第九十一話:『源氏』立つ~検証㊲~
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※※ 91 ※※
灼がキッチンの暖簾を抜けて、食卓に突っ伏すような姿勢の父親の肩を揺する。
「お義父さん、大丈夫?」
返事はなく、途方に暮れる灼は、傍らで一人ワインを飲んでいる母親に視線を送った。自分の役回りに嫌気を見せて嘆息する。
「お父さん、ここで寝たら風邪引くわよ。二階行ってベッドに入りましょッ」
ガブリと残りのワインを乱暴に呷り、父親の肩を持ち上げ担ぐ。途中、「弱い癖に沢山飲みたがるんだから……」と不平を鳴らしながらリビングを出た。
二人を見送り、姿が消えると、灼は両掌を広げて振り向く。俺と目が合い、困った笑みを見せた。
「……すまんな。両親の我儘に付き合ってもらって」
俺は頭をガシガシ掻いて謝罪の声を漏らした。
「うちのパパも似たようなもんだし。気にしないで」
元々それほど庇うつもりはない俺の口調を察し、弁護にもならないフォローを入れた灼は、食卓に放置された食器類をカウンターに置いて、再びキッチンの暖簾を潜る。
「平良。テーブルの上にある空瓶を片付けてくれる? 後、カウンターの上に置いてある食器類はシンクまで下げてくれると助かるわ」
「あいよ」
そんな遣り取りを交わす間に、灼は赤ワインで煮込んだパスタを盛り付け、その上に牛すね肉の赤ワインと黒コショウ煮込み『ペポーゾ』を添えた。肝臓ペーストを塗ったトースト――『クロスティーニ』は白磁の皿に並べる。そして平良と二人で飲もうと密かに購入した『モスト・ドゥーヴァ』を袋から目線まで引き上げた時、
『頑張ってね! 灼ちゃん。愚息を押し倒して襲っちゃえ』
瓶のラベルに貼ってある小さなメモ書きが視界に飛び込んで、顔が真っ赤に染まった。
(あ、あたしが平良を……するなんて、ありえないッ! でも、平良があたしを……するなら――って、何考えてるのよッ)
その俺が、キッチンの隅で空瓶を手に、じっと自分を見ている、と灼は気付いた。
「こ、ここ……これは『モスト・ドゥーヴァ』といって、イタリア・モデナ地方の赤ぶどうを皮ごと煮詰めた伝統的な飲み物で……見た目はワインみたいだけど、100%葡萄ジュースだわ。日本ではあまり見ないし、あんたと飲みたいなと思って……買ったのよ」
不自然に身構える、見た目十二・三歳の少女は言って、そっぽを向く。物言いたげな俺の視線が灼の頬だけでなく、胸も熱くさせた。
「な、何よ……。黙ってて悪かったわッ」
背けた顔から、つっけんどんな声だけを受けた俺は、急に起きた不可解な出来事を深く悩まずに、思ったことのみを漏らす。
「まあ、それは別に構わないが……急にお前が動きを止めて、顔を真っ赤にするからどうかしたのかと心配しただけだ。ん? 何か瓶に付いてるけど――」
俺が目の前で捉えたメモのようなものを凝視しようとすると、灼は慌てて胸の中に瓶ごと抱き込んで、じろりと睨む。
「あ……あ、あんたが気にすることじゃないわ。お義母さんからの単なるメモよ」
灼のいつものような声。僅かに頬を膨らまし、無理矢理に強張らせて、溢れ出させまいと必死に隠している顔。まさか怒っているとは思わないが、素っ気ない風を装って、俺と目を合わせたくないように大きな栗色の瞳を泳がせている。俺は何となく違和感を感じていた。
「また、お前を困らせるようなこと書いてたんだろう。お袋には後で言っておくから見せてもらっていいか?」
途端に、灼の小さな両肩が弾け、
「っダメ!」
と鋭く拒絶を口にした。
(い、いったい何なんだ!?)
軽い親切のつもりで何気ない声掛けを、厳しい態度で返された俺は驚くほかない。
(何かマズいこと、言ったかな?)
首を捻って悩む俺を前にして、急にわざとらしく誤魔化すように急いで動く。
「ご、ごめん。それよりもご飯を食べましょう。すごぉーく、お腹すいちゃった」
咄嗟の謝罪とその声に、白々しさが含まれているような気がしたが、何でもないように灼が満面の笑みを浮かべる。俺も他愛なく笑って、不毛な詮索を諦めた。
俺は、灼が用意した赤ワインで煮込んだパスタ『ペポーゾ』添え、『クロスティーニ』と生ハム、チーズ等をまとめて盛った大皿、ワイングラスをきっちり並べてゆく。後はナイフとフォーク、スプーンを二人分置いたら完成だ。今日は特別な日というわけではないが、普段使わない食器が整列した様子に何故か気持ちが弾む。
「ありがとう」
言いつつ灼は深めのスープ皿を二つ持って入ってきた。生クリームとチーズに混ざってジャガイモの匂いが食卓に広がり、俺の腹を和ませ鳴かせる。
「言われた通り、向かい合ってではなく、横並びにしたが……これでいいのか?」
ドラマで良く見る、男女が向かい合って乾杯するワンシーンのイメージが強い分、奇妙な違和感を覚えたが、灼はスープ皿を置き、改めて食卓を眺め、
「これでいいのよ。とにかく座って」
と、柔らかく微笑んだ。俺は大きく深く頷き、椅子を引く。
「先ずは乾杯しましょう」
灼も隣に腰を落とし、『モスト・ドゥーヴァ』を注いだ。ワイングラスに透けて見える赤い水面が傾いて満ちてゆく。
「では……」
俺は脚を持ち、灼は両掌で包み込みようにお互いのグラスを突き合わせる。チンッと小気味良い音が響いた。そして恐々と喉に流す俺と、やや緊張気味に口へ運ぶ灼と、同時に声が重なった。
「うまいッ」
「……美味しい」
一気に気持ちが解れた二人は、さっそく料理に手を付ける。俺はスープを一啜りして、
「これは初めて食べるスープだな。丸い味でポタージュスープみたいだが、ソーセージが入ってるし……う、苦い野菜もあるぞ」
俺は思わず顔を顰めた。その素直な感想に、灼はくすくすと充実の微笑みを返す。
「それは『ズッパ・トスカーナ』というイタリアンソーセージと野菜のスープよ。苦い野菜はケールといってトスカーナ地方では家庭料理によく使われるわ。古代ケルト人が良く食してたから『ケール』と呼ばれるようになったくらい栄養価の高い野菜だから、しっかり食べてね」
「……まあ、お前が作ったものだから美味いし、食べるけど。ケールって『マズい! もう一杯』のやつだろ?」
苦々しい顔で、再度の一啜りに、灼が声を出して笑った。
「うふふ。そんなに気に入ったのなら、また作ってあげるわ。それはそうと――清盛を本気にさせた小侍従の『歴史検証』が気になるわ。どうなるの?」
いざ、改まって問われてみると、どこから話したものかと思いを巡らし、答えようとした瞬間、俺の脳裏に戸惑いに近い後ろめたさが過る。俺に対する気遣いが急に気になった。
灼とは最近、いや二人の時は大部分の話題が歴史の話だ。今日ばかりはもっと気の利いた話題を振るべきなのではないだろうか。しかし、なにより――。
「どうしたのよ、平良」
と、先をせっつく灼に、俺は唸るように、
「っん。……じゃあ、始めるか」
思わず、頷かされた。
「定説では、頼政の嫡男・仲綱と、平家の嫡男・平宗盛の軋轢が深くなる。同じく、所領問題で平家に不満を持っていた以仁王と謀り、平家追討を決定したのが治承四年<1180>4月だ。
その後、以仁王は『最勝親王』と自称し、諸国の源氏と大寺社に平氏追討の令旨を下す。しかし、この挙兵は熊野別当湛増によって事前に露見する。ちなみに湛増の妻の母は源為義の娘に当たると言われてるが定かではない。同年五月、平家は以仁王を『源以光』として臣籍降下させ、土佐への配流を決定した」
俺はワイングラスを傾け、
「しかし、平家の策は配流が目的ではない。検非違使別当・平時忠は、300余騎を率い、以仁王を討とうとするものの、密かに仲綱が以仁王に知らせ、園城寺へ逃れる。そして平家は園城寺攻撃の軍勢を整えた時、頼政は僅かな手勢と共に以仁王に合流した。
以仁王と頼政・仲綱は大和国までの撤退防御戦を立案したが、宇治の橋合戦を含めて平家の追撃は激しく、宇治平等院で休息を取ろうとしたが、防御線を維持できずに討ち取られてしまう」
灼は感心しつつ、グラスの中の液体を飲み干した。再び注ぎながら、
「『平家物語』や『源平盛衰記』『吾妻鑑』にある内容だわ。後に以仁王の乱が反平家運動に繋がるというわけね」
声だけは穏やかに、厳しく追究する。
「以仁王の乱は歴史的な評価として大きく取り上げられるけど、あんたが『定説では』と前振りするぐらいだから、歴史の影響に相違があるということかしら? 例えば――『源平盛衰記・佳巻』中の木下馬事――仲綱の愛馬『木下』を平宗盛は権力で無理矢理に奪い取り、さらに馬を『仲綱』と呼んで公衆の面前で散々むち打ち、源氏の面目を潰したって話よね。以仁王と利害が一致したということなのだろうけど、単なる私怨だわ。
別にあたしは宗盛の肩を持つ気はないけど、親王宣下も賜ってない無品の王が、わざわざ『最勝親王』を自称してまで平氏追討の令旨を下すことかしら。逆に偽令旨を下した罪を負いかねないわ。ぜいぜい宗盛の館を兵で囲って、火を放つくらいじゃない? まあ、令旨がない場合、その火が小火で終わるか、全国に飛び火するかは分からないけど」
その全く純粋でない笑顔に、俺は内心戦慄を感じつつ、困惑の表情で苦笑する。
「灼……、おまえには敵わないな。とりあえず、極端な解釈もあるかもしれないが、そこは『歴史検証』と思って聞いてくれ」
実はチビリと飲んでいる俺とは違って、灼は水を飲むようにヒョイと呷り、
「いいわよ、しっかりと聴いてあげるわ」
何事にも挑戦する闘気を、大きな栗色の瞳に宿らせ、凛々しく満面の笑みで答えた。
(なーんか、灼のテンション高いなァ。今日は頑張って料理をたくさん作ったから、ちょっと興奮してるようだな)
俺は軽い衝撃のような圧力を受け、その意味が咄嗟に浮かび、自然と灼の小さな頭の上に掌を添えていた。ゆっくりと確かめるように何度か撫でた後、急に恥ずかしい空気に気が付いて、慌ててその手で自分の頭を掻く。
「こ……、ここからは九条兼実の『玉葉』を基に私見を述べる。令旨の件は後で説明するので一旦置いていいか?」
灼はワイングラスを抱くようにして赤い顔を伏せたまま、
「か、構わないわ」
声を抑えて呟いた。俺は気持ちと場の空気を仕切り直すように、自分と灼のグラスに『モスト・ドゥーヴァ』を注ぐ。
「俺の意訳だが――『玉葉・治承四年<1180>五月十五日条:晴天。……今夜、三条高倉宮<以仁王>が配流されるという噂を聞いた。その話はあちこちで囁かれてるらしいが、内容はバラバラで信憑性がなく信じ難い。……』
噂が噂を呼び、話が大きくなったようだな。この時点で噂の出処は判明していない。兼実もデマぐらいにしか思ってなかったようだ。
そして、『同十六日条:一日中、晴れたり曇ったり。晩には小雨が降った。家司の隆職が早文を送ってきた。三条宮<以仁王>配流の事である。内容は、
源以光、(本御名以仁、忽賜姓改、名云々)宜處遠流、早令追出畿外<原文>――源氏を賜った以仁王である源以光に速やかに京都から追放するよう重い流罪が決まった――という。高倉宮配流で下された事は以上である。しかし、何処の官職の者がこの令状を作成したのか、下された命令を実行するのは何処の官職の者なのか、こんな前例は今までない。そもそもこんな命令を下した公卿は一体誰だというのか……』
右大臣の兼実ですら知らない事態が既に異常だ。この後、宣下が出るが不可解な出来事はまだ続く。
『……始以光王可配土左國之由、宣下云々。而後被改仰歟、只今奉行史申旨如此云々。――最初に以仁王は土佐へ配流という正式な令状が下った。だがその後に取消・変更とはどういうことだ。ただ今文筆を掌る官・史が申し開く内容は次の如くだ――』
事態が見えない兼実の焦りと言うか、怒りが見える文章だな」
聞きつつ、灼は『クロスティーニ』の上に生ハム、チーズを乗せて一口頬張る。それはよほど美味しかったらしく、たちまち自賛の笑みを浮かべて二口目でパクリと。
「それは、もうゼッタイに『平家』の陰謀だわね。薄々気付いてたけど、どうしようもないという苛立ちかしら。で、その申し開きの内容は何なの?」
モグモグ食べるついでの問い返しに、俺も皿の上へ手を伸ばす。
「続きはこうだ。
『――伝え聞いたところでは、昨夜<15日夜>、検非違使が到着した時には、以仁王は既に三条高倉邸を抜け出して、密かに三井寺の方向へ逃げた後だったという。実は三井寺と延暦寺は以仁王を奉じて謀反を企てていたらしい。また以仁王の若宮も行方知らすだということで、武士が八条院御所を囲み、御所内を徹底的に探し回ったとのことだ。女院は頼盛の妻である女房の機転で、事前に頼盛邸へ難を逃れたようだ。
しかし、事態を知った若宮が女院を救い出そうと、わざわざ潜伏先から戻って来たらしい。素より隠れ置かされていたものを全く愚かしいことだ。
……<中略>……後に聞いたところ、女院は連れ出されることはなく、居据わったまま頼盛親子が傍にいたということだ。隅々まで残さず徹底的に捜索したらしい』
この辺りは内容が濃いので、極力省かずに意訳したのだが……私見に入る前にもう一つ。
『吾妻鑑・同十六日条:今朝、検非違使が宮の御所を囲んだ。天井を壊し、板の間を剥がして探し回ったが見つからなかった。にもかかわらず、以仁王の若宮が八条院に姿を現した。頼盛は入道相国<清盛>の使いだと兵を率いて八条院へ行き、若宮を保護して六波羅<自邸>へ戻った。その間、京都は混乱の中にあり、洛外の狼藉は数えきれなかった』
成立年代は鎌倉末期で北条寄りの歴史書だが、この記述は興味深い。検非違使が乗り込んだ『宮の御所』は以仁王の『三条高倉館』と解釈できるが、『玉葉』と時系列を合わせると恐らく八条院御所ではないか、とも推定できる」
灼はパスタの上に添えられた『ペポーゾ』をフォークで差し、小さな口に運ぶ。
「平良の私見は後者なのね。あんたはさっき、小侍従の政治工作である『以仁王・臣籍降下』と、後白河院の身辺警護の強化を源氏で固めようとする『反平家・武装勢力』に対し、武士が本気になると、どれほどのものか全く理解していなかったと言ったわ。それが、つまり平家による以仁王と八条院の襲撃事件というわけね」
俺は曖昧な笑みのまま頷き、
「うん、そういう一面もある。八条院の女房たちは粗暴な武士が御所を荒らす様を知り、さぞかし肝を冷やしただろう。特に暲子内親王は、建春門院中納言の日記『たまきはる』にあるように、深窓の姫宮で非常におっとりとした性格だったらしく、身の危険という経験がない分、恐ろしくて仕方なかっただろう」
重く深い声で言葉を継ぐ。
「とにかく率直に言って、小侍従の策が裏目に出たわけだ。だが、清盛の最終目的は以仁王の殺害ではない」
「と、言うと?」
灼の単純な問いかけに、俺は再びチビリと、赤い透明な液体で唇を濡らす。
「つまり、八条院領の解体だ」
明確な答えを灼はもっと単純にする。
「平家一門による全荘園の独占。確かに分かりやすいわね」
『モスト・ドゥーヴァ』をグイッと一気に呷った。相変わらず直截な幼馴染に俺は肩を竦める。
「詳細な私見を述べる前に、最後の一つ。かなり長いが我慢してくれ。
『玉葉・五月十七日条:晴天。伝え聞くところによると、昨日の巳の刻<午前十時頃>に八條宮<円恵法親王>の使者が宗盛・時忠のもとへやって来た。以仁王は三井寺にあり、平等院を目指すと。正に出発するところなのでお伝えしたと言う。であれば、とすぐに時忠が迎えの使いを出すと言うので、宗盛は武士五十騎を護衛に付けた。八條宮の使者三人と共に日が暮れてから出発。寺には夜中に着く。
だが、寺の中には入らず、周囲を武士が固め、先に八條宮の使者が迎えの書状を持って寺に入った。しばらくして使者が戻ってきて、本日の日没前に僧徒三十人ばかり連れて京の御所へお渡りになった。早々にお帰りになったほうが良いと伝えた。
時忠の使者と武士はそれを聞き、八條宮へ参り事情を問うと、宮が答えるには、(以仁王を連れて来た)僧徒と三井寺の僧徒が京都を出る相談をしていたらしいが、三井寺の僧徒が心変わりをしたようで(以仁王を連れて来た)僧徒が心変わりした僧徒を斬って寺を出たのだと。今となっては力が及ばないことだが、これよりは法に任せ、御沙汰を待とうと。
それを聞いた時忠の使者と武士は、時忠と宗盛に報告したが、その後、取り沙汰されたという話は聞かない。おおよそ武士の浅薄な見識では、事件の真相を突き止めることは出来なかったのか。……<中略>……今度は以仁王が比叡山に登り、無動寺<滋賀県大津市・無動寺明王堂>に引籠っているという噂を聞いた。
それにより比叡山は八條宮が監督する地であるので、僧侶たちは以仁王には助力しないという内容の請文を八條宮に提出したらしい。故に八條宮が監督する寺院は問題ないだろうということだ。
だが、しかし巷の武士は諸国に散在する源氏の多くが以仁王に味方し、また近江の国人たちも同じく味方すると言う。世間の近況は全く収拾がつかず、真偽のほどは定かではない』
ここまでの内容を『歴史検証』していきたいと思うが――」
俺は、灼自身気付いていない渋面に、軽い可笑しみを覚えて言葉を切り、
「そう言えば、料理に口を付けてなかったな。腹も減ってるし、先に食べるか」
フォークを差すと、ホロホロと崩れる牛すね肉『ペポーゾ』と共に、赤ワイン煮込みのパスタを思いっきり頬張った。
●高階結衣のうんちく
皆様、お久さしゅうございますぅ~……と言っても、忘れてはるお人もおますやろうけど。
県立東葛山高校三年で超絶美少女で有名な平良君の先輩どす。自分で超絶美少女とか頭おかしんちゃう? とか思わんといてな。。。。あと、千葉県生まれの千葉県育ちなのに、なんで変な京都弁なん? とかいうツッコミも勘弁や。。。って、仕方ないやんッ! 台本にそう書いてあんねんッ!
……さて、気を取り直して、今回は『建春門院中納言日記』より八条院御所についてお話ししたいと思います。
『建春門院中納言日記』はもともと決まった表題はついておらず、『健寿御前日記』や『たまきはる』などと言われてます。作者は藤原俊成の娘で同母弟に藤原定家がいます。成立の動機は鎌倉時代となり、もはや平安宮中の優美な儀式や服飾などが完全に薄れてしまった時代。若い女房達が華やかだった頃の昔話を聞きたがるので、その口述を養女の春華門院右衛門督がまとめ、さらに弟の定家が加えたものだと伝わっています。
本文から作者の性格は勝ち気で上昇志向の強い人だったようです。『出来るキャリアウーマン』平滋子に憧れを持ち、日記の前半は滋子はこんなにも素晴らしい女性なんだぞと褒めちぎってます。
『……朝夕の御ことぐさに「女はただ、心から、ともかくもなるべきものなり。親の思ひ掟きて、人のもてなすにもよらじ。我が心をつつしみて、身を思ひ腐さねば、おのづから、身にすぐる幸ひもあるものぞ」と、おほせられし御いさめに……』
……滋子の口癖である「女はただ心掛け一つでどうにでもなるものです。親の言付けや周りの人が助けてくれるからではない。自分の才や美貌に慢心せず、また心の中で腐らず、自分を卑下したりしなければ、自然と自分自身が満足できる幸せに巡り合えるものですよ」を教訓として……
現在にも通じる言葉ですね。。。もし会社にこんな素敵な女性の上司がいたら、ウチもきっと憧れてしまいますッ!
それだけに八条院御所で働き始めた建春門院中納言は、何事もキチンとしていた建春門院の職場と比べてギャップが激しかったようですよ。
『……昔見し世には違ひて、ただありよくやすき事の外の事なくて、人の服飾も何を着よといふ事もなかりしかば……<中略>……後にぞ所々の請文などいひて見えしかど……吾が心にしたきままにて、褻晴もなし。……<中略>……御所の中、殿上、中門、透渡殿などは、さし参る人の足も堪え難きまで塵積もりたれど、あれ掃け拭へなどいふ人もなければ、我がいかになど云えど、賢しととがむる人もなし。その折ばかり、こはいかになど云ひて掃く。』
散々ですね。。。。コーディネートも滅茶苦茶で、普段着と外出着の区別なく、姫宮も昼夜関係なく、いつも同じ服装で誰も頓着しない。大事な所領からの報告書も見つからず、御所のあちらこちらで塵が積もり放しで気にもしないので、作者がブツブツ言いながら掃除している様子が目に浮かびます。
滋子には「人よりもおいらかに物づつみして<誰よりも素直で控え目>」と褒められていた作者が八条院では、何事にも出しゃばって口を出すようになったのも納得できる話ですね。
その後、平家に対抗するため、五条局や三位局といった古参女房、頼盛の妻である女房と共に『八条院中納言』として小侍従に協力していくのです。