第九十七話:旅の夢路
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早朝から気温は上がらず、十二月二十四日のクリスマスイブは雪のない極寒で薄墨を流したような曇天だった。
ベビーピンクのムートンコートにフレアのミニスカート、濃紺のニーソックスを交互に伸ばして足早に、少々癖毛のツインテールを靡かせて駅前通りを歩く灼の後ろから、俺は大きなスーツケースを引っ張って付いてゆく。
「平良、もうちょっと急げないの?」
灼は焦りを露わにして振り向いた。急き立てられて、
「まだ集合時間には一時間以上もあるぞ。そんなに急ぐ必要があるのか」
息も絶え絶えに反発する俺に、分かっているのか、とばかりに大きな栗色の瞳を眇める。
「今回の旅行、あんたが幹事なのよ。今回減員がいないから良かったけど、出札証明が貰えるのは二時間前なんだから、その前にスタンバイするのが常識でしょ。しかも添乗指示書の作成に旅費の回収と振込、団券の手配まで……あたしに感謝するべきだわ」
「確かに。俺一人では絶対に無理だった」
そう言って、ここ数日間の目まぐるしい出来事を思い出す。教務部に『団体旅行申込書』を取りに行って俺が書類を書いている間、校長から許可を貰うための書類を会長が作成していた。本来ならば学年主任教師等の印鑑や何やらで一日仕事らしいのだが、数時間で仕上げてしまった。
その後、灼が事前に駅の窓口へ架電した上で、金額・必要書類の最終確認。切符を手に入れた時に見た時計は二十時を過ぎていた。
そこからインターネットを使って参加者全員で隣町にある某有名会社のパン工場・短期バイトに応募、翌日の放課後から男女別々の部署でみっちり労働に勤しんだ。
最終日、複数の社員からバイトの続投を懇願されていた灼を尻目に新庄や有元、結衣さんが、灼とは一緒に働きたくない、とげんなりしていた。四字熟語に訊くと『秋霜烈日』と一言。社員より出来栄えに厳しかったとか。
「平良ァー!」
呼ぶ声で我に返る。いつの間にか大手家電量販店と付随するエスカレーターの上で、灼が両掌を細い腰に当てて俺を睨んでいる。急いで大きなスーツケースを乗せた。
駅前デッキに上がると、ジーンズに使い古されたスニーカー、映えない普段着に黒のブルゾンを羽織った背の高い少年が駅舎入り口に立っていた。傍らには三脚とレベルボックスが置かれているので、きっと測量機の運搬担当になった『地質調査研究部』の一年生・諏訪野君だ。
その少年から、連れであろうと認識される程度に離れた場所で、外見は二十歳過ぎ、すっきりと鼻筋の通った薄化粧の女性が濃紺のパンツスーツにベージュ系のトレンチコートを着て座っていた。
黒のパンプスが先端の両脚を何度も組み直しながら、黒髪のポニーテールを手で押さえてスマートフォンを操作している姿は、まるで共に出張へ行く上司を待つ新入社員のようだ。
「遅くなって申し訳ありません、佐々原先生。それと諏訪野君も早いな」
俺は二人の前で大きなスーツケースを引き寄せて挨拶をした。手ぶらな灼はペコリと軽い会釈を返すと、
「佐々原センセ。団体専用改札口は確認した?」
「えーと……ま、まだかな」
佐々原先生が上司と合流した新入社員のように慌てて立ち上がった。その答えを聞いた灼は、ぶっきら棒に駅舎の奥へ視線を向ける。
「今回は団体専用改札口からホームに入るから、引率者として誘導ルートを確認して頂戴。あたしたちが乗る車両は乗客の少ない最後尾よ。駅員に『団体乗車券』を提示して乗車場所までのルートを確認したいと言えば中へ入れるわ。11名といってもそれなりの集団なので長い列にならない様に注意して。
あと、減員はいないから『改札証明』は必要ないわ。改札を抜ける時は覚えてる?」
二十歳前半女性の平均的な身長と、十五歳なのに見た目十二・三歳少女の平均以下の身長では全く目線が合わないはずなのに、その貫禄の比は圧倒的に灼が凌駕している。
「駅員に『団体乗車券』を見せて参加人数の変更なしの旨を伝えるのだったわね」
先ほどのスマートフォン操作は添乗指示書を確認していたのだろう、すんなり答えた先生に灼が大きく頷く。
「朝が早いので通勤時間帯じゃないけど、始発電車でもなければ特別列車でもない普通の快速電車よ。停車時間が短いので速やかに皆を乗車させて。車内では必ず人数確認を忘れない様に。あたしも手伝うから大丈夫よ」
佐々原先生の緊張で強張った表情が僅かに緩んだ。灼は先生との話は終わったとばかりに話題を諏訪野君に振る。
「諏訪野。製図用マイラー方眼紙持ってきた?」
「うん。こういった紙があるなんて知らなかったよ。流石は双月さんだね」
肩に掛けたバッグを叩いて、にこやかに言った。嬉しさと自信を混ぜ込んで灼も笑う。
「それだと雨が降っても水を吸わないから、問題なく調査が出来るわ。書いて消せるボールペンが便利だけど、摩擦熱でインキの色が無色になるのはダメよ。後は替え芯があるやつね」
「替え芯のやつは買ってないな」
戸惑う諏訪野君に灼は、やれやれ、と言った感じで肩を竦める。
「デッキ下のコンビニに売ってたわ。行くわよ」
さっさと進み出した灼から諏訪野君は、ちらりと俺を窺った。それが配慮なのか遠慮なのか、それとも助力なのか、俺は何ら感じることなく、行ってこい、と手を払う。諏訪野君は悄悄と灼の後を追って行った。
「双月さんって、あんなに明るくて活発な子だったのね」
一気に緊張が解れた佐々原先生は、声に素直な感嘆を込めて大きな嘆息を吐いた。
「先生はあいつ……灼の担任でしたね。何か、どうもすいません」
俺の謝罪に佐々原先生は複雑な苦笑を浮かべる。
「まあ……あたしのような新米教師は、こっちが試されてるような気分にさせられるくらい緊張するけど、とても優秀な生徒よ」
俺も乾いた笑いと困惑顔で、灼と諏訪野君の後ろ姿が遠く小さくなってゆくのを佇んで見守る。
「ははは……無理に褒めなくても良いですよ。先生方の評価は大体『問題のない問題優良児』でしたから。さっき、あんなに明るくて活発な――と言ってましたが、先生から見た灼はどんな感じなんですか」
俺のふとした疑問から即席保護者面談のようになってしまい、佐々原先生が、きょとんとした顔を見せたが、やがて、ふふふ、と笑った。
「とにかく冷静沈着に尽きるわね。間違った部分があれば、先生であろうが容赦なく指摘する。しかも指摘が的確過ぎるから誰も反論できない。それが気に食わない先生方も確かにいらっしゃるわね。双月さんから皮膚をチクチク差すような圧迫感が放出されてるので同級生は誰も近づかないみたい。
でも、関わることには徹底的に一生懸命だわ。双月さんは何でも真っ直ぐに見てる。だからこちらは見透かされそうで視線を合わせるのが怖い。本当は近づきたいけど近づけない。
大人でも感じるんだもの、彼女と付き合うには年頃の高校生には難しいと思うわ」
俺は驚き呆れる。
「あいつの事を、ここまではっきりと言う先生も初めてです」
「あ……え、えっと、ごめんなさい」
頬と瞼を真っ赤にして、佐々原先生が控え目な弱い声で謝った。今まで正面から灼を評価してくれる大人はいなかっただろう。小学の時も中学の時も、灼は腫れ物のような扱いだった。教育者としては未熟なのかもしれないが、偏見や先入観で決めつけない、先生の素直な気持ちに好感が持てた。
「気になさらないで下さい。でも、良かった。灼の担任は良い先生で」
俺の満面の笑みに佐々原先生は苦笑で返す。
「何よそれ。谷君って、お父さんみたいね」
返して、俺にぺこりとお辞儀した。
「今回はごめんなさい。引率といっても初めてだし、小田原駅で茂木教授にご挨拶するまでしか出来なくて」
「別にそれは大丈夫です。むしろ、こちらこそ助かりました。ありがとうございます」
俺も倣ってお辞儀する。すると急に顔を上げた佐々原先生は、
「『地質調査研究部』も将来的に『歴史研究部』と合併するようだし、次回は地質調査の研修へ行こうよ。そうなると正式にきちんと引率できるわ。正直、理系だった私には歴史の事は良く分からないし……あ、でも誤解しないで。君たちの歴史研修旅行はとても素晴らしいと思ってるわ」
嬉しさを隠さずに微笑んだ。俺は単純でない表情で顔を上げ、再び地面に視線を落とす。
「柏駅のこの場所――横断歩道橋と橋上広場が併設されてる高架建築物の人工地盤――『ペデストリアンデッキ』というのですが、地下通路より低コストで作れる上に、地上に建設することで目立ちやすく街の顔になりやすいという点で1960年代のイギリスで発明されました。
車社会に拍車が掛り、歩車分離という観点からも有効的な発想だったようです。
しかも自然災害の多い日本では避難施設としても指定されてます。そして昭和四十四年、初めて日本で『ペデストリアンデッキ』が採用された場所が、今俺たちが立ってる東口の駅前デッキなのです」
思いがけずに始まった俺の話に、佐々原先生は「へえェ」と感嘆の声を上げた。俺は、にんまりと大きく頷く。
「その『へえェ』をたくさん積み重ねて、俺と灼は、過去から繋がる現在とその先に見える未来を覗いて行きたいんですよ」
微量の異物を含めた笑みを浮かべて、佐々原先生が、
「なるほど、ね。それは、そうと……谷君」
「何でしょう?」
言いながら、先生の指さす方向に視線を移すと、遠くからツインテールを逆立てて、何やら叫んでいる灼の姿があった。
「ああいうタイプの女の子は『愛』が重たいわ。頑張ってね」
どんな表情を俺はしていたのだろう。先生は黙って肩を竦めた。
●諏訪野順一のうんちく
お初にお目にかかります。
歴史よりも測量に興味がある自分がここに来ても良いのでしょうか。。。。ちょっと不安ですが、歴史研修旅行メンバーということでご勘弁くださいませ。
次回こそ電車に乗って現地へ向かいます。双月さんが言うには少しだけ『歴』が入るかも、だそうです。
やっぱり、双月さんと会話すると緊張するなァ。。。。