4 元婚約者からの手紙
ミュゼット・ファラデール様
手紙をありがとう。
こんな権利はないと分かっていても、気まずいまま別れてしまったからどうしているか心配していた。だから嬉しかったよ。
フィリオから僕の怪我のことを聞いてしまったんだよね。謝るのは僕の方だ。きみは悪くない。
きみの念動力が不安定なことを知っていながら、町に連れ出して、慣れない人ごみを歩かせた。緊張していると分かっていたのに、ついその手を引いてしまった。
念動力を暴走させるのも無理はない。超能力の研究者として、恥ずかしい限りだ。
あのときの僕は浮かれていたんだ。あの怪我は自業自得だよ。
だけど、僕が一番反省すべきなのは、怪我のことを黙っていたことだと思う。きみを傷つけたくなかったし、きみの念動力が暴走したという事実も残したくなかった。
何より、情けないだろう? なかったことにしてしまいたかったんだ。僕が我慢さえすれば済むと思い込んでいた。
婚約者として、きみの担当研究員として、あるまじきことだった。
結婚して夫婦になるなら、嘘や隠し事はいけない。そう理解していても、時間が経てば経つほど言えなくなった。結局僕は念動力に恐怖を覚えるようになって、きみのことまで恐れるようになってしまった。
こんな心の弱い僕ではきみの夫は務まらない。そう考えて、ますます気分が落ち込んでしまった。
確かに念動力は、恐ろしい力なのかもしれない。きみほどの力ともなれば、誰かを傷つけることも容易い。
だけど、きみが誰かを故意に傷つけたことはない。むしろ自分が傷ついてばかりの優しい人だ。
あれは、不幸な事故だったんだ。
僕の方がよほど罪深いじゃないか。
中途半端な覚悟で事実を隠蔽して、結局きみの心を傷つけてしまった。本当に申し訳なく思っている。
ここまで僕の懺悔を読んでくれてありがとう。
きみは優しいから、僕の怪我のことを聞いて、随分と自分を責めただろう。
僕はもちろん怒ってなんかいないけど、きみの気持ちが楽になると信じて、あえて伝えさせてほしい。
僕はきみを許す。だからきみも自分を許してあげてほしい。自分の力を呪わないで。その力は素晴らしい可能性を秘めている。きみがその力を持っていることには、必ず何か意味があるよ。
時間が経って冷静になった今なら、素直にそう思える。
……偉そうなことを書いてごめんね。虫がいいと怒られても仕方がない。
だけど、そう信じないと前に進めない。きみも、僕も。
さて、きみからの手紙にはフィリオの名前はほとんど出てこなかったね。
気を遣う必要はないよ。僕もフィリオからいろいろと話を聞いているし、一応僕が二人を引き合わせたようなものだからね。
それにしても、我が友ながら恐ろしい。出会ってすぐに求婚するなんて、気が早いというか、思い切りがいいというか。僕にはない決断力だ。
もしも二人が結ばれるのなら心から祝福するよ。とても嬉しい。
分かっているとは思うけれど、僕と彼が友人だということはあまり人に話してはいけないよ。きみたちの今後に影響があるかもしれないからね。
フィリオはきみと同じ第一級の超能力者。しかも精神感応という敬遠されがちな能力を持っていて、王位継承にも無関係じゃない。
一見して明るくてさっぱりとした性格をしているけど、彼なりの苦悩をたくさん抱えている。
……こんな書き方をすると不安がらせてしまうかもしれないね。ごめん。
でも、ミュゼには知っておいてほしい。彼は難しい立場にいるんだ。それでも笑っていられるくらい、強くて真っ直ぐな人だよ。
願わくは、彼がきみの力になってくれるように、きみも彼の力になってあげてほしい。二人なら支え合っていけるんじゃないかな。
ところで、聞いた話によると、「お似合いでお互い様だから」なんて理由で求婚したみたいだね。でも僕はそれだけじゃないと睨んでいる。
実はあの日フィリオが学術院にいたのは、僕がきみのその後を気にしているのを知って、心配して代わりに様子を見に行ってくれたからなんだ。
決して初めから求婚に行ったわけじゃないはずだよ。
ミュゼを一目見て、その心を感じて、好ましいと思ったんだろう。一目惚れなんじゃないかな。
だって、きみについて語る彼の顔は本当に楽しそうだったし、僕のことを散々詰ってくれたからね。最終的には煽られたよ。「絶対ミュゼットは返さない。泣いて後悔しろ」って。
全くイイ性格しているよ。
僕のことも勝手に喋られたし、これくらいの告げ口は許されるだろう。
とにかくフィリオと付き合っていくと苦労するだろうし、何かと毒を吐く男だ。素直じゃないところもある。
でも心を許した人間に対してはめちゃくちゃ甘い。きみのことをとても大切にしてくれると思う。
相手がフィリオなら心配はない。自慢の友人なんだ。
きみを傷つけるようなことを書いてしまっていたら、ごめんね。そうでなくても、この手紙は捨ててくれ。
僕もきみにもらったものは全て処分するよ。ファラデール公爵閣下にも、返せるものは全て返す。恩だけは一生かかっても返しきれそうにないけれど。
実は、南部の研究施設に異動することになったんだ。しばらく王都に戻るつもりはないし、きみと顔を合わせることもないだろう。
ああ、左遷ではないよ。向こうには尊敬する先生がいて、ずっと一緒に働きたいと思っていたんだ。そんな僕の希望を公爵閣下が叶えてくださった。本当に感謝してもし足りない。
僕はどうにかやっていけそうだよ。心配は要らない。きみが僕の幸せを祈ってくれたように、僕もきみの幸せを心から願っている。
前を向いて歩いて行ってくれ。どうか元気で。
クルト・ウィラー
◆
クルトからの返事を読み終わってから、しばらく涙が止まらなかった。
言葉一つ一つを刻み込むようにもう一度読んでから、私はそっと手紙を破った。
私の初恋は終わってしまった。
悲しくて心が痛い。だけど、安心もしていた。
私たちは許し合うことができた。
お互いに想いをずるずると引きずることはない。これから感傷に浸ることはあっても、もう苦しむ必要はないのだ。
手紙を破り捨てて一晩眠ったら、完全に吹っ切れていた。
なんだか頭がすっきりしているし、久しぶりに世界が色づいて見える。今日は朝食をしっかり食べられそう。
だけど、困ったわ。
思い浮かぶのは一人の異性の顔。
クルトはすっかり私とフィリオが結ばれると思っているみたいだけど、そう簡単にはいかない。
『――ゆっくり考えてくれ』
フィリオはそう言った。
私はその言葉を真面目に受け取って、悩んでいた。
考えるって、どうすればいいの?
フィリオと結婚した場合の未来を妄想すればいいの?
……そんなの恥ずかしすぎる。というか、私は彼のことをほとんど何も知らないのだ。妄想の材料すらない。
お互いのことを知るためにも会うべきだ。とにかく距離を縮めないと。
とりあえず、クルトへの謝罪と気持ちの整理が済んだことは報告した方がいいと思う。
だけど、私は彼にどうやって連絡を取ればいいのか分からなかった。
お父様に聞けばすんなり会えるのかもしれないけど、彼の名前を出すのはまずい。実はまだ、フィリオに求婚されたことを家族の誰にも話していなかった。
求婚について話したら最後、結婚が決まってしまう気がしていた。
私も少し調べた。
フィリオの姓、アストラリス家は間違いなく王家の傍系で、現在は王家の静養地を管理しているそうだ。そしてアストラリス家に生まれた者は、第一級の超能力者に限り王位継承の資格を持つ。そういう決まりがあった。ヴァイス王子とのやり取りを見ても、フィリオがその家の者であることは確実だろう。
家格は公爵家より上。本来なら、求婚を断るなんてあり得ない。
お父様は私の処分先に困っていたので反対しないだろうし、お母様は昔から美形の王子様に憧れがあったから大賛成するに決まっている。
順序は大切だ。なし崩しに結婚が決まってしまったら後悔する。
家族に話すのは、絶対私がフィリオに返事をしてからの方がいい。
でも、その肝心の返事がまだ定まっていない。
他に選択肢はなさそうだし、嫌ではないし、むしろ有難かった。
だけど一生の問題だ。即決できるような判断力はなかった。情けないことに「どうしよう、どうしよう」と私は足踏みをしていた。