽樹は笑った。確かに陽樹には命の危険がある。けれど、紗代にもリスクはあるのだ。なのに陽樹のことだけを心配する彼女が、心の底から愛おしい。
「君と共にある幸せに比べれば、危険なことなんかいくらでも耐えられる」
「精神論じゃないよ。もし、陽樹が死んでしまったら、私……」
「死んだりしないよ。僕は決して君を置いていかない。決めたんだ。必ず君のところへ戻ってくる。この命を全て懸けて愛すのは君だけだから」
黙り込んでしまった紗代の背を軽く叩き、その頬に手を添えて優しく唇を重ねる。いくら言葉を連ねても伝えきれない想いを、触れたところから直接伝えたかった。
「……約束だよ。絶対帰ってきてね」
自然と顔が離れてから、互いに小指を絡ませて指切りをする。無言で指切りを終えると、紗代は陽樹の部屋から静かに出て行った。
弘明が用意してくれたのは部屋は豪華な個室、いわゆるVIPルームだった。事情が事情故に個室である必要はあるかもしれないが、ここまで立派な部屋である必要は無い。陽樹がそう思っているのが顔に出たのか、何かを言う前に弘明は笑って「今は政治家が入院していないからな」と先回りして答えた。
「それに、無菌室に入るまでのことだぞ。今のうちに満喫しておくといい」
「それもそうですね。のんびりさせてもらいます」
陽樹の健康診断が全て終わってから、移植までには他の骨髄移植を受ける患者と同じくきつい準備が必要となる。造血幹細胞を全て壊してしまうから新しい血液は作られなくなるし、感染症に弱くなるので無菌室に入らなければならない。
移植の前処置に入ると大量の服薬と放射線照射で激しい吐き気を催したり、今までにない苦しさを味わった。けれど、紗代と共にいる幸せを得るためには必要なことなのだ。ベッドサイドに紗代が折った紙飛行機を置いて、それをみつめながら陽樹はただ耐えた。
亜貴種になって、紗代と一緒に自由に出歩けるようになったら、空が開けた場所でこの飛行機をまた飛ばすのだ。緩やかに勾配のある公園なんかで飛ばしたら楽しいだろう。よく飛ぶ紙飛行機だから、子供がそれを見たら寄ってくるだろう。そうだ、それまでに紗代に教わって自分も紙飛行機を折れるように覚えよう。たくさんの紙飛行機を一斉に飛ばして競争したら、きっと楽しい――。
陽樹が耐えている間、紗代もドナーとして苦しい思いをしている。紗代を案じながらもそれは陽樹の支えになった。
骨髄液の採取は全身麻酔だから、注射が嫌いな紗代は麻酔を点滴で静脈から入れるよりも吸入だったらいいのにと思う。そもそも全身麻酔自体に、低いとはいえ死亡する確率があり、同意書などを念入りに書かされるものなのだ。危険は陽樹だけではなく、紗代の上にもあった。
入院してから半月以上が経った頃、ようやく移植の日がやってきた。
一見ただの血液に見える紗代の骨髄液が点滴スタンドに吊されて、点滴で陽樹の体に入ってくる。
紗代のわけてくれた命が、一滴ごとに陽樹に新しい命をくれるのだ。これが定着すれば、今まで陽樹の体を流れていたのとは違う血が全身を巡る。それは生まれ変わるのととても似ていると陽樹は思った。
実のところ、骨髄移植自体に陽樹は何かを期待していたわけではなかった。陽樹が求めるのはその先の、貴種の血液によって得られる恩恵だ。
だが、いざ移植を受けてみると、今までの苦しみがこれで終わると思ってとてつもない安心感があった。望んで受けた処置とはいえ、今までがなまじ健康体だった分、病気と同じ状態を味わうのはきつかった。
後は、ただの人間である陽樹の体が、貴種の血に負けないように祈るばかりだ。
骨格や臓器の構造は一緒だが、貴種と人間では筋肉の強度などに差異がある。前例のない移植だから、拒絶反応も、副作用も予想できない。
一滴一滴と落ちてくる点滴を見ている間に、陽樹はいつの間にか眠りに落ちていた。
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