3、ホムンクルスの少女
『世界は考えているよりもずっとずっと残酷で、理不尽なんだよ、コナー。』
目の前で黙々と書類と格闘する少女を見ながら、かつての親友に言われた言葉を思い出していた。
フィオナの葬儀の夜。酷い雨にうたれて濡れた体を震わせながら、苦々しく吐かれたその言葉は、嫌に耳にこびり付いている。
オズワルドは俺が知る中で一番優秀な錬金術師であり、魔道士であった。
魔法石の開発による利便化、擬似魔力機関の発明による都市の発展。国への貢献が称えられ、子爵となるほどの栄誉を受けた発明家は、俺の知る限りあいつだけだった。
元々常識がひっくり返るような発明をする男だったが、フィオナの死から、禁忌に触れるような研究をするようになった。
目指すものは『死者蘇生』。
その過程で生み出されたのがフィニアだ。
フィオナの遺伝子から生み出されたホムンクルス。
その心臓には『賢者の石』が使われ、膨大な魔力と知識が備えられた、命を持つ人形。
…残酷で、理不尽なのはどっちだ。そう言いたくなった。
『死者蘇生』を目指す中で生み出された発明は、それまでの代物とは比べものにならない程「すごい」発明だった。
自分と同じ遺伝子を持つ体の生成、仮死状態になれる薬、…万物の根底を覆す石。
俺が知らないだけで、もっと多くの発明があったのだろう。
どれも、多くの人間が喉から手が出るほど欲しい代物であり、叡智の集大成と言える発明だ。
…わかってはいる。けれど、どうして止められなかったのだろう、と、そんな後悔を抱かずにはいられない。
その研究にはどれだけの犠牲が伴ったのだ。
その発明は何れ誰かを傷つける代物ではないのか。
…お前が守りたかったものは、何だったのだ。
狂っていく友を、止めることが出来なかった後悔が重くのしかかる。
目の前にいる少女も、オズワルドの研究による被害者というべきなのだろう。
少し紫がかった美しい銀髪に、月と太陽を思わせるシルバーとアンバーの薄い色の瞳。
愛した者と瓜二つ、無表情で佇む少女を、狂った男は自分の妻だと紹介した。
生まれた時からその心臓に重すぎる業を埋め込まれ、自分とは違う誰かを重ねる男に求めらるままを返し、己の欲と感情を殺しながらか細い体で完璧に振る舞う。
哀れまずにはいられなかった。
その哀れみが、違う感情に変わったのは1年ほど前だ。
狂った友の代わりにイデアを運営している俺の部屋に、オズワルドを寝かしつけたフィニアが尋ねてきたことがあった。
その日は確か、オズワルドが研究室で暴れ出したのを俺が止めに入ったんだったか。
傷の手当に巻かれた包帯は緩み、傷一つない生白い肌が見えている。自らの異質な体を弱々しく抱え込んだ少女は、憂いを帯びた目で俺にこう告げた。
「どうか、この場所を、正しい道に導いてください。」
オズワルドの望むままを返す人形。そう思っていた少女は自分が考えているよりもずっと聡明な1人の人間だった。
あの時に聞いた、芯の通った声と悲しげで切実な瞳は忘れられない。
今思えば、あの時初めて、フィニア自身に出会えたのだろう。
フィニアは、オズワルドが間違った道へ進んでいることを知っていた。
そして、それを止められない俺に対して、怒るわけでも責めるわけでもなく、彼が作り上げたこの場所を、正しい道へ導いてくれと懇願した。
オズワルドへの敬意と失望、諦め。色々な感情が混ざりあった上でのその願いは、健気で、泣きたくなるくらい優しかった。
その日から、俺は誓った。
あの優しい少女を、残酷で、理不尽な世界から救い出し、守り抜こうと。
ずっと逃げてきたオズワルドへ向き合い、フィニアに付きまとう異質な秘密を世界から隠し通す。
そして何より、イデアを、世界のために在り続ける叡智を、導き続けること。
やる事は山ほどあった。けれど、逃げる気は起きなかった。
自分が正しく在り続ける信念を彼女から貰ったのだ。
「コナー、さん。私は、謝らなければいけないことが沢山あります。」
気づけばフィニアは全ての書類を片付けていた。
そして申し訳なさそうに目を伏せ、自分に対し頭を下げ、静かに話し始めた。
「私は今まで、皆さんを騙し続けていました。フィオナ・ウィルソンの記憶を持っていると嘘をつき、不敬な態度をとってきたと思います。どうか、今までの非礼をお許し下さい。」
今まで聞いていたフィオナとしての声とは違う、少し高い少女の声で、彼女は丁寧すぎるほどに謝罪の言葉を述べた。
「いや…気にするな、オズワルドのためだったんだろう?それに、お前にコナーさんなんて呼ばれると、こう、擽ったい。…敬語も使わないでくれ。これから俺はお前の保護者になるんだしな。」
「…ありがとう…コナー。」
頭を上げ、僅かにこちらに微笑む姿は年相応の少女だった。
本当に、この子は何処までも優しいのだと、そう思った。
「書類を書くのも疲れただろう、苦労をかけて済まないな。
」
「いえ、大丈夫。こちらこそごめんなさい、本当にありがとう。」
「いいんだ、俺がしたかっただけだしな。」
正直、オズワルドが事故で亡くなったと聞いた時は、チャンスだと思った。
フィニアを呪縛から解放し、1人の人間としてまともな人生を歩ませてやれる。
親友の死よりも、それが先に浮かんでしまう俺は、随分と冷たい男なのだろうか。
『かつての父のように、素晴らしい研究者に、なりたい。』
皮肉なことに、幼い少女が憧れるのは自分が生まれる前の父の姿らしい。
「お前はきっと、いい発明家になれるさ。」
「そうだと、いいんだけど…。」
フィニアの部屋で見つけた研究ノートは、自分が想像もつかないような発明品に溢れていた。
純粋で、豊かな発想に溢れた発明品達。
血はやはり争えない。
父親になれるような器が俺にあるのかは分からない。
俺が出来るのは精々、この子が歩んで行く道を整えてやる事くらいだ。
これから先、この子は様々な苦悩を経験するのだろう。
それでも、どうか真っ直ぐに、清らかに成長してくれることを願う。