第九十話:抗うひとたち~検証㊱~
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いったんは一息つくことが出来るのでしょうが、完全に終わったわけでなく警戒は続投です。
皆様も引き続き、お身体にはお気を付けくださいませ。。。。
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「殷富門院大輔を覚えてるか?」
俺の前置きを、灼は悪戯っぽく笑い、頷く。
「覚えてるわ。九歳年上の小侍従とは従姉妹なのよね。アポなしで小侍従のもとへ遊びに行ったり、連歌耐久レースを持ち掛けたりと、気分屋で我儘な芸術家肌の女ってイメージだったわ」
俺も深く微かに笑う。
「菅原道真は仕事中だろうが何処だろうが、和歌や漢詩を口ずさみ、気に入ったフレーズが出来たらメモを書いて専用のツボに入れてたそうだ。
殷富門院大輔もそうしてたかどうかは分からないが、『千首大輔』と呼ばれるくらい何時でも何処でも歌を詠み、派閥関係なく歌詠会に参加してたそうだ。面倒くさいことが嫌いで恐らく政治にも全く興味がなかったのだろうと思う。
逆に小侍従は政治や軍略の才が抜きん出てる。それぞれが菅原家の異なる才能を受け継いだようだが、実は二人とも道真や孝標同様、弓の名手だ」
「まあ、時代が時代だけど……やはりこの時代でも武装集団としての『菅原家』は健在なのね。その殷富門院大輔がどうかしたの?」
灼は溜息を吐きつつも、期待を込めて言った。その期待に反して、俺の口調はあっさりと言う。
「後白河院が旧・基盛の屋敷に入ったことを確認した小侍従は、殷富門院大輔を九条兼実邸で情報収集させるために何度か向かわせてる」
「でも、あんた今さっき――」
灼の驚きを軽く受け流し、俺は苦笑ついでに先を続ける。
「殷富門院大輔に「偵察してきて」と直に頼んだら、きっと面倒くさがって断るだろう。でも、「今度、九条兼実邸で秘密の歌合が開催されるらしいから、行ってみたら」と言えば殷富門院大輔は喜んで行くはずだ。小侍従はこの手であらゆる派閥の情報を集めていったと考える。
それに九条兼実の正室扱いだった『二条院讃岐』の父は源頼政で、宮廷歌人のサロンでもある『歌林苑』のメンバー同士だ。
小侍従と源頼政は恋人同士だったという説があるが、俺は少し疑問だ。むしろ、二条院讃岐を通じて源頼政とのパイプを作ったと考える」
呆れた顔で灼が質す。
「相変わらず小侍従は腹黒なのね。それはそうと、源頼政には既に以仁王を預けてたはずよね。小侍従と源頼政とのパイプはその頃から?」
俺はその答えを思い出したかのように、
「そう言えば、前の『歴史検証』で――、
『幼い時より天台座主・最雲法親王の弟子となり将来は出家する予定だった以仁王は応保二年<1162>最雲法親王が亡くなったため、『二代の后』多子が住む近衛河原の大宮御所で厄介になり、小侍従の『菅家廊下』で学問と和琴を習った。
長寛三年<1165>二条天皇が崩御したことで、帝位に昇るかと思いきや、平滋子の妨害にあい、結局、元服もひっそりと大宮御所で行った。翌仁安元年<1166>には親王宣下まで阻止され、完全に皇位継承権を失った』――そんな話をしたな」
導いた言葉に、再び灼が問う。
「――武芸の鍛錬のため、源頼政を引き合わせたのは皇位継承権を失った以仁王に『源姓』を下賜させる布石だ――とも言ったわ」
さすがだな、俺は思いながら吐息を漏らす。
「完全に忘れられた皇子・以仁王は、八条院暲子内親王の猶子となる。通説では憲仁親王――のちの高倉天皇――の立太子に対抗するためとあるが、平滋子によって阻害されたとある。しかし、俺の私見では、そもそも八条院暲子内親王に政治的野心はなく、この猶子は単なる保護の意味でしかないと考える。
つまり、平家は後白河院の皇子の中で、滋子が生母である憲仁親王以外の親王宣下を許さなかったからだ。実際、以仁王以外の兄弟は全て出家した後に親王宣下を許され『法親王』となってるし、以仁王自身も将来、天台座主・最雲法親王の弟子として出家することになってたわけだしな。
ちなみに姫宮もほぼ全員が、生涯独身を通す伊勢斎宮や賀茂斎院を条件に内親王宣下が行われてる。同じく八条院暲子内親王に保護された式子内親王は有名だな。
だが、皮肉にも元服前に最雲法親王の亡くなったため、以仁王は近衛河原の大宮御所で匿われることになる。さらに以仁王が知行する常興寺の寺領を清盛が召し上げると、保護者の八条院暲子内親王は小侍従に献策を依頼することで事態が大きく変わる」
「そうかッ! それで小侍従が思いついた策が『臣籍降下』なのね。皇位継承権を手放せば、平家も文句は言えないわ」
灼は顔に出るほどの、非常に大げさな驚きと感嘆を示した。俺は静かにゆっくりと神妙な態度で言葉を継ぐ。
「父・鳥羽院、母・美福門院の莫大な資産を相続した八条院暲子内親王だが、それだけでは清盛――平家には真っ向から対抗できない。優秀な女房がいればこそだ。
若い頃は加賀の候名で美福門院に仕え、晩年には五条局と呼ばれた古参女房は、積極的に平家に冷遇された皇族を支援してる。絢爛豪華を好む娘の建春門院中納言は平滋子に仕えていたが、崩御後は平家に興味を失い、母の勧めで八条院暲子内親王に仕えた。異母兄弟には後白河院京極局や藤原定家がいる。殷富門院大輔はかなりの交友関係を持ってたと見るべきだろう、これらの人たちも含めて小侍従との仲を持った。
承安四年<1174>九条兼実の病が悪化したことがきっかけで、殷富門院大輔の旧友・二条院讃岐は屋敷を取り仕切る同居妻となる。この頃から右大臣という要職にありながら、病を理由に参内せず、『玉葉』に記述があるように『密々歌合』を頻繁に行うようになった。
また、二条院讃岐の父・源頼政と小侍従の表向きは歌の遣り取りが深まる」
灼が僅かに反発を混ぜて、笑い返す。
「なるほど、ね。小侍従は九条邸での『密々歌合』に殷富門院大輔を送り込んで、以仁王の『源氏』を兼実に根回しし、歌の遣り取りで通ってくる源頼政は以仁王の武芸を鍛錬してたわけね。ここまでは理解できたわ。そして、以仁王は知行地を召し上げられ、後白河院が鳥羽へ幽閉、再び京都へ戻って来た。
この時期に小侍従が殷富門院大輔を使って、九条邸に再び送り込むのはどんな理由なの?」
俺も笑って、大きく頷き、
「満仲の長子、源頼光より継承されてきた摂津源氏は代々、大内守護――御所の内庭を警護する役にある。当然、後白河院が再び誘拐されない様に旧・平基盛邸――現・藤原季能邸を警護する必要性を九条兼実に裏で糸を引いてもらうためだ。小侍従にとって、源頼政が『源氏』となった以仁王を伴い、後白河院を警護することが理想だろう。しかし、いくら軍略の才があるとはいえ、公家の姫だ。戦の凄惨さを身をもって知ってるわけではない」
そうして付け加える。
「武士が本気になると、どれほどのものか全く理解していなかった」
制服の上からエプロン姿の灼は鼻歌を歌いながら、こんがりと焼けたトーストに、やや紫がかった桃色の肝臓ペーストを塗っていく。酸味に仄かな脂肪の甘みと鉄分の匂いが絶妙に混ざり合い、空っぽの胃を刺激する。
「……うまそうだな」
さっそく伸ばしかけた俺の手を叩いて、
「平良ッ! これはダメ」
灼が上から睨みつけるように叱りつけた。実際は若干150センチの背丈なので、あくまでのようにである。
「『クロスティーニ』の完成よ。どうぞ召し上がれ」
灼はキッチンテーブルからカウンターへ手を伸ばして皿を置いた。母親が食卓まで運び、父親はそれを早速摘まみ上げて頬張る。
「それは、随分と濃厚だな。うん、ワインに合うッ」
食の感想をぶてぶてしく聞いていた俺に、灼は呆れた声を零す。
「もう……あんたのも、ちゃんとあるわよ」
先程まで俺が使っていたフライパンを洗い終え、火にかける間に、鍋で茹でていたパスタをザルに移した。
「次は赤ワインで煮込んだパスタを作るわ。パスタは普段より少々固めが良いわね」
あっという間に表面が乾いたフライパンに、灼はオリーブオイルを注ぎ、ニンニクを弱火で炒めていく。香ばしい匂いが広がり、目の前の調理に期待の眼差しで見つつも、ただ立っているだけという所在無さに、
「何か手伝うことはあるか?」
俺の素っ気ない言葉にも構わず、灼はにこやかに言う。
「じゃあ、野菜のルッコラを水洗いしてもらえるかしら。後はローズマリーを入れて香りを付けて、牛すね肉の脂身をさっとソテーして旨味を出すだけだわ」
言っている内に牛脂のような塊と一枝の香草を一緒にフライパンに入れた。馴染んだところで脂を取り出し、残った『サンジョヴェーゼ』のワインを全て注ぎ込む。
「アルコールが飛んだら、さっきのパスタを入れるわ。程よくアルデンテになるように煮込んだら、パルミジャーノ・チーズをすりおろしたものをたっぷりと絡めて――」
灼は微笑みを浮かべて、チーズと赤紫に染まったパスタを満遍なくトングでかき混ぜ、コンロの火を消した。
「――更にバターを入れて、余熱で溶かして、塩を一つまみで味を調えるわ。どう?」
一本掬って、俺の口へ持ってきた。少し恥ずかしく思いつつも素直に灼の指伝いで啜る。強い酸味に仄かな苦さが口いっぱいに広がり、バターとチーズが後味を丸くしてくれる。初めて味わう大人の風味だ。
「う、美味い……」
「でしょッ」
灼は満足げに何度も大きく頷き、
「パスタを盛り付けたら、ルッコラを上にたっぷりと乗せ、もう一度パルミジャーノ・チーズをかけて……黒コショウとオリーブオイルをしっかりと振ると――完成だわ」
両手を両腰に当て、達成感に満ちた笑顔を見せた。途端におーッ、と食卓から酔っ払いの両親が歓声を上げる。幼い顔が自然とほころび、僅かに頬が赤らんだ。
俺は、そうやって恥じらう少女の姿が、とても可愛いと思った。
●四字熟語のうんちく
相縁奇縁。。。。
皆様、お久しぶりです。ここのところ本編に出る回数がメッキリ減りましたが、このコーナーで再びお会いできたことを嬉しく思います。
今回は二条院讃岐と九条兼実についてです。二条院讃岐については諸説ありますが、現在は大きく分けて二つの説があります。
『尊卑分脈』に基づいて二条院に出仕し、藤原重頼と結婚したという従来の説。そしてもう一つが、『玉葉』に基づいた、わたしが尊敬する伊佐迪子先生の説です。
先生の論文、佛教大学大学院紀要・文学研究科篇・第三十九号に掲載の『二条院讃岐の実人生ー後半生を中心にー』を参考にしてお話をしたいと思います。平良君の検証も伊佐迪子先生の説を基にしてるようですしね。
『玉葉』は兼実の公私にわたる出来事が36年に渡って書き綴られています。内容は朝廷行事・有職故実は詳細に記され、兼実の為人を伺い知れるほど表現が豊かです。その中に二条院讃岐についてしばしば出てきます。
九条兼実はとにかく虚弱体質です。風邪を引きやすく脚気で頭痛持ち、弱視で体調がすこぶる悪い時は自力歩行も困難だったようで、介護役として二条院讃岐が常に傍にいたようです。時には朝廷の参内にも同伴したり、九条邸の仕切りは名代として差配もしていたようで、あまりにも病にかかり過ぎるので平家からは仮病ではないのかと疑われたほどでした。
やがて、二条院讃岐は実質上の『正室』となり、九条邸で『密々和歌会』や『密々連歌会』が続きます。また姫の宜秋門院任子<後鳥羽天皇・中宮>や夫・兼実のために『密々詣』に、しばしば出かけています。讃岐は任子の幼い頃から成長を見守り支えてきたことが『玉葉』からよく見て取れます。
九条兼実は平家滅亡後も頼朝や北条氏と何度も会見し、朝廷と幕府の橋渡しになっています。陰で支え続けた二条院讃岐の内助の功は、本当に女性の鏡だと思いますね。
次回もお楽しみ頂ければ嬉しいです。