第九十八話:先人の夢、俺の夢
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酒匂川を渡ると低い住宅地の遠くに市街地の中心が見える。左側窓の外、見るともなしに眺める相模湾に沿って北東から南進する東海道本線は小田原駅四番ホームに到着した。
約二時間の電車旅も終わりを告げ、新たな来訪者としてホームに立つ。耳慣れた声調、しかし構内に響き渡るアナウンスは初耳で、ここは全く未知の土地。俺と灼はなんとか雑踏の流れから離れて通勤客も混じる人垣が切れるのを待った。
「うひー、人が多いィー。疲れたァ」
人混みから逃れて有元花散里が早々に悲鳴を上げた。デニムのクロップドパンツを折り曲げてしゃがみ込む。続けて山科会長や部長、四字熟語といった三年生組が苦笑交じりで合流した。
「全員いるわね。じゃあ、先導するわよ」
すでに引率者が板に付きつつある佐々原先生に、灼が手を挙げて指摘する。
「この後、車移動だから今のうちにトイレを済ました方がいいわ。場所はホームから上がってすぐにあるから。後はこれから向かう西口ね」
まだまだ灼を出し抜けない佐々原先生は途端に悲しい笑顔を見せた。軽く嘆息を吐いた灼は、次の電車を待つ人で多くなる前に階段を上がる。佐々原先生を最後尾に生徒の集団はスッキリと綺麗な団体専用改札口を潜り、東西自由連絡通路に向かった。突如、尾崎が感嘆の声を上げる。
「デッカイ提灯があるッスよッ」
俺はその声に釣られて天井から下げられた提灯を眺めながら、そこをそのまま西へ歩く。小田急改札、東海道新幹線改札を横目に過ぎる中、大勢の人と交じり、すれ違う。駅舎と併設されたショッピングモールや休憩場所を過ぎ、一階に下りると小ざっぱりとした場所が見えた。
「何だか殺風景ね」
新城めぐみの残念そうな口調を山科会長が、
「繁華街は反対側の東口よ。むしろ待ち合わせにはこっちの方が丁度いいわ」
受けて、人が溢れるように行き来する駅舎を出た。俺たちは次々と車が入ってくるタクシー乗り場、多くの人が乗り降りするバスの停留場と機能的に整備されたターミナルを避け、道路を挟んで併設された広場へ向かう。辿り着いた先で灼は小さな時計台を見た。その隣には銅像が立っている。
「待ち合わせは、ここの『北条早雲公像』前よ。とにかく集合時間の九時まで時間があるからトイレに行く人は今しかないわ」
灼が来た道を戻ろうとする仕草に、女子が連れ立つ。遅れて部長と飯塚先輩も駅舎に戻ってゆく。俺は二人分の大きなスーツケースの為に自由が利かない。それに気付いた佐々原先生は微笑んで、
「荷物はわたしが見てあげるから、谷君も行ってらっしゃい」
と、気遣ってくれた。諏訪野君もこの場に残るらしい。ここは正直甘えておきたいところなので、俺は即答する。
「すいません。お願いします」
急いで部長と飯塚先輩の後を追った。
小田原駅西口へ戻った俺はインフォメーションに従って多目的トイレを目指す。中に入ると飯塚先輩の驚愕した声が響いた。
「どうしたんだ? 大きな声で」
悔しがる飯塚先輩とドヤ顔の部長が便器に横並びで俺を見た。部長がちらつかせる左手の薬指にあるもの。
「も、もも……もしかして、その指輪は婚約か!? 相手は四字熟語ッ!?」
これ以上にない驚きの声を上げて、俺も先輩たちと一緒に横並びになる。部長は照れくささを笑いに変えて、
「平良も飯塚も俺から言わないと気付かないからな。女子なんかバイト初日に気付いてたぜ」
視線を宙に逸らす。その横顔は男の成し遂げた顔、大人の顔だと思った。
「一体、いつ……」
唸る俺の声に、用を足し終えた飯塚先輩が代わりに答える。
「何でも推薦入学が決まった時にプロポーズしたんだってさ。くぅーッ、やってくれるぜッ」
「でも、しかし……。これから大学生だろ? いいのか?」
戸惑う俺は落ち着くことが出来ない。部長は洗面台で手を洗いつつ、
「俺たち……山科も飯塚も四字熟語――菜摘も、十八歳で成人を迎えたんだぜ。世間で言う大人だよ。それに俺は金には困らないし、な」
確かに、部長の今までの経歴を考えれば金には困らないだろう。自活力がある。
「四字熟語の実家は神社だろう。その……」
「ああ。なかなか最初は認めてもらえなかったぜ。しかし大学卒業後、俺が修行して神社を継ぐ事、宗教法人設立に尽力する事を条件に許してもらえた。そうすると今度は爺さんから曾孫をせっつかれたよ」
「ひ、曾孫!?」
もはや俺の思考は追いつかない。来年には俺も十八歳になる。僅か一年でこうも自分の取り巻く環境が変わってゆくというのか。恐怖と不安が気持ちを一杯にして自信を吸い上げる。
俺の苦悶を他所に飯塚先輩が、
「俺も大学に行きながら法人社員として働くことになった。まあ、親父らの時代の大学は『学生生活を大いに満喫する場所』で大学生も『未成年』だったらしいが、俺たちは違うからなァ」
ははは、と頭を掻いた。そういうものだろうか、まだ未成年の俺には俄かに理解し難いが――とにかく。
「先輩たちが大人の階段を上ってる、ということは分かった。しかしトイレで長々と話す事じゃないだろ? 早く集合場所へ戻ろうぜ」
そこはかとなく物悲しさを抱いて、俺は先輩たちを促した。
再び西口広場に戻った時には、女子の集団が笑ってはしゃいで、俺たち男子を迎えた。
「平良君。小田原限定のたい焼き『小田原城焼き』食べる? お城と鯛を一緒にするって面白いッスね」
声を弾ませて尾崎は、紙袋からひとつ取り出した。俺はそれにパクついて、
「小田原と言えば、難攻不落の小田原城だろう」
当然のように言うが案の定、「そうなの?」と小首を傾げる。俺は大きく嘆息して見回せば女子たちが焼きぼこや求肥入りの最中など色々と手にしていた。
「おいおい、お前らどこまで行ってきたんだ?」
俺の詰問に、新庄めぐみが大いに笑う。
「せっかく知らない土地に来たのよ。フツー探索するでしょ」
有元花散里も焼きぼこを齧りながら、
「反対側の東口に行ってみたけど、さすがに大きな街ね。あと学校でもないのに、二宮金次郎の銅像があったけど何で?」
罪のない不思議な顔を見せた。再び俺は嘆息する。
「……二宮尊徳は小田原出身だからだよ。江戸後期の農政家で、小田原藩の農政改革に尽力し報徳仕法と呼ばれる農村復興政策によって藩の財政を立て直した人だ」
「ふうん。名前は知ってたけど、どんな人かは知らなかったわ。なるほどねー」
有元が衒いのない笑顔で答えた。山科会長も軽い可笑しみを漂わせて言う。
「クックック。研修旅行前の準備運動といった感じかしらね。私はこれ――」
手のひらサイズの虎朱印スタンプを俺の目線にかざした。きっと東西自由連絡通路の名産店にあったものだろう。すると灼と結衣先輩、四字熟語が、にやりと同じものを掲げる。
「――北条家累代当主が使用してきた虎朱印『祿壽應穩<禄寿応穏>』だろう。旅を楽しむのはいいが、少し浮かれすぎてないか?」
そんな俺の意気を灼が鼻で笑い、
「あんた、修学旅行だって友達とお土産屋さん見て回るでしょ? これだって大事な事よ」
さらりと流した。今までの灼は『友達』という関係に、憤懣遣る方無い思いを込めて忌避してきた。俺は、お気楽に笑い飛ばす灼の頭を軽く撫でる。
「まあ……確かにな。お前が今を楽しんでるなら、それが一番だな」
灼が俺の手を払い、
「あたしはあんたとも一緒に楽しみたいの。だから平良もしっかり楽しまなきゃ駄目よ」
嬉しさが溢れた言葉でしっかりと返されて、俺は自分のお節介を知る。思わず苦笑した。
「ああ。もちろんだ」
山科会長が微笑み、結衣先輩が抱きつこうとし、灼に阻まれる。四字熟語が鉄面皮の輪郭を僅かに動かして、口元を左手で隠した。薬指に嵌められた指輪が眩しく光った。
● 佐々原先生のうんちく
皆様、初めましてです。この度は引率者という設定だけで登場したキャラと思われるでしょうが、
これからも多分(?)出てきます。(出てきますよねェ……)今後ともよろしくお願いいたします。
これから、いよいよ研修旅行が始まります。三年生は高校生活最後の研修です。思い出を一杯作ってほしいですよね。でも、わたしより先にゴールインする生徒がいるなんて。。。羨ましい。