建太の初かせぎ
この目で海を見てみたい。青くて、キラキラ光っていて、とてもきれいだ。
おれの町は、海からとても遠い。父ちゃんは、「近いうちに連れてってやる」と、いつも言ってくれる。でも宮大工の仕事が忙しくて、ほとんど家にいない。きっとその約束がかなうのは、かなり先のことだろう。
夏休みになって、体の弱い母ちゃんが入院することになった。準備をしていた母ちゃんが言った。
「明日から三日間は、じっちゃんのところだからね」
「えー、おれやだよ」
「しようがないだろう。建太を一人だけで残していけないんだから」
「だって、畑の手伝いをやらされるじゃん」
母ちゃんは、首を横にふった。
「こんなにお手伝いがきらいなのは、どうしてかねえ。じっちゃんは、建太と一緒に畑仕事をするのが楽しみなのよ」
何と言われようと、おれはお手伝いがきらいだ。だから、いい加減にやっては、母ちゃんに叱られる。本当は、体の弱い母ちゃんを助けてあげたいと思っているのに。なかなかうまくいかない。
でも、じっちゃんのところで、そんなことは言ってはいられない。宮大工の親方だったじっちゃんの声は、引退した今もすごく大きい。その声で怒られたら、震えあがってしまう。父ちゃんが言うには、ばっちゃんを亡くして、かなりおとなしくなったらしい。
次の日、じっちゃんが迎えにきた。
「今日からよろしくな」
じっちゃんの声は、やっぱりでかい。
そんなことを考えていたら、「あいさつはどうした!」と、どなられた。
あわてて大きな声で言う。
「よろしくお願いします!」
「それでよし」じっちゃんは笑った。
出発前に母ちゃんは、おれの頭をなでてくれた。大丈夫だと分かっていても、不安な気持ちになる。おれは、母ちゃんに何もしてあげられない。母ちゃんが見えなくなるまで、車の窓から手を振り続けた。
しばらくして、じっちゃんが言った。
「畑仕事がいそがしくてな。手伝ってもらえると、本当に助かるわい」
おれはうつむいて、「うん」と言った。
じっちゃんの町は、おれの町より海に近い。だから海に連れてってもらいたかったけど、あきらめた方がよさそうだ。
じっちゃんの町に入ってすぐ、道路わきの看板が目に入った。丘の上に、小さな遊園地があるのだ。
母ちゃんから、新しくできた観覧車のことを聞いている。とてもきれいな景色が見られるらしい。ここなら連れてきてもらえるだろうか。
じっちゃんの家に着いて、荷物の整理をしていると、じっちゃんに話しかけられた。
「建太は、畑仕事がきらいなのか」
おれはびっくりした。
「車で話していて、そう思ったんだけどな」
いつもと違って声が小さい。顔もさびしそうだ。こんなじっちゃんは見たことがない。おれは思いきって、わけを話すことにした。
「畑仕事じゃなくて、お手伝いがいやなんだ」
「そうか。きらいなのは畑仕事じゃないのか」
ちょっとだけ、明るい顔になった。
「お手伝いってのは、かせぐ練習なんだぞ」
かせぐ、という言葉を聞くのは初めてだ。
「かせぐって、どういうこと?」
「それはな、自分の仕事を、最後まできっちりやって、給料をもらうってことよ」
「ふーん、そういう意味なんだ」
じっちゃんは、腕を組んだ。
「簡単なことじゃねえぞ。いいかげんな仕事だと、どんなにやったって、かせぐことはできねえんだ。だから、練習が必要なんだ」
じっちゃんの声は、いつもの大きさに戻っている。
「そこで、だ。本当にかせいでみないか?」
「えっ?」
「明日、アスパラを収穫する。その仕事を発注したい」
「仕事を発注?」
また分からない言葉が出てきた。
「つまり、建太に正式な仕事を頼みたいってことよ。だから給料も出すぞ。千円でどうだ」
かせぐ、正式な仕事、給料というのがかっこいい。
「おれ、やってみたい」
「よし、決まりだ。そしてな、かせぐことには目的があった方が絶対にいいんだ。建太は、何のためにかせぎたい?」
おれは、すぐに答えた。
「観覧車に乗りたい」
「よし分かった」
次の朝、畑に着くと、じっちゃんはビニールハウスを指さした。
「ここの収穫を建太に発注したい。じっちゃんも、となりで収穫しているからな。では、よろしく」
「はい!」
自然と大きな声が出た。
それから、収穫するアスパラの長さや、鎌の使い方を、分かりやすく教えてもらった。おれでも、かんたんにできそうだ。
ところが一人でやり始めると、ぜんぜん上手くいかない。やればやるほどあせってくる。さっきよりビニールハウスの中があつくなったように感じる。汗がとまらない。
昼になって収穫したアスパラを見比べると、おれのは長さバラバラ切り口ボサボサ。じっちゃんのは長さピッタリ切り口スパッとで、量は倍以上。
それを見て、じっちゃんが言った。
「かせぐってのは、なかなか難しいもんだろ」
おれは汗をふきながら、うなずいた。
「ごめん。上手くできなかった」
「そうだな建太。でもそれでいいんだ」
おれは、首をかしげた。
「かせぐには、練習が必要だって分かったろ」
「これじゃ、給料はもらえないね」
「いいや、必ず給料は出す。それが約束だからな。午後もよろしく頼むぞ」
背中を強くたたかれて、なんだか元気が出た。
午後からは、もっとはやく、もっときれいにやってやるんだ。じっちゃんみたいに。
夕方になって、収穫したアスパラを集めていると、じっちゃんが言った。
「見違えるほど上手くなったな。いい加減な気持ちでやらなかったことがよく分かるぞ」
じっちゃんは、茶色の封筒を取り出した。
「おつかれさま。給料です」
「ありがとうございました!」
おれは、大きな声で言った。いや、言いたかった。封筒を夕日にかざすと、千円札がすけてみえた。
おれの初かせぎだ!
その夜、じっちゃんと風呂に入った。じっちゃんは湯船につかると、「う~」とうなって肩をもんだ。
「かせぐってのは、なかなか疲れるだろう」
確かにそのとおりだ。鎌をにぎり続けたせいで右腕はパンパンだし、しゃがみっぱなしで腰もピリピリしている。
おれは聞いてみたいことがあった。
「じっちゃんは、何のためにかせいでたの?」
じっちゃんは、両手でお湯をすくうと顔をこすった。
「初めは自分のため。残り全部は、家族や仲間のためだな。とはいえ、ばっちゃんは死んじまったから、幸せだったかどうかは分からんけどな」
じっちゃんは、またお湯をすくって、さっきより強く顔をこすった。何度も、何度も。
次の日、遊園地に向かった。丘の上に向かう坂道になると、景色がどんどん広がってゆく。
遊園地に着くと、おれは千円札を出してチケットを買った。初かせぎで買った、初めてのもの。
観覧車に乗りこむと、ゆっくり地面をはなれていく。じっちゃんの町を越えて、もっと遠くまで見えてきた。てっぺんまでもうすぐ。
そのとき、空と地面の間に、深い青色を筆で引いたように何かが見えてきた。ところどころキラキラしている。
あれは海だ!
顔を窓につけて夢中で眺めていると、雲の切れ間から光がさしこんだ。宝石をちりばめたように海が輝きだした。
「なんてきれいなんだろう」
おれは、つぶやいていた。それから海は、ゆっくりと地面に飲みこまれて見えなくなった。
この目で海を見ることができた。ほんの少しの間だったけど、とても遠かったけど。あの深い青と輝きを、まだ思い浮かべることができる。
かせぐことは幸せにつながっている。
おれもがんばれば、じっちゃんみたいになれるだろうか。自分だけじゃなくて、たくさんの人を幸せにできるだろうか。いつか母ちゃんのことも。
そのためには、練習あるのみだ。おれはポケットのチケットを、ぎゅっとにぎりしめた。そうだ、観覧車から降りたら、じっちゃんに言おう。ばっちゃんは、きっと幸せだったよって。