10 空中デート
制限時間は十日。
それまでにフィーとの結婚への覚悟を決めなければなりません。
なんということでしょう。急展開です。身から出た錆とも言いますが。
若干錯乱しつつも、私は毎夜考えた。
フィーには不満はない。むしろ会う度に好感度が上がっているくらいだ。彼には何も悪いところがない。
問題は私。
私の心の中にはまだモヤモヤがあって、今はまだ素直に「結婚します」とは言えそうになかった。
そのモヤモヤは何か。
……私の超能力だ。
私は婚約者のあばらを折った前科がある。今度同じことが起きたらどうしよう。本気で死にたくなるかもしれない。
フィーは暴走しないように手伝ってくれるし、失敗したら連帯責任でいいと言うけれど……。
彼は、私の全力を知らないからそんなことを言えるのではないか。
クルトは私の担当研究員で、私の全力を目の当たりにしたことがある。だから負傷したときに、いつか全力のエネルギーを自分が受けるかもしれないと想像し、トラウマになってしまったのだろう。
「だから、私の全力を見てもらって、それでもフィーの気持ちが変わらないか、確かめたいの!」
例のごとく昼休みに学術院に現れたフィーを捕まえ、私は諸々の事情を伝えた。
「へぇ……それは確かに急展開。あと七日か」
この時点で、お父様へ挨拶に行く日まで七日を切っていたのだ。私の方から彼に連絡する手段を決めておくべきだった。
「ごめんなさい。勝手にこんなことになって……」
「いや、構わない。さすがに少しは緊張するけど、挨拶自体は覚悟していた。ミュゼにそこまで前向きになってもらえて嬉しいくらいだ。ばっちり決めるよ」
フィーに怖いものはないのだろうか。精神が強すぎる。
「でも、挨拶の前にミュゼの全力を見せてもらわないといけないんだな。それはそれで楽しみだけど」
私の提案に対しても、彼は非常に前向きだった。
「あ、ありがとう。でも、さすがに王都で全力を出すのは難しくて、少し遠出をしたいんだけど……」
「そうだな。ああ、じゃあ俺に良い考えがある。試してみたいことがあったんだ。明後日なら学術院も休みだよな? 一人で出てこられそうか?」
「ええ、大丈夫だと思う」
私に良い人がいるらしい、という情報は瞬く間に屋敷の使用人たちに知れ渡り、今では生温かい目で見守られている。きっと察してくれるだろう。恥ずかしいけど、これが私と使用人たちの距離なのだから仕方がない。
「じゃあ一緒に出かけよう。いろいろ用意しておく」
気楽な様子のフィーに、私もまた気が楽になった。
全力の私を見ても、彼ならすんなり受け入れてくれるのではないか。
そう思えた。
当日の朝。
一人で集中して図書館で勉強したい、と家の者に伝えて出かけた。言い訳の関係上、あまりにもアクティブな服装はできなかったけど、動きやすいワンピースを選んだ。万が一スカート部分がめくれたときのために、厚手のタイツを履いている。乙女としては万が一なんてあってはならないんだけどね。
こそこそと待ち合わせ場所に向かい、私は首を傾げた。
国立公園の林に、ポツンと馬車が停まっていた。だけど馬がいない。
フィーが手招きをして、馬車に乗るように促した。
「一度念動力で空を飛んでみたかったんだ。ミュゼなら、浮かせられるんだろ?」
フィーはとんでもない提案をしてきた。なんて命知らずなのだろう。
いつだったか馬車を飛ばす妄想をしたことがあったけど、あのときも心を覗かれていたなんて……。
「大丈夫。車軸が歪んで廃棄する馬車だから、最悪壊してもいいし」
「でも危ないんじゃ」
「陛下には許可を取ってある。それに、ミュゼも一緒に乗ればいい。念動力って、自分が触れているものの方が動かすのが簡単なんだよな」
「そうだけど……」
「空中デートなんて、面白いじゃないか」
「…………」
正直驚いたけど、できるかどうかで言えば、できる。
私は小さなものよりも大きなものを動かす方が気楽だし、触れている状態なら意のままに動かせるはずだ。
ここから王都の外壁まで目と鼻の先。都の外に出てしまえば、万が一馬車が落ちても被害はないだろうし、自分とフィーくらいなら浮かせられる。
「分かった。やってみる」
「そうこなくちゃな」
横に二人並んで座るタイプの馬車だ。日よけの屋根はあるけれど、前方に壁はなくて開いている。
乗り込むと案外狭く、フィーの体と触れ合いそうになった。
どぎまぎしていると、彼が意地悪な笑みを浮かべた。
「ああ、失礼。この距離だと別の意味で緊張するか?」
「だ、大丈夫よ。命を預かるんだから、そういう感情は捨てるわ」
「……あんまり思いつめるなよ」
一つ頷き、私は意識を集中した。
ふわり、と馬車が浮き上がる。大丈夫だ。簡単に動かせる。
あまり人目に付かない方がいいだろう、と思い切って高度を上げる。
目の前によく晴れた春の空が広がった。風が肌を撫でていくけれど、私の念動力で覆われた馬車はびくともしない。
「すごいな……」
フィーが目を輝かせている。
「じゃあ、動かすけど、どこに行く?」
「あの森の中の湖にしよう。そこでミュゼに全力を見せてほしい」
指示された場所は少々遠くにあったけど、輝く湖面がここからでも見える。迷う心配もないし、人目もなさそうだし、ちょうど良い。
「最初はゆっくり進むわね」
「ああ」
私の想像通りのスピードで馬車が空を進む。問題ない。余裕すら感じる。
王都の外に出てから少しだけスピードを上げると、フィーが歓声を上げた。
「あ、あんまり外に身を乗り出さないでね」
「分かった。うわ、結構高い。怖いな、楽しいな」
見たことないくらいフィーはうきうきしていた。いつも大人っぽい印象なのに、今日は子どもみたいだった。
喜んでもらえて、私は嬉しくてたまらなかった。
それに、こんなに思い切り念動力を使ったのは久しぶりだ。爽快感がある。
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
フィーと目が合う。彼は少し困ったように微笑んでいた。
「あー、これからちょっと褒めるけど、動揺しないでくれ」
「え?」
「ミュゼの笑顔を初めて見たけど、最高に可愛い。俺の前でだけ、ずっとそんな風に笑っていてほしい」
前置きの意味はなかった。
がくんと馬車が揺れて、高度が下がった。慌てて意識を集中する。
「い、今はダメでしょう。死にたいのっ?」
「はは、ミュゼを口説くのはスリル満点だな」
いつものようにからかわれながら、馬車は草原の上を進んだ。
こんな遠くまで飛んで来ても、全然疲れは感じていなかった。今更ながら自分が第一級の超能力者なのだと実感した。
もう少しで森の上空に差し掛かる。湖にだいぶ近づいてきた。
「あら?」
馬車が急に重たくなった、ように感じた。何かに引っ張られているような奇妙な感覚がある。
まだまだ余裕はあるのに、おかしい。
抗おうと力を込めると、がたがたと馬車が揺れた。
フィーがこめかみを押さえた。
「ミュゼ。正体不明の思念波を感じる」
「え? 他に誰かいるの?」
空中を見渡してみても、鳥の姿すらない。
そうこう言っているうちに、馬車を引っ張る力はさらに強くなっていった。負けるものかと力を込めたら、みしりと嫌な音がした。
「ミュゼ!」
「ごめんなさい。馬車が……!」
私は咄嗟にフィーの腕に捕まった。
本能的に理解していた。ここに留まれば馬車ごと墜落する。
私は反射的にフィーとともに空中に飛び出した。離れた途端に馬車がぐしゃりと潰れる。
「きゃ!」
それでもなお地上から正体不明の強い力を感じ、私は咄嗟に念動力で防いだ。二つの力が反発し、突風が巻き起こる。
「うわ!」
「フィー!」
風に吹き飛ばされ、くるくると回転する。私たちはお互いを離さないことだけに集中していた。もう上も下も分からない。
かなりの距離を飛んでから、険しい岩場が目に入った。このままでは激突する。
揺れる脳を叱咤して、私は岩に思い切り念動力を振るった。
大きな音と力の波動に思わず目を閉じる。
「…………はぁ」
木っ端みじんに砕けた岩だったもの――砂の上に二人並んで転がった。
しばしの沈黙の末、フィーが大きく息を吐いた。
「すごい光景を見た気がする。ミュゼ、無事か?」
「目が回って……少し気持ち悪いわ」
「俺も。でも、体は動く。怪我もしてないみたいだ」
先にフィーが起き上がって、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「ミュゼも、見たところは平気そうだけど」
「ええ、大丈夫よ。私も怪我はしていないみたい」
差し出された手を借りて、私も体を起こす。
周りを見れば、深い森が広がっていた。さぁっと全身から血の気が引いていく。
どうやら私たちは、墜落して遭難したらしい。