13 フィリオの同僚
「……ああ、もう、タイミングが悪いな。日頃の行いのせいか?」
フィーが頭を抱えてため息を吐く。申し訳ないけれど、私としては少々ほっとした。
森の茂みが揺れて、二つの人影が現れる。
「うわぁ、本当に遭難してますよ、この人たち。信じられないです。いつも偉そうに指図しているくせに、恥ずかしいですねぇ。笑っちゃいますよ、ぷぷ」
一人は小柄でまだ幼い少年だった。十二歳くらいだろうか。
見るからに……いえ、言動からもう生意気だと分かる。色素の薄い白髪に赤い瞳をしていて、アルビノのウサギのような可愛らしい顔をしているのに、いろいろと台無しだ。
フィーは爽やかな笑顔で出迎える。
「シグ、助けに来てくれてありがとうな。非番なのに悪かった」
「いえいえ、フィリオさん。お金のためならボクはどこにだって現れますよ!」
「もちろん報酬の金は払う。でも忘れるなよ? お前の仕事の査定をしているのは誰か。肝心の毎月の給料が減って泣くのはお前だぞ」
「な!? 横暴です! クズ王子!」
「そういうところを改めろって言っているんだ」
「良いじゃないですか。どうせ口に出さなくてもフィリオさんには伝わっちゃうんだし」
「たとえ考えが分かっても、暴言を口にするかしないかで印象は大きく変わるんだよ。精神感応持ちへの礼儀だと思え」
彼が念話に出てきたシグらしい。お金のことで半泣きになっている彼が、国王陛下直属の私兵隊の一員というのはにわかに信じがたい。
「お前たち、うるさいぞ。森の獣を刺激するな」
「ああ、悪いな、セレン。世話をかける」
「全くだ。お前の方こそ減俸を覚悟しろよ」
もう一人の人物が、セレン。
年齢は二十歳くらいだろうか。フィーよりも背が高く、男性らしいがっしりとした体格をしていた。
軍服に似た灰色の制服をきっちり着こみ、この季節に似つかわしくない襟巻と革の手袋をしている。多分、接触感応の関係だろう。あと腰に剣を差していた。
短い黒髪に、切れ長の黒い目は冷たく神経質そうな印象。全体的にとても重苦しい雰囲気の男性だった。
確かにちょっと怖い。
でも、フィーの話を聞く限り良い人だ。外見の印象で偏見を持たれがちなのは私も同じ。失礼な態度を取らないように気を引き締めた。
「ミュゼ、紹介するよ。大きい方がセレン。第二級の接触感応持ち。で、小さいのがシグ。第二級の瞬間移動持ちだ。二人とも俺の同僚で生まれは平民だけど、この通り俺にもこういう態度だ。陛下の意向もあって、基本的に無礼講の部隊なんだよな」
二人の視線が私に集まる。
「で、セレンにシグ。こちらはミュゼット・ファラデールさん。公爵家のご令嬢で、近々俺と婚約するかもしれない相手。あと、第一級の念動力持ちだ。彼女には、あまり失礼のないように頼む」
セレンは静かに呆れ、シグは大げさなまでに驚きを見せた。
「…………」
「ええ!? 公爵家のお嬢様! しかもフィリオさんと婚約!? それで第一級って……!」
この二人は対照的過ぎる。こんなに反応に差があると、どう対応すればいいのか分からないじゃない。
私はなけなしの社交力を引っ張り出して、神妙に礼をした。
「あ、あの、私、ミュゼット・ファラデールと申します。この度は、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうかお力をお貸しください」
「お任せください、ミュゼットさん! 天才児のボクにかかれば、王都までたった三回の瞬間移動でお連れできますから! あっという間ですよ!」
シグはご機嫌な様子で胸を張った。
誇張でも何でもなく、この若さでそこまで瞬間移動を使えるのは天才と言っていいと思う。数ある超能力の中で、最も優れた能力と言われているのが瞬間移動だ。普通の人間では不可能な高度な演算を脳が処理している、とか。
「馬鹿が。行きは二人でも、帰りは四人だ。質量が増えて、移動の回数は倍に増える」
「あ、そっか。遠距離を六回……面倒くさいですね。じゃあ一回休憩しなきゃ無理です。ま、仕方ないですよね」
私は少し不安を覚えた。
「それで、どうする? 草原の上空で感じたという正体不明の力の調査は。合流を急いだため、道中は接触感応をしていない。目視した限りでは特に異変はなかったが」
「そうか。気になるけど、一度王都に戻ってもらっていいか。正式な調査は後日行おう」
フィーがちらりとこちらに目線をやった。
私を早く帰そうとしてくれているのだろう。気を遣わせてしまった。
「いいや、当然だろう。ミュゼは一般人。しかも俺にとっても公爵家にとっても大事なお嬢様だからな。日が暮れる前に、あなたを無事に屋敷に送り届けるのが最優先事項だ」
「……ごめんなさい。ありがとう」
「気にしなくっていいって」
「はぁ、いちゃつかないでもらえます? やる気が削がれるんで」
話している間に、フィーはセレンから装備を受け取っていた。私もシグから水筒をもらった。一口だけ喉に流し込む。
ふと気づくと、セレンの無機質な視線が私に向いていた。
「あの、何か……?」
「ミュゼット様、でしたか」
「えっと、敬語でなくて構いませんが」
身分の差ははっきりしているが、セレンの方が年上だし、救助される立場で敬われても肩身が狭い。
しかしセレンは私の言葉には特に反応もなく、そっけなく言った。
「何があっても、オレの肌には絶対に触れないでいただきたい。できれば衣服や剣にも触れてほしくない」
「……はい、分かりました。気をつけます」
接触感応も大変そうだ。
準備が整うと、シグの体に触れるように言われた。私は控えめに細い腕に手を置いた。
「じゃあ、行きますよ! 瞬間移動!」
目の前の景色が一瞬で変わり、脳が少し混乱する。
何度か旅行のときに瞬間移動を味わったことはあるけれど、やはり慣れない。お腹の底が冷えるような感覚がする。
「はい、二回目! ……三回目っ!」
連続での移動で、少しよろけたところをフィーに支えてもらった。
「はい! 休憩を希望します! 疲れました!」
「お疲れ様。だいぶ距離を稼いだな。もう森の外だ」
フィーの言う通り、私たちはちょうど森の入り口、草原の前に降り立っていた。私の腰まで覆うような長い草が生えていて、風で波立っている。
「十五分でいいか? だいぶ雲行きが怪しい」
「フィリオさんはいつも人使いが荒いです。最年少隊員をもっと労わってくださいよ! ……でも、本当に一雨きそうですね。今回だけですよ!」
シグはその場で横たわって、猫のように体を丸める。
すぐに「すぅ……」と健やかな寝息が聞こえてきた。遊び疲れて糸が切れたように眠る幼児を思い出し、大変微笑ましい。黙っていれば、やっぱり可愛い子だ。
空を見れば、雲の色が濃くなっていた。
雨が降り出したら、瞬間移動の難度は上がる。急いだ方がいいのは確かだろう。
この草原に何もいないのなら、私が念動力を使って運べるんだけど……。
背の高い草のせいで、何が潜んでいるのか分からない。
「あ……」
目を凝らせば、霞むほど遠くに王都の姿を目にできた。そこから緩やかに伸びる街道も。
嫌なことを思い出してしまった。
「そういえば、旧街道に懸賞金がかかるほど凶暴な獣が出るという噂を聞いたけど……ここのことかしら?」
二人の方が詳しいと思って話を振ったのだが、フィリオとセレンは顔を見合わせた。
「言われてみれば、そんな話を聞いたことがあるような。いや、誰かの心の声だったかも……」
「オレはない……と思う。おそらく」
二人とも、普通に暮らしているだけで膨大な情報が入ってくるせいか、自分に関係のない事柄に関してはわざと感度を鈍くしているようだ。
なんとなく気まずい空気が流れる。
「ん、さっそく動物の思念だ。しかも複数」
「やはり草原に何かいるのか?」
「いや、これは森の方からだな。しかもこちらに近づいてくる」
私たちは揃って森の奥を振り返った。
「オレが視る」
セレンがやや憂鬱そうに手袋を外し、地面に手をついた。
「狼の群れ。数は十二。距離は五百。扇状に展開して接近中。狙いはオレたちで間違いない」
「へぇ、この森には狼がいたのか。良かった。墜落したところで襲われなくて」
「良くない。女に良いところを見せようとして外すなよ」
「はは、逆だな。射撃精度が上がることはあっても、下手になることはない」
フィーは装備の中から銃を取り出した。
これも実物を見るのは初めてだ。鉛の塊を発射する西方産の武器。とても殺傷能力が高い危険なものだ。
セレンは腰の剣を抜いて構える。
二人とも、狼と戦うつもりなのだ。精神系の超能力者なのに……。
「わ、私も――」
「ミュゼはシグの側で待機していてくれ。下手に動くと危ないからな」
「……大丈夫なの?」
「任せてくれ。発砲音がうるさいから、耳を塞いでいてもいい。ただ、もし危なくなったら、防御壁を頼むかもしれない。精神感応で話しかけるから、心の準備だけはしておいてくれ」
「分かった。気をつけてね」
何もできないのは申し訳ないけど、私には戦闘経験なんてない。上手く立ち回るどころか邪魔をするに違いなかった。
こんな状況でもすやすや眠り続けているシグの側で蹲り、私は必死に呼吸を整えた。
冷静に、慎重に、自分にできることを頑張るのよ。
そのとき、茂みがかさりとかすかに音を立てた。
「来るぞ。三、二、一……!」
左右からほぼ同時に狼が飛び掛かってきた。フィーがあっさりと一匹の眉間を撃ち抜く。もう一匹はセレンが身をよじって避け、流れるような動作で首を斬りつけた。
初めて見る大量の血飛沫に、震えがせり上がってくる。
仲間が殺されても狼は怯まず、次々と襲ってきた。
立て続けに発砲音が鳴る。衝撃に心臓が破れそうだ。
フィーは、目をつぶってもいいとは言わなかった。だから私は馬鹿正直に狼の死骸が増えるのを眺めていた。
二人とも強い。狼がどこから攻撃しているか手に取るように分かるらしい。フィーは確実に先手を取っていたし、セレンは必要最低限の動きで狼を撃退していた。
呼吸もぴったりだ。見なくてもお互いの状況が分かるのか、さりげなくフォローしている。
「しつこいな!」
フィーが横から飛び掛かってきた一匹の脇腹を撃った後、思念波を放った。なぜそれが分かったのかと言えば、私にも見えてしまったからだ。
巨大な熊や虎、あるいは同じ狼の群れが襲い掛かってくる映像の嵐。思わず悲鳴が漏れるくらいリアルな恐怖映像である。
「ひっ!」
狼たちの足が止まった。思念波をしっかり受け取ったらしい。動きが鈍り、群れのボスと思しき個体の一鳴きを合図に、森の奥に引き返していく。その数は半分に減っていた。
「ごめん、ミュゼ。大丈夫か? 怖い思いをさせてしまった」
危機は脱したようだ。
私はできるだけ狼の死骸を見ないようにして、フィーに頷きを返した。
「ふわぁあ……わっ! なんですか、この地獄絵図! 硝煙臭いし、血も汚いです! こちらに来ないでください!」
今頃起きてきたシグが鼻をつまみ、二人を追い払うように手を振った。フィーとセレンの顔が少し怖かった。
「はい、休憩終わり。さっさと移動するぞ。血の匂いで別の群れが来るかも――」
「あ」
私たちは一斉に空を仰いだ。
雨が、ぽつりぽつりと降り始めていた。