第九十六話:平良と愉快な仲間たち
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※※ 96 ※※
昨晩から寒さも一段と増し、たゆたう寒風が木々の隙間を抜ってゆく昼下がり。
三年生は大学入試に向けてラストスパートに入る、あるいは進路が決まった生徒は卒業式までのんびり出来る時期だが、二年生・一年生は試験結果の返却に一部生徒の補習と再試験、事実上の消化試合のような短縮授業が終業式の前日まで行われるという日程である。それが過ぎるとようやく冬休みの始まりだ。
そして今日も午前中で授業が終了し、部活に勤しむ生徒で常より増して騒がしい県立東葛山高校・部室棟、その一角『歴史研究部』ではいつもの部員に加え、新旧・生徒会メンバーが机を寄せて昼食を食べていた。
「せっかく茂木教授からのお誘いだ。俺も四字熟語も進路は決まってるし、『歴史研究部』としても受けるべきだろう」
食べ掛けの焼きそばパンを片手に部長が答えた。たった今、次期部長に内定した俺は議題の流れで茂木ゼミ主催の歴史研修旅行の参加希望者を募ったところでの即答だった。
「全会一致」
四字熟語も弁当をつつく箸を止めて同意した。他の三年生組である山科花桜梨、高階結衣、飯塚新平はそれぞれが相槌を打つ。
「クックック。生徒会の仕事からようやく解放されて、久しぶりの考古学研修ね。とても楽しみだわ」
山科元会長はツナとタマゴのサンドウィッチを齧り、
「ふっふっふ。また平良君と旅行へ行けるやなんて……ウチも気張らなあかんなァ」
フォークに巻き付けたパスタを頬張り、会長の口調を真似て得意げに言う結衣さんの調子の良さに、
「まあ、ここにいる俺たち三年生は推薦入学組だからな。実質、卒業旅行ということだな」
早々にコンビニおにぎりを食べ終わった飯塚先輩が結衣さんの後頭部に手刀を落とした。例の事件で推薦が危ぶまれていたが、何とか問題なく合格したようだ。
「飯塚先輩、少し心配してたけど良かったな。しかし学部は違うが、五人とも都内の同じ私立大学だとは……とにかく、みんな合格おめでとう」
先輩たち全員の進学に安堵している俺に乗っかる形で、在校生組の二年・新庄めぐみ、有元花散里、一年・灼、尾崎、諏訪野君が「おめでとう」と声を合わせた。
部長と飯塚先輩は恥ずかしげに頭を掻き、四字熟語は鉄面皮の輪郭を僅かに綻ばせ、山科元会長は微笑し、結衣さんは俺に抱きつこうとした瞬間を灼に遮られた。そんな光景を眺めていた新庄が、訝しさを含めつつ話を元に戻す。
「それはそうと……。伊豆での三泊四日・歴史研修旅行、具体的に何をするの?」
なぜか結衣さんに勝ち誇った顔で、灼が答える。
「小田原駅まで電車で行き、茂木センセ達と合流。そこからマイクロバスで伊豆半島の歴史名所巡りもあるけど、静岡県三島市・山中城を散策するわ。
伊豆南西部のジオパークを観光した後はフェリーで駿河湾を渡り、今回のメインテーマである静岡市清水区にある静岡埋蔵文化財センターを見学、翌日に静岡駅から帰宅って感じかしらね」
張り切って説明する内容に、
「実測調査は山中城公園の一角を借りて歩測による簡単な縄張り図の書き方とレベルを使った観測方法を学び、考古学研修は静岡埋蔵文化財センターにて出土品の修復作業を体験する。最終日は駿府城公園で実際に実測してレポートを作成する」
俺は学習の要素を強めに付け加えた。案の定、新庄は渋い顔になる。
「あたし、自分で言うのもなんだけど……日本史は今回もギリギリ赤点を逃れたわ。しかも思いっきり体育会系のテニス部が参加してもいいの?」
突如、ホットドッグを食べていた尾崎が同じ繋がりを感じて、
「大丈夫ッスよ。モトクロス部のあたしも前回、発掘調査に参加したッスから。今から海鮮料理が楽しみッス」
口元を緩ませて、やり取りの横から合いの手を入れた。
尤も基本的には参加することに決めているが、どことなく場違いで違和感のようなものを捨てきれずにいる新庄は憮然として、隣で美味しそうに卵焼きを口に運んでいる有元に視線を向ける。
「花散里。あなたはどうなの?」
「あたし? あたしは日本史の成績は概ね良好だから気にしないわ」
訊かれて嬉しそうに答える有元に、新庄は焦れた声を出す。
「そうじゃなくて。歴史研修旅行の内容についてよ」
そんな新庄の問いに、
「歴史研修旅行ねえ……」
呑気な声を上げて、考える仕草を見せる有元は、俺が先ほど手渡した旅程表を広げて単純な笑みを浮かべる。
「鉱物オタクのあたし的には『雲見の石切り場』に行けるのが楽しみかな。有名な伊豆石を見ることが出来るんだもんね。他の場所は観光気分でいいんじゃない」
地質調査研究部の部員に相応しい発言に、その先を横合いから諏訪野君が受け継ぐ。
「僕も地質調査で必要な実測技術を学びたいです。考古にはあまり興味はないけど、測量方法を教えてくれる人が周りにいないので参加しようと思います」
露骨に顔を輝かす諏訪野君を見て、有元は新庄の肩を叩く。
「あんたって、意外と神経質っていうか、細かいことを気にするよね。どうする? あんただけお留守番?」
「うるさいわね、行くわよッ。でも全然関わりない人間が行っても良いのか気になっただけよ」
叩かれた新庄はぶすっとして観念した。山科元会長が横目で笑う。
「それは全く気にする必要はないわ。そうね、新庄さんは知らなかったかしら……茂木先生は一昨年まで東葛山高校で歴史の非常勤講師をしてたの。今は『歴史研究部』と一緒になったけど『古代考古学研究部』の部員だった私や高階さん、飯塚君の顧問だったわ。
卒業生の並木先輩と市川先輩は現在、茂木ゼミ所属の大学生で生徒会OBでもあるから全く関りがないわけではないので安心して頂戴」
全員参加が確定し安堵の溜息を吐いた俺は、新たな問題に直面した事実を報告するべく、緊張を隠すように表情を固める。
「実は先ほど、学校サイドに許可申請の確認に行って来た。今回の旅行は形式上であるが学校行事の一環となるので、少なくとも茂木先生と合流するまでは学校関係者の引率が必要らしい。つまり、出発地から集合場所まで、解散場所してから帰着地までの移動区間は引率して頂ける先生を探さないといけないのだが――」
数秒、何事か考えてから、
「――俺は初めて会った――『歴史研究部』の顧問である小林先生に依頼したところ、事務仕事が溜まってるので無理だと断られた」
「顧問なんていたんだ。あたし、一回も会ったことないわ」
俺の発言を受けて、初耳の灼も驚きと疑惑を声に混ぜた。睨んだ視線の先で、部長はへらりと、乾いた笑みを見せる。
「不承諾以上に、関与したくない雰囲気で迷惑そうな顔をしてたぞ」
俺は苦笑に似た吐息を零した後、向かいに座る三人の少女に懇請を示す態度で訊く。
「新庄、有元にオザキ。可能なら、おまえたちの顧問に引率の件、相談できるだろうか」
同級生の言葉に押されて、新庄が唸るように答える。
「女子テニス部は厳しいかな……。冬休みに入ると一年だけの強化合宿があるし」
「女子モトクロス部も無理ッス。この時期、免許取った三年と顧問がツーリングに行くのが恒例ッス」
頼りない顔をした尾崎も、複雑な気持ちを隠して頭を振った。俺は忸怩たる思いで僅かに項垂れると、気を向けたことを気付かせない様に、そっと灼が身を屈めて覗き込む。栗色のツインテールが頬から肩へ、さらりと流れた。
「……茂木センセと一緒に行って一緒に帰る、というのはどう?」
その可憐な姿に感嘆を覚えた俺は、察して微笑みを浮かべる。
「今回、茂木先生は静岡埋蔵文化財センターで打ち合わせがあるらしく、前日に静岡へ行くことになってるんだ。並木さん、市川さん、中村さんも一緒らしい」
「学校サイドを通さず、僕たちだけで行くことは出来ないんですか?」
横から諏訪野君が既成事実化しようと声を上げた。それには会長が遺憾の念を示す。
「さっき谷君が言った通り、この歴史研修旅行は茂木先生の公的な招待なので校外授業に類するわ。前回の発掘調査旅行は千葉県内だったから問題なかったけど、今回は県外だからどうしても引率が必要になるわね。
もちろんお断りも出来る。でも、こういった厚意の上に私たちの大学推薦が成り立ってるのよ。君が三年生になった時、実感できるわ」
部室内の空気が、やや低調気味になってゆく。皆の気持ちが諦めに傾きかけた時、箸を口にくわえたままスマートフォンを操作していた有元が、
「うちの顧問、佐々原ちゃん……。静岡に実家があるから引率してもいいってさ。やったじゃんッ」
快哉と期待を声にして言った。しかしすぐに渋面を作る。
「でも、年末年始に大学時代の友人とスキー旅行に行くからお金使いたくないんだって。往復で五千円以内、或いは『青春18切符』の人数枠に入ってる事が条件みたいよ」
素直に喜ぶべきなのか、と思われた一同だったが、
「よかったじゃないか。これで歴史研修旅行に参加できるというものだ。高校生最後の旅行に『青春18切符』ッ! 素晴らしい」
部長の嬉々とした様子に、俺は呆れた声で言う。
「……まあ、確かにありがたい話だ。有元、すまなかった。ありがとう。ところで、佐々原ちゃんって地学の新任教師か?」
「そうよ。今や零細部となった『地質調査研究部』も部員はあたしと諏訪野君の二人だけ。『部室整理令』の適用内だったのに、わざわざ顧問になってくれた稀有な教師だわ。若くて独身女性よ」
有元の意地悪な笑みを、敢えて深く追求せずに話を逸らす。
「『青春18切符』って何枚綴りだっけ?」
言って、俺は灼の方に向き直る。有元の言葉が届いていなかったのか、灼はスマートフォンの画面を見つめて操作に集中していた。内心、ホッと息を吐いて表情を緩める。それも束の間、情報収集を中断した灼から、そこはかとなく厳しめの声が返ってきた。
「ちょっとマズい事態が判明したかも……」
灼は、細い太ももに置いていた小さな弁当箱を机に移して立ち上がり、部屋隅に寄せていたキャスター付きのホワイトボードを引っ張ってくる。皆の不可解な視線を集める中、何やら書き出した。
「今回、参加するメンバーはここにいる十名。『青春18切符』は五回分が一枚で12050円よ。丁度二枚分の金額を十で割れば、一人当たり2410円、往復で4820円で済むわ」
「おおッ! 格安じゃん」
飯塚先輩が歓喜を上げるが、灼の愁眉は開かなかった。その答えに気付いた会長も立ち上がり、ホワイトボードに書き加える。
「でも、引率して下さる佐々原先生も含めると十一名。『青春18切符』が往復四枚では足りないので五枚購入する必要があるわ。そうすると往復で一人当たりが5477円。しかも三回分無駄になる……ということかしら」
うーん、と唸っていた尾崎が、いきなり手を挙げて立ち上がった。
「はい、はーいッ! 学生割引ってのはどうッスか?」
「相変わらず、オザキはお猿さんね。センセに学割が適用するわけないでしょ」
意味不明な質問をする尾崎に対して、灼はうんざり顔を見せた。その隣で頭を抱えていた結衣さんが、おもむろに挙手をする。
「ほな、往復割引はどないやろ?」
灼が軽く首を振って否定の仕草を示す。
「往復割引は同一区間・同一路線でないと適用されないわ。今回の旅程はオープンジョーなのね。もちろん往復乗車券の内方乗車という選択も考えられるけど、片道の営業キロが600キロ超えてないので無理ね」
今度は聞きなれない言葉に、新庄が訊く。
「オープンジョーって何なの?」
灼は、自分が言ったことの意図を意識して答える。
「行って帰る――いわゆる周回旅行で、往路の到着地と復路の出発地、逆に往路の出発地と復路の到着地が異なる場合を言うのよ。
あたし達の旅程に当てはめるなら、往路の出発地が柏駅で到着地が小田原駅、復路は出発地が静岡駅で到着地は柏駅、といった具合だと、それぞれの片道運賃で計算しなければならないわ。
そもそも、静岡までの往復運賃は7480円、往復割引は片道一割引なので往復だと6732円。仮に小田原駅で途中下車してもセンセの要望から外れてしまうわ」
部長が諸手を挙げ、声を出して慨嘆する。
「柏から小田原まで1980円、静岡から柏まで3740円、普通に運賃を合算しても5720円。やっぱり無理かァー」
会長も新庄も有元も溜息を吐いた。つられて尾崎もぶつぶつ言いながら、
「佐々原先生も学生みたく、旅行出来ればいいッスのに……」
無邪気な声を零した。その無邪気さに灼がピクリッと反応する。
「それよッ! 団券を使えばうまくいくかもッ」
一人だけ態度も表情も浮かれて、灼は再びホワイトボードに計算式を書き始めた。
「団券――学校が修学旅行に使う――学生団体割引券を使えばいいんだわ。規定の八人以上だし、学生は五割引で引率者は三割引となるから、学生の一人あたりは往路は990円で復路は1870円、往復運賃が2860円。センセは1386円に2618円を足して……4004円ッ! あたし、やれば出来るじゃん」
灼が勝ち誇った声を上げて小ぶりの胸を反らした。わけが分からなかった一同は、遅れて果実の価値に気付くと、無限の歓喜を湧き出させて灼を称賛する。
「さすが双月ッ! これで心置きなく歴史研修旅行に行けるぞ」
部長が喝采し、
「ホント、双月って何でも出来るんだね」
新庄が感心する中、急に灼は真剣な視線を会長に向ける。
「団券を購入するには、校長の証明する団体旅行申込書が必要だわ。しかも申込期間は出発日の十四日前――つまり、今日中に申込書を駅の窓口へ持っていかないと打つ手がなくなるわ。あんたの力で頼める?」
山科元会長は、冷たさを感じる端正な顔立ちに窈窕たる笑みを浮かべ、
「クックック。引退しても『妖狐』を呼ばれた生徒会長よ。秒で校長に判を捺かせてみせるわ」
後ろで結衣さんが、『妖狐』は自分で認めるんや、と呟いたのは、俺だけしか知らない。
●尾崎のうんちく
皆様、お久しぶりッス。お元気ッスか?
今回より再び考古の旅行が始まります。『歴』をお待ちになられている方、申し訳ございません。少しばかり『めろ。』にお付き合いくださいませ。。。。
次回から本格的に道中記が始まります。お楽しみにお待ち下さいッス。。。