傭兵と紙飛行機
ひらり。ひらり。ひらり。
舞う無数の紙飛行機。
煙草の煙をかき分け進む。
落ちることなく、落ちることなく、ただ漂う。
お前は何を思って紙飛行機を飛ばすのだろう。
そんなこと、俺にはわからない。
そのいくつもの紙飛行機の一つが、コツリと俺に届いた。
昔の話をしよう。
あの日、息も絶え絶え。満足に動かない片足を引きずるように、俺は逃げていた。
額から滴る血が片目の視界を濁し、擦過傷や、火傷といった傷が体中を覆い、満身創痍の状態だ。
握りしめられた拳銃だけが、唯一の心の拠り所。
魔法を使う気力もない。重いだけで、使えなくなった装備も途中で捨ててきた。
このままでは追手から逃げ切る以前に体力が尽きてしまうのは目に見えている。
俺は、どうしてこんなことになっているのだろう。俺の人生に失敗はなかった。いや、もしかしたらこのクソッたれな世界に生まれてきてしまったことが最大の失敗と言えるかもしれない。
長きに渡る戦争に身を投じ、傭兵として、生きるためには何でもしてきた。
命令を忠実にこなし、常に期待に副う結果を残してきた。
人を殺し、殺し、殺す。
遂には自分自身の感情すら殺し、オートマタのごとく淡々と仕事をこなす。それも全て、無慈悲でクソッたれな世界を生きるため。
それがどうだ。
戦争も終盤。とある大規模な軍需工場に最後の任務としてやって来た俺を待っていたのは、雇い主たちによる裏切りだった。
曰く、新しい統治国家に俺の存在は邪魔でしかないようだ。
そして、命からがら逃げて来て、このざまだ。
いったいどれほど歩いただろう。休むことなく逃げ続けて、何になるのだろう。
寒い。
体が重い。
亡霊たちは俺がそこに堕ちるのを、今か今かと両手を広げて待っている。
そこに行けば、楽なのか?
なら、もう、いいか。
生きるのを、諦めても、いいか。
その時だ。
ひらり。
紙、飛行機……?
膝が崩れかけた俺の目の前で、一つの紙飛行機が舞っていた。
…………死んでたまるか。
その紙飛行機は墜ちることなく、ゆらゆらと漂っている。
おかしな光景が瞳に映る。
この地域一帯はとっくの昔に避難命令により、住人はいないはず。
それなのにどうして、視界の先に建つ民家は明かりが灯っているのだ。
どうして、紙飛行機を見ただけで、生きたいと思うのか。
一歩ずつ力強く踏み出す。
辿り着いた家の扉には鍵がかかっていなかった。
俺は乱暴に扉を開け、中に押し入る。
そして、直感的に人の気配がする方へと拳銃を向けた。
……その先にいたのは、まだあどけない一人の少女。
ひらり。ひらり。
舞う無数の紙飛行機。
優しさを纏うそれらは、ゆっくりと進む。
墜ちることなく、墜ちることなく、ただ漂う。
お前は誰だ? どうしてまだここにいる?
少女は驚くことも、臆することもなく俺を睨み付けた。
簡素な部屋だった。
机と椅子、シンプルな食器棚。レースがあしらわれたカーテンに、グラスに生けられた美しい花。
そして、何故か、部屋中に漂う無数の紙飛行機。
なんだこの家は。紙飛行機? それよりも何故、まだこの地域に人が居る。
それに、この少女は拳銃を突き付けられているというのに、どうして悲鳴の一つも上げないのか。
……俺の方が、気圧されているのか。
いや、簡単な話だ。
俺は引き金を引けばいい。いつものように、当たり前のように。
相手が女子供であろうが、躊躇わずそうしてきたのだから。
あとは指にほんの少し力を入れるだけで……。
その時、少女が動いた。
動くな。俺はそう命令する。
「手当してあげるよ。あんた、ボロボロじゃん」
面倒くさそうに、少女は薬箱を持ってきた。
俺は警戒して、まだ銃を下ろすことができない。
「ほら、服脱いでその危ないもの下ろして。包帯くらいなら巻けるから。それとも何? あたしを殺して自分でやる? それならそれでいいよ。ま、死にたくはないけど」
ざっくばらんな少女の態度に俺は困惑する。
家族は?
この雰囲気が居心地悪くて、不意にそう訊ねた。
「両親は軍人だった」
だった。ということは…………。
彼女が言うことには、避難命令が発令されていることは知っているが、両親との記憶が残っているこの家を離れる気はないという。
「あたしはまだガキだけど、こうして生きていけてるじゃん。おっさんが、あたしを殺すなら話は別だけど」
俺は銃を下ろした。
どうして?
どうしてだろう。
無意味な自問自答だ。俺は彼女に助けられている。一瞬でも殺そうとした相手に。
いくつもの紙飛行機が頭上を舞う。
この紙飛行機は?
「折り鶴ってさ、平和とか、願いとか、そんな意味を込めるんだろ? 母さんに折り方教えてもらうことが出来なくなったからさ、紙飛行機しか折れないの。だから」
どこか物憂げで、影が差した少女の表情が、俺を刺した。
彼女が飛ばすのは、平和の紙飛行機。
その想い、願いが込められた紙飛行機は、墜ちることがない。
なるほど、だからか。だから俺は今……。
感情などとうに捨てたつもりでいた。どんな非情なことをしても、生きるためと正当化してきた。
暗くて、冷たい人生。
だというのに、ここはこんなにも暖かくて、涙が、止まらない。
ひらり。ひらり。ひらり。
舞う無数の紙飛行機。
平和を願う、その想いを抱き空を泳ぐ。
お前は死ぬのが怖くないのか。
それとも、乗り越えているのか。
俺はこんなにも弱いというのに。
ふぅー。と吐き出した紫煙が紙飛行機を包みながら、霧散する。
戦争が終わって、数年がたった。
人々、世界に刻まれた傷跡は深く大きい。それでも、たとえ一時だとしても、平和は訪れている。
俺は生き延びることができた。
そして、あの日から隣にはこいつがいた。
「おっさん。ボケっとしてどうしたの」
「昔を思い出していた。俺が、お前と会った時のことだ」
今でも、あの時と同じように、たくさんの紙飛行機が宙に舞っている。
ひらり。ひらり。ひらり。
俺は、確かに死を覚悟したとき、これに救われたのだ。この、命の道標に。
俺にコツリと当たった紙飛行機を手に取り、そんなことを思った。
「昔ねー。あの時は大変だった」
「お前はさ、俺と初めて会った時、怖くなかったのか」
それ以外でも親のこと。独りで生きていく寂しさ、いつ死ぬかもわからない恐怖。そんなものはなかったのか?
「そりゃあもちろん怖かったよ。死にたくはなかったし。でも仕方ないって割り切ってた。ご時世がご時世だったから」
人間、死ぬときは死ぬんだよ。そう言って笑う姿は、どこか儚い。
「それもそうだよな」
「でも、それ以上にさ」
お前は俺の手から紙飛行機を取ると。
「やっぱり、辛かったかな」
優しく、窓の外へと飛ばした。
「だから、おっさんがあの後もこうしてあたしといてくれたことには感謝しているんだ」
感謝しているのは俺の方なのに。
「俺も、お前に助けられたんだよな。生きる目的ってのを気付かされた気がする」
ありがとな。
ぼそりと、そんな言葉が口から漏れる。
感情も捨てた俺だったが、人間へと戻してくれた。
こいつは、とても強い。その強さに俺は助けられたのだ。
「えっ、何か言った?」
「言ってねえよ」
「いやいや。言ったでしょありがとうって聞こえたよ? まったく、素直じゃないんだから」
「うるせえ」
俺は恥ずかしさからそっぽを向いて、ふうー。と最後の一息を吐き出した後、短くなった煙草をもみ消した。
平和を願った紙飛行機のおかげなのか、はたまた時代の必然か、確かに戦争は終わった。
争いがなくなった今、お前はどんな想いを乗せて紙飛行機を飛ばすのだろう。
…………そういえば、まだ教えていなかったな。
「なあ」
「なにさ」
「鶴の折り方、教えてやろうか」
ひらり。ひらり。ひらり。
この作品を書き上げるにあたり、キャラクターや世界観のバックグラウンドをどのように表現するかという点に悩みました。設定は出来上がっているのに、それを全部説明するのではなく、読者様の想像に委ねるというのがとても難しいですね。まあ、それこそが個人的に短編小説やショートショートの魅力的な部分でもあり、大切にしなければいけない部分であると考えているのですが。
何はともあれ、最後まで目を通していただきありがとうございます!
感想や評価などあればぜひぜひお願いします。モチベーションが高まります!
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