第9話
既に10万字弱で書き上がっているので、ちょこちょこ直したりエピソードで足す部分があったら直しながらアップしていくつもりです。
最初の内は頻度たくさん(年末年始ですしね)、あとは1日2回とか1日1回などで更新するつもりです。
「ごめんね、僕あまり注射がうまくないから」
採血管を並べながら陽樹が言うと、紗代がびくりと肩を震わせて陽樹の顔を恐る恐る覗き込んできた。彼女を怯えさせてしまったことに申し訳なく思いつつ、紗代がやっと目を合わせてくれたことが嬉しくて陽樹は微笑む。それとは反対に紗代は唇を尖らせた。
「……何を笑ってるのよ」
「ああ、ごめん。やっとまともに顔を見てくれたなと思って。……注射がうまくないから、刺しやすい針を使うから大丈夫だよ、と言おうとしたんだ。そんな顔しないで」
細い針の手元に持つ部分が鳥の羽のようになっている翼状針を、陽樹は用意していた。普通の針より安定しやすいので、扱いやすいのだ。細い管が繋がった華奢な針を見て、紗代も安堵した様子で肩の力を抜いた。
「血圧は右で測ったから、左腕にしようか、袖を捲ってくれるかな」
陽樹に言われるがままに紗代は二の腕まで袖を捲る。その腕に古い傷痕が痛々しく残っていた。手首の少し手前から肘近くまでの大きな傷だ。
その傷について彼女のカルテに記載があった覚えはない。陽樹は一瞬眉をひそめたが、昨日永井から聞いた話を思い出した。おそらく、彼女がここに連れてこられるきっかけになった、事故での傷なのだろう。ここに住んでいて負うような怪我ではないし、このラボに来てからの記載がないことにも符合する。
紗代に確認しようかとも思ったが、永井から先に彼女の過去について聞いていたとは言い難くて、陽樹は傷については触れないことにした。
「ちょっと腕縛るよ、痛いかもしれないけど我慢して。手をグーにして、ぎゅっと握って……そうそう」
細い針がきめ細やかな白い肌に食い込んでいく。血管を捉えたという手応えを感じて、真空採血管をセットすると暗い色の血がするすると流れ込んできた。――血の色も、人間とは変わらない。余計に目の前にいる紗代が人間ではないということの現実味が薄くなってくる。
そんなことを考えている間に十分な量の血液が溜まり、久々だったので不安はあったものの、採血は無事に終えることができた。
「ふう……」
「……はぁ」
互いに向き合ったままで、ふたり揃ってため息をつく。すると紗代があからさまに顔をしかめた。
「……先生がため息をつくのやめて。これから採血の度に不安になるから」
「ごめんごめん。久々だったから僕も緊張しちゃってね。自分の腕で練習してくれば良かったよ。採血は辛くなかったかい?」
「前にしたときより痛くなかった気がする」
「それならよかった。紗代さんの血管は太くて張りがあって逃げなくて、いい血管だから僕も助かったよ」
「血管に良い悪いが?」
「あるある。君も永井くんも細い血管じゃないから本当によかった」
アルコール綿で採血の痕を押さえながら冗談めかして笑うと、紗代が思いがけず目元を和ませて微笑んだ。陽樹が驚いて紗代の微かな笑顔をみつめていると、慌てたように真顔に戻った紗代は目を逸らした。
「紗代さん、さっきも言ったけど、僕の仕事は君の健康管理だ。君の様子がいつもと違うとか、そういうサインをいち早く見抜かなきゃいけない。だから、普段から君と親しくしていることは大事なことなんだよ。――まあ、それは仕事上の建前なんだけど、僕が君と仲良くしたいと思ってるのは本当のことなんだ。君の気が向いたらお喋りしたり、トランプでもゲームでもいいから一緒に遊んだりしたいな。あ、誓って言うけど、これは別にナンパじゃないからね。君が男性でも女性でも、僕は同じことを言ったよ。ついでに言うと、永井くんも僕の管理対象だから、もちろん彼とも親しくする」
陽樹の押しの強さに紗代が怯んだ気配が伝わってきた。彼女は人との関わりを拒んではいるが、おそらく繊細さ故に人を傷つけることをどこか恐れている。押し続ければ嫌々ながらも付き合ってくれそうだ。
「……これで、健康診断は終わり?」
けれど、陽樹のそれ以上の干渉を遮るように、紗代は自分の腕を押さえる陽樹の手を静かに引き剥がすと袖を下ろした。
「終わりだけど、君さえよければ君の話を聞かせて欲しい」
「よくない。私の昔の話なんて面白いことは何もないし」
紗代のガードが少しは緩んだかと思ったが、声に硬さが戻ってきていた。
押しすぎたか、と反省しつつ陽樹は名残惜しさを堪えて立ち上がった。
なろう初投稿作品です。ガンガン更新しますので、気になったらブクマ・評価いただけると大変嬉しいです。よろしくお願いします。