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6 密偵のお仕事

 


 フィリオが向かった先は、学術院からさほど遠くなかった。


「歩かせてしまってごめん。大丈夫?」

「これくらい平気」


 私の普段の行動範囲は狭い。王都でなじみがあるのは屋敷と学術院、超能力の研究施設、あとはせいぜい図書館くらいだ。

 馬車を使わず、使用人や護衛を引き連れず、出歩くことはめったになかったので、短い距離でも楽しくて新鮮だった。


 見えてきたのは、共通区域にある学生街だった。

 学術院に通う生徒をターゲットにした商店街だ。文房具屋や雑貨、授業に役立つアイテムなどが売っている。

 安価な飲食店も多い。平民の子たちは食べ歩きをしているし、中にはアルバイトをしている子もいるみたい。

 貴族の姿も見かける。彼らは裏通りのカフェにスイーツを食べに来ているようだ。全然隠せてないけど、お忍び気分らしい。


 鼻孔をくすぐる甘い香りに、私はつい頬を緩めた。


「学生街に来るのは、とても久しぶりだわ」

「いつも寄り道はしないんだ?」

「……ええ」


 だって、誘ってくれるお友達はいないし、妹と来たら彼女の友達に囲まれて気まずかったし、クルトは大抵仕事の時間だったし、一人で来ても楽しくないし。

 寂しい人間で悪かったわね、とフィリオを見上げると、彼は柔らかく微笑んだ。


「実は俺も、あまり来たことがない。楽しそうな場所だな」


 フィリオは学生たちを見て、目を細めた。

 彼は三年前から西方の国々にいて学術院に通っていない。超能力者とはいえ、こんな若い密偵が一体何を調べていたのだろう。少し気になる。

 まぁ、聞いてもさすがに仕事の内容は教えてくれないわよね。


 それより、そろそろ人目が気になってきた。

 家族以外の男性と二人きりで出歩くなんて、貴族令嬢としてはあるまじき行為だ。ただでさえ私は顔が知られていて目立つし、さらにフィリオは目立ってしまう。背が高くて格好良いから。


「ふっ」


 突然フィリオが肩を揺らし、口元を手で押さえた。笑いをこらえている。私、また恥ずかしいことを考えてしまったみたい。


「ね、ねぇ、どこに行くの? 裏通りのカフェ?」

「そうだなぁ。ミュゼットは普通にお茶をするのと、俺の仕事を手伝うの、どちらがいい?」


 予期せぬ問いに、私は声を潜めて問う。


「仕事って……み、密偵の? 何かの事件?」

「そんな大それたものじゃない。ちょっと神殿に頼まれたんだ。当然俺は精神感応を使うけど、危険は何もない。ミュゼットは甘いものを食べているだけでいいよ」

「? そう……いいわ。じゃあ手伝う」


 私は好奇心に負けた。






 案内されたのは、裏通りにある白煉瓦のカフェだった。

 オープンしたばかりで何もかもが真新しい。

 内装は淡い色調の可愛い雰囲気で、女性客やカップル客で繁盛しているようだった。間違っても男性のみでは入店できなさそう。私を仕事に同伴させた理由が察せられるというものだ。


 席は薄いカーテンで区切っただけの半個室と完全個室の二種類あって、フィリオは完全個室の方を選んだ。


「俺と一緒にいるの、誰かに見られない方がいいんだよな?」

「え、ええ……だってまだ………」

「分かってる。お嬢様としては当然の感覚だよ、それは」


 そう言ってもらえて、安心した。

 男性と密室に二人きりと言うのも問題だけど、今は人目の方が気になる。どんな噂をされるか分からない。

 もちろん普通の女の子だったら、よく知らない男性に誘われてもついていかないし、二人で密室に入らないだろう。何かを間違えている気がする。

 貞操の心配よりも人目を気にする余裕があるのは、第一級の念動力のせいだけど。


「…………」


 私としたことが、精神的な負担を考えていなかった。

 いきなり二人きりの空間は緊張する。壁が薄くて、他の客の楽しそうな空気が伝わってくるのが救いだ。


 大丈夫。

 これは仕事のお手伝い。だから二人きりでも平気。デートではないわけだし……。

 そう、デートではない。

 自分で選択しておいてなんだけど、少し後悔していた。せっかくまた会えたのに、可愛くない選択をしてしまったかも。


 このまま黙っているのも気まずいし、話しかけてもいいだろうか。

 例えば、やっぱりそう、クルトの手紙について――。


「あいつ……!」


 私が手紙の内容を思い出した途端、フィリオが血相を変えた。


「え? 何」

「ああ、いや、ごめん……クルトの奴、あなたに妙な手紙を送ったみたいだなって。俺のこと勝手に……」


 フィリオはどこか落ち着かない様子だった。


「別に良いんだけど……一応、言っておくと、一目惚れはしていない」

「ええ、それは分かっているわ」


 あれはクルトのリップサービスだろう。真に受けてなどいない。

 フィリオが私に求婚してくれたのは、条件が合うから。お互いに気兼ねしなくていいから。それだけだ。

 恋愛結婚への憧れはまだあるけれど、贅沢を言ってはいけない。


「いや、少し待ってくれ。確かにまだ惚れてるわけじゃないけど……全く好みじゃない女性に求婚したりはしない。それだけ覚えておいてくれ」

「え」

「この話はおしまい。はい、メニュー。好きなものを選んで」


 言い逃げされた。気になるけれど、恥ずかしくて追及できない。

 向かいの席に座るフィリオをちらちらと眺めつつ、今度は私が落ち着かない時間を過ごした。


「お待たせいたしました」


 注文したスイーツと紅茶が届くと、緊張が少し和らいだ。


 色とりどりのフルーツと、ふんわりとしたクリームで盛り付けられたワッフルは、食べなくても美味しいと分かる出来栄え。

 紅茶の香りもいい。何よりこのティーセットは、何種類もある中から気に入ったデザインのものを選ばせてもらった。嬉しいサービスだった。

 つい欲望に負けて、グラデーションが美しいピンクの茶器一式を選んでしまった。子どもっぽいと思われたかもしれないし、フィリオが使うことを考慮していなかった。失敗したかも。


 店員が下がり、扉が閉ざされると、フィリオはカップを手に取った。


「……へぇ、西方産の白磁だな。わざわざ仕入れたのか。すごいこだわり」


 懐からメモ用紙を取り出し、さらさらと何かを書き始めた。


「ああ、どうぞ。召し上がれ。そしていろいろ感想を聞かせてくれ」


 彼の行動を疑問に思いつつも、私はワッフルにナイフを入れた。


 見た目を裏切らない美味しさだった。

 ワッフルのカリカリした生地が、蜂蜜シロップを吸い込んでいて、口に入れた瞬間優しい甘さがじゅわりと広がる。フルーツと一緒に食べればフレッシュな味わい、クリームを付ければ芳醇なミルクの香りが口に広がり、飽きることもない。

 ああ、でも、シロップの量が多いかもしれない。時間が経てば経つほど、焼きたてのワッフルの食感は失われ、シロップでふやけてしまう。美味しく食べられる時間が少ない。

 できれば、シロップは自分で適量をかけたかった。ワッフルだけの味も知りたかったし。


「なるほど。為になる。他には?」

「…………」


 私はティーカップを手に取った。

 味も香りも問題ない。ワッフルにもよく合う。好みのカップに入っていれば、余計に美味しく感じるというもの。

 ああ、でも、砂糖壺がテーブルの上で仲間外れになっているわね。


「手厳しいな。でも一理ある。客によってティーセットが違うのなら、何にでも合うようなシンプルなデザインの方が良かったな。ありがとう」

「……ねぇ、一体何なの? これが密偵の仕事?」


 この店の視察をライバル店から依頼されたのだろうか。

 フィリオは苦笑して首を横に振った。


「今日の俺の仕事は覆面調査員……って言って分かるかな? 店に内緒で、店の実態と評判を調べに来たんだ」


 何それ。私の心の声に、フィリオが返事をしてくれた。


「神殿にある銀神人様に願いを伝える祈願箱。あの中にここの店主の願い事が入っていたんだ」


 祈願箱と言われて、私は納得した。

 お金が欲しい、騎士になりたい、病気を治したい、結婚したい。

 神殿の祈願箱に願い事を書いた手紙を入れると、銀神人が気まぐれに叶えてくれる。

 そういう言い伝えがあるのだ。


 実際叶った人もたくさんいると聞き、子どもの頃は大真面目に願い事を書いたものだ。成長するにつれて、信心がなくなったのか祈願箱に投書することすらなくなった。

 やっぱりと言うか、あれの中身は神殿に検められているらしい。

 今まで恥ずかしい願い事をしなかっただろうか、と思い出そうとしてやめた。多分、黒歴史を掘り起こすことになる。


「ここの店主は、十年前はレストランを経営していたらしいんだが、あまり繁盛しなくて潰してしまったらしい。諸々の返済を終え、今度はカフェで再挑戦。もう後がない、失敗はできない、すがる思いで投書したんだろう。『銀神人様、私の店に悪いところがあったら教えてください!』と」

「それでフィリオが調べにきたのね」


 適任と言えば、適任だけど……。

 フィリオなら精神感応で客の嘘偽りない反応が分かるのだ。

 私と話している今も、彼はメモを取り続けている。壁を隔てた客たちの心を読んでいるのだろう。

 よく同時に別々のことができるなぁ、と私は感心した。


「慣れだよ。俺の力は受動的だ。自分の意志で力を抑えないと、ずっと近くにいる人間の心の声が聞こえ続けるし、気をつけないと俺の心の声が伝わってしまうこともある。気を抜けない。だから、力の制御と使い分けについては、死ぬ気で訓練した」


 超能力の種類は大雑把に分類することはできても、その力の特徴は人それぞれ違う。

 フィリオは常に精神感応が働いている状態らしい。想像することしかできないが、相当辛そうに思える。


「大丈夫。訓練の甲斐あって、今では全然平気だ。普段はそのとき考えている表層部分の思考しか読まないように、調整できるようになった。送受信の使い分けも完璧だし、人の心の声を聞き続けても何とも思わなくなった」


 フィリオは爽やかに微笑んだ。

 それは大丈夫なのだろうか。ヒトとして何か大切なモノを失っているような気がする。


 ……でも、笑っていられるのはやっぱりすごい。

 私だって念動力の訓練はしている。

 子どもの頃はいろいろと試していたものの、最近では感情の乱れがあっても念動力を発動しないようにする、それだけを重点的に練習している。

 フィリオのように器用に使いこなそうなんて、夢のまた夢のように思えた。


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