5 妹よ
授業が終わり、私は妹のカメリアと公爵家の馬車を待っていた。
学術院は貴族街と平民街を隔てる共通区域にある。貴族の令嬢が歩いて帰るには距離があるので、大体みんな送迎の馬車で通学する。
馬車乗り場が混雑するから面倒なのだけど、まさか念動力で飛んで帰るわけにもいかないし……。
この時間になると、平民の生徒たちがたまに空を飛んでいるのを見かける。第三級の念動力者が一人いれば、帰宅がだいぶ楽だろう。
そういう部分は平民が羨ましい。
貴族は自分の超能力を秘匿したがったり、出し惜しんだりする。銀神人にいただいた力だからと、私的なことに利用せず、基本的に国家のためだけに使う。
少し、勿体ないと思うようになった。これはクルトの手紙の影響かもしれない。
私の力だったら、今ここにいる馬車の全てを飛ばして渋滞を緩和できる。みんなは喜んでくれるだろうか。
もちろん想像するだけでやらない。失敗したら怖いから。
「そういえば、姉様。わたし、フィリオ様という方にお会いしたいわ」
「え!」
不意打ちでカメリアの口から彼の名前が出た。私は驚きのあまり高く飛び上がって、取り繕うようにふわりと着地した。人の目が痛い。妹はにこにこしている。
「ど、どうして、その名前を」
「だって、植木鉢の事件のことで姉様のことを助けてくださった方でしょう? 今日ようやく、お友達からそのお名前を聞き出せたの」
あれから三週間近く経っている。どうして今になって、と思うけど、多分ヴァイス王子が口止めをしていたんだろう。その王子の権力も地に堕ち続け、ついにみんなの口が緩んだようだ。
「その、ヴァイス王子のことは……まだ?」
「誰でしょう。知らない方だわ」
花が綻ぶような笑顔に頬が引きつった。
見舞いに切り花を持ってきた挙句、私に濡れ衣を着せようとしたと知って、カメリアは王子を完全に嫌ってしまった。
石ころ扱いだったのが、今では害虫扱い。「ご機嫌よう」と「さようなら」しか口を利かなくなったらしい。
同情はできないけれど、妹の態度にはひやひやしていた。仮にも相手は王子なのだ。公爵家の人間として、礼を失してはならない。カメリアだって分かっているはずなのに。
「わ、私のことはもういいから、許してあげて」
「姉様に直接謝罪に出向いてもいないのに? ……それよりも、フィリオ様です。お会いすることはできませんか?」
「…………」
あれ以来、結局彼とは一度も会えていなかった。
返答を待っていてもらっている以上、私から会いに行くべきなのだ。だけど、父には言えないし、超能力研究施設で姿を探しても見つからない。会う方法があるなら私が聞きたかった。
悩んで迷って上手くいかなくて、だんだん腹が立ってきていた。
面白くない。声だけかけておいて放置だなんて。「あなたしかいない」なんて言葉は嘘偽りで、本当はいろいろな女性に同じように声をかけているんじゃ……。
「心外だな。俺にはミュゼットだけだよ」
耳元で聞こえた声に、今度は飛び上がったりはしなかった。地面を強く踏みしめて、石畳にひびが入っただけだ。
「ああ、驚かせてしまったか。すまない。あなたがひどいことを考えるから」
「フィリオさん。また勝手に心を読んで……! ど、どうしてここに」
「ミュゼットに会いたくて。久しぶり」
王子様然としたフィリオの甘い微笑みに、私はドキドキしながらも首を傾げる。なんだか最後に会話したときと雰囲気が違う。まるで猫を被っているような……。
「まぁ、あなたがフィリオ様ですか」
カメリアが淑女の礼をした。我が妹ながら完璧な公爵令嬢ぶりだ。
「わたくし、カメリア・ファラデールと申します。先日はわたくしの至らなさで問題を起こし、申し訳ありませんでした。姉を助けていただいたこと、とても感謝しております。あなたがあの場にいなかったらと思うとぞっといたします。御礼を申し上げたいと思っていましたので、ここでお会いできて良かったですわ」
一方フィリオも、完全無欠の王子様として応対した。
「いえ、大げさですよ。あなたの怪我はもうよろしいのですか?」
「はい。かすり傷だけでしたし、それももうすっかり治っております」
「それは良かった。……お友達とはその後いかがですか?」
「直接謝っていただきましたし、わたくしも悪いところがありましたから。そのことについても、わたくしはあなたに感謝しなくてはなりません」
そうか。
なんとなく触れられずにいたけれど、友達と仲直りできたみたいで良かった。
「俺は彼女たちに少々言い過ぎてしまった。感謝されるのは申し訳ないですね。ところで、こんなところで立ち話をすると目立ちます。ミュゼットもカメリアさんも、これから時間はありますか?」
場所を変えよう、という提案だった。
今日はこのまま自宅に帰るだけだ。課題もない。時間は有り余っていた。
私だってフィリオとは話したいことがある。だけど、いきなりすぎて心の準備ができていない!
降ってわいた誘いに、私は答えを探して妹の顔を見た。
「申し訳ありません。わたくし、今日はミニチュアローズと約束をしていますの。アブラムシから守らなくては」
カメリア、嘘じゃないのは分かっているけど、お願いだからもう少しマシな理由で断ってあげて。
でも、カメリアがフィリオに会いたがっていたのは、本当に一言お礼を言いたかっただけなのね。てっきり彼に興味を持ったのかと思って、少し焦ってしまった。
だってカメリアが相手じゃ敵わなかったし……。
私が肩の力を抜くと同時に、フィリオが小さく噴き出した。
ああ、また心を読まれた!
「また機会があればぜひ。今日のところは、姉と二人で行ってきてくださいませ。家の者にはわたくしから上手く伝えておきますので」
「え」
私が身悶えしているうちに、フィリオとカメリアの間で話がついていた。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。ミュゼット、甘いものでも食べに行こう」
「姉様、あまり遅くならないうちに帰ってきてね。石畳の修繕はわたしが手配しておくから」
うう、行くけど……もう少し私の言葉を待ってくれてもいいんじゃない?
まだ何も言っていない。
少し歩いてから、フィリオが馬車乗り場を振り返った。
「ミュゼットの妹はすごいな」
私は頷くだけに留めた。
可愛くて賢くて品がある。カメリアが非の打ち所がない公爵令嬢だということくらい、よく分かっている。身内自慢をすればするほど、自分が惨めになることも。
フィリオも、カメリアのことを気に入ったのだろうか。
「卑屈だなぁ。俺が言ったのはそういう意味じゃない。精神感応持ちは外見や所作だけで人間を評価できないんだ」
「ど、どういうこと? というか、また私の心を読んだわね」
「それは……ごめん。でも諦めてくれ。それを含めて俺と付き合っていけるか考えてほしい」
私はおずおずと頷いた。
ここ数週間で散々自分に言い聞かせてきた。心を読むのも読まれるのも、精神的な苦痛はさほど変わらない。
お互い様なのだから、気にする必要はない。
フィリオくらい開き直って堂々としていたらいい。
「そうそう。精神修行だと思ってくれ。ミュゼットの念動力の制御にも役立つかもしれないし。それで、カメリアさんのことだけど、彼女の精神構造は本当にすごかった。よく見ていてあげた方がいい。なんというか、人間的感情が希薄で……久しぶりに怖くなった」
「…………」
「俺のことは今のところ益虫扱いだったけど、ミュゼットに何かあったらどうなるか分からない。気をつけないとな……」
妹の心の闇を垣間見てしまった。
今度の休日は花のお世話を手伝おう。そうしよう。